11月19日(日)、雨のち時々晴、所によりにわか雨。
ゆきかぜと、今シーズンの短いラストラン。
11年目のシーズンが終わる。
今年は約4万7千キロからスタートして、5万5千800キロまで走ったので、
年間7千キロ強の走行距離となった。
いつもの年よりは距離は出ているが、走り足りなかった…というのが実感だ。
今日は昼から3時間ちょいだけ時間が空いた。
パラパラと時折雨粒の落ちて来る札幌市街地から、
とりあえず、青空の見える東方向へ。
当別に着くころ、西北側の雲が薄くなってきていることに気づいた。
では、道道527を望来方向へ。
selenさんのよく走る道だ。
今日はいつもよりもさらにゆっくり走った。
望来から、 嶺泊駐車場公園 へ。
さっきまで降っていた札幌方面が、陽の光をあびて明るく光っている。
風が強い。
誰もいなかったが、僕がしばらく風に吹かれて海を見ていると、車が2台ほどやってきた。
停まった車から、4.5人が降りてきて、強い風に参りながら、写真を撮り、また車に乗り込んで出て行った。
確かに、
この場所は、僕も昔から知っていたが、この10年ほどで訪れる人が増えてきたような気がする。
望羊の丘もしかり。昔は、いつ行っても、どれだけいても、まず人と出会わなかったのだが、今年は行くたびに、それでも1台とかだが、誰かと出会った。
もちろん、それは、僕だってもっと古い人から見れば、後から来た人なのだし、後から来る人を認められてないなら、そもそもどこへでも観光ツーリングなど、行けるはずもない。
それは、時の流れ。
自分のノスタルジアは別にして、引き受けていかなければならない。
海の白波も、広く大きく立っている。
低い雲。
低い雲。
それなのに時折隙間が空いて、そこから陽が射す。
北海道・東北の日本海側の冬の空の表情だ。
ゆきかぜはあさって冬眠に入る。
昨年(2022年)の11月23日に次いで、ゆきかぜとしては2番目に遅いシーズンじまいとなった。
嶺泊から札幌へ、また少し遠回りして、石狩平野の端の方を行ったり来たりしながら帰って行った。
シーズンラストラン。
静かに、何事もなく。
あさっては、ゆきかぜをズームさんへ持っていく。
来春の車検に備えるのだ。
2023シーズン、樹生さんもゆきかぜ号もお疲れ様でした。
返信削除この10年、SNSの勢いは凄まじかったですね。
老若男女誰もが情報発信ができて、自分の感動をリアルタイムやそれに近い形で他の人と共有できるようになった。
こちらも、これまで独り占めできた風景が、そこに立ち止まる事さえ難しくなってきた場所も出てきました。
寂しい気もしますが、そこは時の流れ。
樹生さんの仰るように、引き受けながら、駆け抜ける事は変わらずにいたいと思います。
いつもと同じように、静かに、何事もなく走る。
いいな、と思います。
お疲れ様でした!
HiroshiMutoさん、こんにちは。
削除京都近郊も同じように、今まで人がこなかったところにいっぱい人がくるようにもなっているんですね。SNSはやはり時代を変えてしまったようです。
冬ごもりに入る時には、もう25年になろうかというのに、広島在住の時の、一年中走れていた時のことを思い出します。
たしかに、北海道の冬は長く、乗れない時期も長く。
でも、その土地に住むことを決めたなら、
春の訪れを、心待ちにして、冬を過ごすのも、
また、幸せなことなのだと思います。
春まで、「おやすみ」です。ゆきかぜ号。
樹生さん、こんばんは。
返信削除2023を無事に走り切り、また春へと繋がりますね。
以前は走ることが永遠だと思っていましたが、
いつの頃からか春夏秋冬、ひとつのシーズンを走っていること、
そのことを大事に思うようになりました。
加齢のせいか、何かが有ればそれは区切りかも知れない。
そんなことを思うようにもなりました。
>シーズンラストラン。静かに、何事もなく。
そのことを平和に思い、また春をお互い迎えられますね。
>静かに穏やかに、
シーズンの終わりに思うそんなMCライフを、
いつまでも積み重ねて行きたいと思ったりです。
札幌圏の同じ地元ではありますが、いつかゆきかぜ号を見つけて、
その疾走を道の上ですれ違ってみたいと思っています。
そのときはピースサインで!
すれ違いながら無事を祈り、互いの疾走しながら、
でも立ち止まることなく前へ前へ。
樹生さんと出会うことがあるならば、きっとこんな一瞬の中かもですね。
いつかは、、
そう思いながら走っています。
selenさん、こんばんは。
削除道道527の橋の上から田んぼの広がりを見ると、selenさんの風景だと思い、
金山湖のベンチを見ると、selenさんのベンチだと思い、
この嶺泊の樹を見るたびに、selenさんの樹だと思います。
特別に目立つわけでもなく、エポックメイキングな風景でもなく、
でも、一度目を留めると、目を留めることの必然性というか、自然さに気がつく…。そんな風景たちです。
道の上で出会う、その道を通る人なら、誰もが目にしているはずの風景。でも、走りの中で出会ってしまうと、それは、自分だけの、その時だけの、固有の何かになります。
selenさんのカメラの中から蘇るそのselenさんの風景たちが、部屋の中でブログを見ているというのに、まるで走行中のように、身体に迫ってくる。
selenさんも、写真を撮る時は止まっていたはずなのに、Riderの、Ridingだけの風景の現れ方にいつも、打たれてしまいます。
有限の時を感じるようになっても、その瞬間々々の永遠性を感じながら、走って行ければと思います。
いつの日か、ピースを!!