2018年9月10日

秋空に。



9月10日。午後5時半過ぎ。
一日曇りの日でしたが、夕方から晴れてきて、秋の空、秋の雲が広がっていました。

北海道は、9月5日に台風21号、9月6日未明に大地震に見舞われました。
我が家では、1日半ほど停電になっただけで、断水もなく、
具体的な被害はほとんどありませんでした。
しかし道内では、所により、甚大な被害が出ています。

厚真町は、私の好きな町で、以前のブログでも何回か訪ねています。





北海道の樹を訪ねて 7 幌内神社のエゾイタヤ(その1)
北海道の樹を訪ねて 7 幌内神社のエゾイタヤ(その2)
北海道の樹を訪ねて 7 幌内神社のエゾイタヤ(その3)

冬立つ日に(厚真町幌内)

とてもやさしい里、とても美しい田園風景……。
子どもが小学生から中学生だった頃、毎年厚真町に通って、厚真で採れたトマトと少しの食塩だけでトマトジュースを1リットル瓶に30本ほど、作っていました。そういう企画が、町であったんです。とても美味しいトマトジュースになりました。

札幌市内の住宅地でも、地面の液状化で大きな被害が出ているところがあります。
それ以外にも、当初あまり大きく報道されなかったところで、被害が大きかった所もかなりあることが、次第に明らかになってきています。

また、災害時には、間違った情報やデマがどうしても流れるものですが、
今回もいろんな誤情報が流れたようです。
公的な情報の大切さを再認識することになりました。

ここ数年、今までになかったような天災が相次いでいます。
その度に、「人ごとではない。」と言われ、「今までの常識は通用しない。」と言われてきましたが、今回もまた、そうした意識を、さらに新たにしておくべきなのでしょう。

スマホに充電できないと、あらゆる情報から遮断されてしまう……、ということのないように、電池型のラジオや、手回しの充電器などがあるといいですし、車のシガーソケットからコンセントに出せるアダプターを使ってスマホを充電したり、車でラジオやテレビの情報を得る人もいました。ガソリンも日頃から早めの給油を心掛けるのがいいのかもしれません。
その他、避難時の持ちだし荷物の準備や食料、飲料水、日常品の備蓄など、いろいろ防災についての知識を学び、防災についての文化をはぐくんでいくことの重要性も、もう一度、再確認したいと思いました。

札幌市に住んでいる私ですが、札幌市の中でも、状況はいろいろ違い、それこそ通りひとつを隔てて、被害状況や、断水、停電の状況も変わっていたりもしました。
そんな中で、我が家の停電が解消次第、無事の報告と、札幌の中の私の周りの状況をアップすべきかとも考えましたが、部分的な真実が全体的な印象を総体的なものから離れたものへひきずってしまうこともあり、また、私は誰を代表することもできないので、メールやコメントにだけお返事し、今日まで近況報告をしませんでした。

しかし、これも、身の回りのことだけでも、1人ひとり、ドキュメントとして挙げていくことで、全体の中で気づかれなかった事実に光が当たることもあったり、後から災害時に個人があげていた経過を集めて分析することにより、防災の重要なヒントが得られたりすることも、また言われていることです。
一個人としてではありますが、ブログに上げるということは、たとえ日本語でも世界に向けて発信しているという意味があり、責任も伴います。しかしまたそれは一個人としての責任であり、良心に基づくものである限り、表現の自由もまた大切にされねばならないし、個々人が声をあげることの意義もまた、繰り返し言われていることです。

…要するに、1人ひとりの考え方に基づいて、責任ある選択をすればいい、ということであり、私の場合、昨日までは、記事で発信するに至らなかったと、ただそれだけのことでもあります。くどくて、すみません。

6日、地震発生から2時間半後、職場にバイクで向かいました。
どうしても連絡し、安全確認しなければならないことがあったので。
信号の止まった街中。ゆきかぜ号は、本当に頼りになりました。

メールやコメント、ありがとうございます。とてもありがたく思いました。
また、敢えてコメントを控えてくださった方もいらっしゃるかと思います。
お心遣い、ありがとうございます。私は無事に過ごしております。

今回の震災のことは、なかったかのように語ることは、やはり私にはできないようです。
また、一方で、バイクとともにある日常の暮らしのことも、とても大事に思っています。
これからもバイクについても考え、味わい、楽しみ、そして走っていきたいと思います。

4 件のコメント:

  1. 樹生さんと同じ時間、同じ空を私も見上げていました。
    今日の空を記事に追加して・・・

    空を見上げ一人ひとりが想うこと、樹生さんの記事からも考えていました。
    震災の中での人の人生や、バイクとの関わりのこと。
    これからもお互い走って行きましょう。

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    1. selenさん、こんにちは。

      何かを語ることも、語らないことも、なかなか難しいものだと、
      改めて今回感じました。

      6日朝、信号のすべて消えている街中を
      ゆきかぜで移動していくときにさえ、
      ゆきかぜのたくましさ、操作に応えてくれるその動きは、
      楽しく、信頼感、充実感を感じました。

      バイクとともにあるということを、
      改めて感じた一瞬でもありました。

      selenさん、それぞれに、それぞれの走りを
      これからも。
      走ることは、少なくとも自分にとっては、
      意味があることだと、思いました。

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  2. こんにちは。

    ともかくご無事で何よりです。


    ぜんぜん、くどくないです。
    むしろ、改めて樹生さんはすごいなと感じました。

    ゆきかぜ号も無事でよかった。
    亡くなった多くの方々のご家族ご親族の方の事を思うと、
    不謹慎なのかもしれませんが…。


    阪神淡路・東北・熊本の震災、九州・中国・四国の豪雨、
    どれも半分心配しつつ半分他人事。

    わずかばかりの募金をするのがせいぜい。

    言葉にするのは難しいです。


    これからも美しい文章と美しい写真、
    楽しみにしています。

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    1. モリシーさん、こんにちは。
      ありがとうございます。
      被災して、つらいということも、
      無事で、うれしいということも、
      個人としての感情で、
      そうした個人が本人のことを言うことを
      封じないようにすること、
      主語を「私」として語る、私の話を、
      聞き手である「私」として、できる限り(できる範囲で)、
      許容していくこと、
      小さな声を押し殺さないことが、
      災害時でも、日常でも、あるいは政治的側面においても、
      大切なことだと、思います。

      自分にできることを自分ができるときに、
      できないことや、しない現実を、そのまま受け止めて、
      いいとか悪いとか、優れているとか、劣っているとかじゃなく
      ありのままに受け止めて、明日をどうしようか、考える。
      そんなことが、とても難しいと、思います。

      自分ひとりに戻るために、自分そのものに戻るために、
      例えば、音楽とか、絵画とか、スポーツとか、
      いろいろあるのかもしれません。
      私にとって、大きいのが、オートバイに乗るということ、
      オートバイで走るということなんだと、
      改めて思いました。

      またしばらく忙しくて走りに行けませんが、
      この秋も、走りたいと思います。

      モリシーさん、ありがとうございます。

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