2021年8月30日

自分のための備忘録。

自分のための備忘録。

もしもそれでも走りたいのなら、

背負って走れ。ライダーなら。


北海道が「緊急事態宣言」下に入っている。
8月28日時点での北海道の感染状況は、
☆直近1週間の累積で、
   10万人あたりの新規感染者数    62.8人/週
   感染経路不明割合                    42.7%
   PCR検査陽性率                         8.4%
☆現在の医療態勢負荷は
   確保病床の使用率                    46.1%
   重症者用病床使用率                 11.2%
   入院率                                   17.9%
   10万人あたりの療養者数          98.2人

 数値的には、実はいくつかの指標では5月のGW後の方が厳しかったこともあった。
 どんどん感染が広がっているのに、5月第4波の時の方が厳しい数値があるのは、北海道では医療体制の改善を必死でやってきていたからだ。医療関係の方々、行政、さらに民間、本当に多くの人々の努力で、数値上はなんとか、東京に比べれば、持ちこたえているというのが、北海道の現状だと思う。
 しかし、ここで爆発的に感染者が増えると、立ち行かなくなる。
 北海道の感染状況は、道のホームページから閲覧できる。(新型コロナ 道内の発生状況


僕は8月26日(木)、一回目のワクチン接種をした。
北海道でも、札幌市ではなかなか予約がとれない状況が続いていた。
かかりつけ医がワクチン接種担当医になっていたため、電話して約50日後の予約が取れて、第1回の接種となった。

副反応は、当日はほぼなく、翌日金曜日、接種から24時間経った頃から急に身体の熱っぽさとだるさを覚えた。検温すると熱は36.6度で平熱。だるさと若干頭痛がしたが、これは持病のものなのか、見分けがつかない。副反応はだいたい24時間ほど続いて、日曜日にはだいたい抜けた。

ワクチン接種をすべきかという議論もある。
ロックフェスをすべきか、オリンピックはどうだったのか…。
人それぞれに意見があり、それらの意見はどれも「一人一人の意見として」尊重されるべきだと思う。

ちょっと脱線するが、僕は昔、骨髄ドナーを経験したことがある。
若い頃からバンクに登録していたのだが、適合可能性があるという通知が来て、骨髄提供の手続きに入るかどうか、コーディネーターの方と何度も面談した。手術のリスク、入院期間、その間の仕事の手配、それだけでなく、1か月以上前から絶対に風邪も引けないし怪我もできない。詳しい検査をして、細部まで型が合致すれば、次に提供するか、しないかの相談になる。
結果、僕は骨髄提供をした。詳しい話は、いつか改めてしたいと思う。
思ったよりも生活に影響が出るし、家族と職場の理解、協力がなければできないことだった。しかも、今から骨髄提供をするということは、ごくごく限られた人以外には伏せておかなくてはならなかった。提供日時が時期が分かると提供者が特定されるおそれがあるからだ。骨髄提供の日々をSNSなどでリアルタイムにUPすることももちろん禁止だ。
コーディネーターさんがその時言ったのは、時間が経って、いつ提供したのか特定されなくなってからならオープンにしていいということだった。

別に、骨髄提供することがエライことではない。別に正義でもない。
したい人だけすればよい。僕は提供したかっただけだ。リスクは妻も理解してくれた。
バイクに乗ることと、ドナーになることは、僕の中では特に変わりはない。
妻から見てもそうだったろう。
「必要でもないこと。」
「正しいかどうかも分からないこと。」
「結果が上手くいくとは限らないこと。」
そう、骨髄提供を受けても、全員が恢復するわけではない。
「でも、理解したうえで、覚悟を決めてしたいなら、したら。」
妻はそう言ってくれた。

何が言いたいかと言えば、これも、僕にとっては、ワクチン接種をするかということ、バイクで走るかということと、本質的には同じ種類の問題だということだ。

それは法規制される前の、ヘルメットを被るかどうか、という問題でもそうだっただろう。

そもそも、コロナ禍でなくても、バイクで走る時には自分と他人の命の危険はゼロではない。山登りだって同じだ。海水浴も。

いちいち、決断に眉間に皺を寄せる必要もない。
大仰に言う必要もない。

しかし、能天気に「やりたいからやる」だけでは、だめだ。

状況とリスクをできる限り理解し、他者の存在を想像し、自分の行動が他人を危険に陥れることはないかを考え、その上で、自分で決めるのだ。

その決断が絶対に正しいかどうかなんて、その時は分からない。

やると決めたら、必要な準備をしなくてはならない。
すべき行動を考え、実践しなくてはならない。
そして、
「もしかしたら間違っているかもしれない」ということを、
いつでも心にとめておこう。
間違っていたと思ったら、次の行動を変えよう。

僕は通勤にもバイクを使うので、今も街中を走っている。
これは「不要不急」外の走行だ。

さて、今度の週末、
僕は走るか、とどまるか、
まだ決めていない。

走るとしても、守るべき「枠」を決め、その枠内にすることが大事だろう。

罹患しても入院できない人がひと月前にくらべても全国で6倍になっている。
容態が急変することもある。
デルタ株は感染力が強い。
自分が無症状でも、全く気付かないうちに人に感染させる場合もある。
最近の感染で多いのが、家庭内感染だ。

自分から感染した人が無症状でも、家族に基礎疾患のある人や、リスクの高い人がいるかもしれない。そこまでは分からない。

そして、毎日、命が失われている。
そういう感染状況なのだ。


自分のための備忘録。

もしもそれでも走りたいのなら、

背負って走れ。ライダーなら。

2 件のコメント:

  1. 樹生さん、
    「理解したうえで、覚悟を決めてしたいなら、したら。」
    樹生さんの覚悟を理解し、奥様もそれを共にする覚悟。
    この日の会話に感じました。
    走ることは、いつも自分が決めることです。
    だけれども、そこにはいつも責任があります。
    その責任の一番は、
    自分は、身近な人に対してなのかもです。
    それでも走りたいと思うとき、
    胸の中では、走ることだけを求めてはいないのかもです。
    ずっとそうだったように。きっとこれからも同じかもです。
    今度の週末、自分もまだ、
    走り出すのか、今のままじっとしているのか、それさえも考えが及んでいません。
    そんな状態でいます。
    もしも、、走ることが自分に必要だと思う時が来たとき、
    その気持ちに従ってみようと、いまは思っています。

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    1. selenさん、コメントありがとうございます。
      昨今では、語りにくい話題です。受け取られ方も誰がどう読むかわからない
      ネット上の文章ですのでなおさらですが、レスポンス、ありがとうございます。

      >走ることは、いつも自分が決めることです。
      >だけれども、そこにはいつも責任があります。
      >その責任の一番は、
      >自分は、身近な人に対してなのかもです。

      責任とは、そういうものかもしれません。

      >それでも走りたいと思うとき、
      >胸の中では、走ることだけを求めてはいないのかもです。

      ああ、そうかもしれませんね。
      それだけではなく、語ることは難しいですが、
      年齢や、自分と人とのかかわりもあるかもしれませんが、
      走れればどうでもいいというわけにはいきませんね。

      ジョギングや散歩をする人も、密でないこと、接触を最低限にすることを
      前提としながらも、
      やはり状況的に迷いつつ、悩みつつしているのではないでしょうか。

      「免罪符」を手にしたつもりになってはならず、自分の責任で決める。
      その構えで、行けたらと思います。

      私も今週末、走るかどうか、わかりませんが、
      状況を見つつ、自分の心と頭で、考えて決めたいと思います。

      selenさん、ありがとうございます。

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