2025年11月3日

北海道の樹を訪ねて(56)簾舞通行屋のヤマモミジ

疲れが抜けない。
母の介護も考慮しつつ、ライフワークバランスをとるために、早期退職をしたはずだった。
しかし、それから5年、結局は昼のパート勤務に別の夜のパートと、合計の勤務時間はさほど変わらず、疲労はたまりまくっている。

しかし、確かに生活に困ることはない程度とはいえ、老後のことも考えると、ここで収入の大幅減のままずっと過ごすわけにもいかなく、結局は働いてしまっている。
おまけに、頼まれた仕事は引き受けてしまう(もちろん有償でだが)癖も抜けていなく、仕事のキャパはいつもぎりぎり。

チェンジオブペースが必要なのはわかっているが、来年の1月末までは、仕事のぎゅうぎゅう詰め状態は確定している。

11月3日。文化の日。
午前中、2時間だけ走った。
あまり考えずに簾舞方向へ走り、いつもの小屋と田んぼの風景を眺めて写真を撮ろうかと思っていたのだ。

ふと思い出したのが簾舞通行屋。
その前に見事なヤマモミジがあって、僕の好きな樹なのだが、さすがにもう落葉しているだろう。
でも、ちょっと寄ってみようか…。

と思って、寄ってみると、それが見事に紅葉していた。


ゆきかぜを停める。

明治5年に建てられたという通行屋の建物。
修繕を重ねて、現在は札幌市が管理し、当時の様子を伝える小さな博物館になっている。



札幌と函館方面をつなぐ陸上路。
明治になり、突貫で作られた最短路は、本願寺道路と呼ばれた。
工事に京都の本願寺が本当に貢献してくれたからで
最初は細い道を通すだけだったとはいえ、強烈な難工事だった。
現在は中山峠となり、交通の大動脈となっている。

早くも明治5年に開通したことから、この地に札幌から来て泊り、馬を休ませたり、馬を交換したりする駅逓として、この通行屋が作られたのだ。
駅逓が廃止されたのちも、住宅として住み続けられ、やがて札幌市が買い取って保存し、現在に至っている。



このヤマモミジは、もともとあったものか、それとも植えたものか。
大きさから言って、駅逓完成時に苗木を植えたのではないだろうか。

見事なモミジなのだが、特に記念樹に指定されてもいないし、それほど注目もされていないようだ。

でも、見事な枝ぶり、見事な葉の茂り方だ。


巨樹があるところは、周囲もなんとなく気持ちがいい場所であることが多い。
それは、樹のせいであるというよりも、そういう場所だから、樹が大きく育ち、長く生きてこられたのだとすべきだろう。

この簾舞通行屋のヤマモミジは特に大きな樹でもなく、樹齢も、素人見ではそれほど老樹でもなさそうだ。150年から長くても200年くらいではないだろうか。

明治5年の簾舞は、周囲を原生林に囲まれていたことだろう。
そこに道を切り開き、通行所を作る、その場所としてここが選ばれたのだ。


水場が近く、強い風をしのぐことができ、日当たりがよく、土地が比較的平らであること。
食料や、馬の餌となるものが、栽培できる土地と土の良さがあること。

それらをすべて兼ね備える場所がここだったのだろう。

僕の好きな、いつも写真を撮ってしまう谷のすぐ隣というのも、そういう心地よい土地というのがあったのかもしれない。



インスタグラムに写真を載せた。
https://www.instagram.com/p/DQlhur0EpMk/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==
takkikazuhito Nov.3, 2025

自動翻訳があることは知っているのだが、なんとなく、英訳は自分で確認したくて、グーグル先生に英訳してもらってから自分でチェックして、ちょこっと直したりして貼り付けている。
その訳をみたら、ヤマモミジは、「 Japanese maple 」だった。
日本モミジなのか。

そういえば、ゆきかぜの白赤とも似合うような気がする……なんて、ゆきかぜはイタリア産なのだった。


気象庁認定の木枯らし1号が吹いたかどうかは知らない。
でも、北海道は先週末、爆弾低気圧ともいうべき低気圧に襲われ、猛烈な雨と風に見舞われた。
今日は午前中に少しの間晴れたが、明日以降、今週はまた、曇りや雨の日が続くらしい。

それでもまだ、シーズンは終えなくても、もう少し走れそうなのだが、秋はもう、立ち去って、すでに冬の兆しがあちこちに見え始めている。

今日のモミジは、秋の最後の輝きか。
それとも、もう少し、別の形で、秋は僕らに最後の姿を見せてくれるのだろうか。

ライダー人生がずっと続くものでないことを、この1,2年、特に実感として感じている。
終わりがいつかはわからないけれど、その日は必ずあって、近づきつつある。

人生そのものにしても、そうだろう。

気が付けば、60年以上も、ばたばたと苦しみながらも生きてきたわけだ。
自分のことながら、本当によく生きてきたものだ。

だから、これから先の一年一年、一回一回のライディングは、僕にとってやはり大事なものになっていくだろう。
青春期とは別の意味で、自分の走りを探し、自分の走りを作り上げていく、その、おそらく短く感じるだろう道筋に、僕はもう差し掛かっているのだろう。

簾舞通行屋のヤマモミジの美しさに、ため息をつきながら、ふと、そんなことを考えたのだった。
やや改善しつつある脊柱管狭窄症の痛みをこらえながら。


幾年を 越え行く旅か やまもみじ
                樹生和人 

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