2019年12月15日

ひとりで走ることと、ふたり以上で走ること。


 どうしてバイクで走るのか?
 妻は僕に言う
 「ひとりになりたいんでしょ?」
 「ひとりの時間があなたには必要だから」
 それはたぶん、当たっている。
 僕はたぶん、ひとりになって、普段の自分から自由になるために、バイクで走るのだ。
 だから、基本的に僕にとってバイクとは、「ひとりで走る」ものだ。

2018年の1月に書いた記事が、下書きのまま残っていました。書いたことすら忘れていた記事。まとまらないからUPしなかったはずなんですが、あえてそのままUPしてみます。
「ひとりで走ることと、ふたり以上で走ること。」

では、2人で、3人で、またはそれ以上で走るのは、どうだろう。
このブログでも、何回か、2台で走っているし、
前のブログ(聖地巡礼―バイクライディングin北海道)でも、
何度か、グループツーリングをしている。
それらは、とても楽しいもので、また、とても有意義なものだった。
僕にとって複数台で走ることもまた、バイクライフの重要な楽しみの一つである。
しかし、僕の場合、それは、一人で走るのとは、ほぼ、「別の体験」だと
認識した方がよいように思う。
2016年8月に、当ブログにコメント下さる、ST4さんとご一緒して、二人で日帰りのツーリングをしたことがあった。
本当に楽しいツーリングだった。今でもいくつかのシーンが思い出され、そのツーリング(…というよりも走りのセッションだったろうか)の楽しさは、僕の体の中に生きている。
それは「Dance with R65」( )として記事にしているのだが、その最後にこんなことを書いている。
モーターサイクル・ライディングは、とても楽しい。
そして奥が深く、魅力に満ちている。
一日、ST4さんと走り回ってみて、その楽しさをもう一度、かみしめることができた。
そして、サーキットではなく、公道を走ることの楽しさもまた、今回、もう一度認識できたように思う。
空の下、風に吹かれて、見知らぬ土地を走る。
いや、よく知った土地でもいい。
風が変わり、匂いが変わり、道端の人や、農家の農機や、畑の作物などを眺めながら、
緑のトンネルを抜けるときの木漏れ日のシャワーを浴びながら、
そうして走り続けていく幸せは、やはり何ものにも代えがたい。
そうした、自分と、風景との濃密な対話は、
おそらくソロ・ツーリングでなければ味わえない領域がある。
それは自分のバイクとの対話にしてもそうだ。
でも、同じ風景の中を、複数で走っていくことの醍醐味もまた、確かにある。
ソロツーリングと、複数のツーリングとは、まったく違った経験(エクスペリエンス)だ。


孤独な人間同士が、それぞれのモーターサイクルを駆り、一人で運転しつつ、一緒に走る時、
相手の存在を感じるべくセンサーを働かせようとするならば、
そこに、ソロとはまったく違うツーリングの姿が立ち上がる。
そのあり方は、人と人の組み合わせ、マシンの組み合わせ、時期、場所、天候、などで一回一回異なる。
再現ではない。
そのつど、新たに創るのだ。
そのメンバーのモーターサイクル・ライディング、
モーターサイクル、ツーリングの世界を。 
ST4さん、今回はありがとうございました。
本当に楽しかった。
(「Dance with R65(6)」より。)
この時の他にも、時折、複数でのツーリングを僕はしてきて、その度に、その時だけの、特別な(固有の)気持ちを味わってきた。
でも、また、それはバイクで一緒に走るという、これも共通の、固有の条件がなくては現れない気持ちだった。

しかし、この複数でのツーリング、バイクライディングの走行でも、最初からそのようにモードが切り替わるのかというと、僕の場合、それはむしろまれだ。
一緒に走り出して最初のうち、しばらくは、特に先頭を走るときには、前の状況と、ミラーに映る今日のメンバーの状況を同時に見ながら、今日のペースを探り、この速さで相手は何を感じているか等を感じ取ろうとし、同時に自分の感覚を、ソロの時からチェンジしようとして、なかなか最初は堅苦しいフィーリングの中で走っていくことも多い。
そして、
「あれ?せっかくバイクで走っているのに、あの解放感に浸れない…」
「あの自由感がない……。」
と、なんだかつまらなさを感じている自分を発見してしまい、焦ることもままある。

それは、走っていくうちに、徐々にそのメンバー、その人数の走りへの自分の感覚の修正(アジャスト)によって消えてゆき、その違和感が消えていくにつれて、今度はそのメンバーならではの、複数で走ることそのものの持つその時だけの経験(エクスペリエンス)の持つ喜びへと、入れ替わっていくのだが。

そう、これは当たり前のことなのだが、
複数で走るときに、一人の走りの自由さ、解放感、ライディングへの集中度を求めても、それは得られないものなのである。

そのかわり、複数ならではの経験を得ることができる。

「セッション」の楽しさだ。

相手の呼吸を感じ取り、自分の呼吸をも相手に伝え、二人なら二人での、四人なら四人ならではの、全体の走りをシンクロさせていく過程で生まれてくる、その時だけの「走りの共有感」を作り出し続けているという、一種の「気持ちよさ」だ。

写真と記事は関係ありません。
アメリカンと、スポーツツアラーと、ネイキッド。呼吸を合わせるのが楽しい。
これにペースはほとんど関係ない。
速くても、ゆっくりでも。車種が混じっていても、互いに自分のマシンと他のメンバーのマシン、走りを感じ取ろうとし、そのメンバー全員が同時に走るのに最適なペースを探っていき、それに合わせようとする意志があるならば、そこに気持ちよさは生まれる。

僕も若いころに原付のDT50で中型4台のツーリングに入れてもらったことがある。
まだリミッターのない時代の原付DT50だったが、3月の雨の中、街中を除いてほぼ全行程、全開、伏せ姿勢のツーリングになった。しかし、まだ22歳の僕は、それがとても楽しかった。体力的にも許せた。一方であとの4人は、どう頑張っても90kmしか出ない原付、しかも登りの峠ではどんどん速度が落ちていく原付についてこられる目一杯の範囲で僕を引っ張りながら、誰一人僕を邪魔者扱いしないでいてくれた。
写真と記事は関係ありません。
隊列を組んで同じ速度でカーブを走っても、その走りの個性が光っている。
それを後ろから眺める幸せ!
時がたち、僕は中免をとってGPz400F-Ⅱに乗り、そして友人のRGΓ(ガンマ)50の原付や、僕から譲り受けた後輩のDT50と一緒に走るようになって、僕はその時の先輩たちの気持ちが理解できた。
速度とは関係ない。精一杯走っている、集中して楽しんでいるその相手と走ること、その相手の走りが伝わってくる中で走ることが、どれだけ刺激的で楽しいことか。
そして学ばされることが多いことか。
写真と記事は関係ありません。
千鳥隊列で、ただ巡行するだけの走りの中にも喜びはある。位置取り、車間、加減速…、
そうしたやりとりをあうんのタイミングでこなしていくなかで、徐々に信頼関係が築かれていく。
だが、どんな相手とでもそれが起こるとは限らない。
また、台数が増えると、それは「マスツーリング」となり、なんというか、先導付き遠足のようになる。それはそれで、またそれだけの楽しみはあるのだが。
それぞれの走りを感じつつ、セッションしていけるのは、僕の経験だと、だいたい5台くらいが上限のように思う。6代以上になったら、割り切った方がいい。

また、2台でも3台でも、まったく走りが合わない時には、これはもう諦めるしかない。
相手が安全マージンや呼吸を合わせること以上に、飛ばすことを優先する場合、無理についていかず、次期休憩所まで、別々に走った方がいい。そういう場合は、無理についていっても、面白くないし、危険なだけだし、そういう走りをする人にとっては、「待つ」ことは苦痛だろうから。
ただ、複数でセッションで走っていても、区間を決めて、フリーで走ろうとする場合もある。
セッションするパートと、ひとりで思う存分マシンと会話することに集中するパートと、ひとつのツーリングの中で分けるというやり方だ。
一粒で二度おいしいというか、合わせる楽しさと、わがままの楽しさを、両立させるこのやり方は、互いの違いに対する認識と、違う相手への敬意を持っている場合には、とてもよく機能するやり方だ。

もうひとつ、安全を確保したうえで、「バトルする」という、さらに一歩大人だけが味わえる走り方もあるのだが、それは、今回は語らないでおこう。

いやいや、それも、相手を信頼できて、相手の走りに好意を持てる場合の話だ。

どうしても合わない場合もある。
たまたま合わない日だった、という場合もあるし、
これは何回一緒に走っても合わないという場合だってある。
そういう場合には諦めて、せめて無事故に一日が終わるように、心がけよう。
そういう日もあるのが、バイクライフというものだ。
そんなに楽しいことばかりあっては、変というものだ。

おやおや、話が脱線しまくりで、どこかへ行ってしまった。

とにかく、ひとりで走ることと、
二人以上で走ることとでは、モーターサイクルという乗り物を使っている
という共通点はあるものの、
まったく違う経験なのだということを、僕は胸に刻んでいる。
その上で、違う経験でありながら、
やはりそこにはモーターサイクル・ライディングという、
共通の、固有性が存在しているということも、また、いつも実感するところだ。

2 件のコメント:

  1. あ うん の呼吸…
    同じ様なライディングの方と走るとき、しばしば感じます。
    コレ、堪らないです。(もちろん、良い意味で)

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    1. tkjさん、こんにちは。
      走っていて、会話していなくても、走りのリズムや
      風景の見方、他の交通へのマナーなど、
      「通じ合っている」と感じられる瞬間は、
      なんだかとても気持ちいいものですよね。
      これは一人では感じられない、
      バイクライディングの醍醐味の一つだと思います。

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