曳地、広田、白井、正木、中谷。
2017年8月に北海道開陽台に集まろうとした5人。正木が参加不可能になり、残りのメンバーも約束の8月6日は不可能。なんとか10日~12日で日程を組みなおして、話を進めていた。
一番参加が難しいと思われたのは、曳地だった。
部長の曳地は管理職。しかも小さな企業体なので、実際にこの管理職は、「エグゼクティブ」。つまり自分で活躍しないといけない管理職なのだ。
それが職場を3日開けるとなると、相当に厳しい。
「曳地も来れなくなると、俺と、中谷と、広田女史の3人になってしまうな」
「白井とは時々走ってるからなあ…。いつもの二人に広田さんが参加しただけになるのか」
「でも、20年前、集まったとき、最後の一人になるまでやろうって、言ったよな。」
「言った。」
「だから、やるべきなんだろう。」
「うん、でも、無理しないようにな。」
そう話していると、7月も終わり近くになって曳地から連絡が入る。
「なんとか、他の管理職が見てくれることになった。でっかり借りになったけれど、行けるから。」
曳地は、きっと無理をして空けたんだろう。
他のメンバーにも連絡。
開催は決まった。
今回のメンバーは、曳地、広田、白井、中谷の4人。
8月10日の夕方、帯広市のホテルに集合し、11日に開陽台へ向かい、また帯広へ帰ってくる。
12日、曳地と広田の帰る新千歳空港まで、4人で走って、解散。
移動手段は、北海道から参加する白井と中谷はバイクで。
本州から飛んでくる曳地と広田はレンタカーで。ただ、晴れればタンデムの可能性も残し、中谷は予備のヘルメットを積み、曳地と白井は、タンデムできる服装とグローブを用意。
7月末までの怒涛の仕事が明け、しかし8月も暇ではなかった。
豊田と曳地は、北海道に来るために、その穴を埋めるべく、8月上旬に相当な無理をして仕事を進めてくる。
白井と中谷は、道内組とはいいながらも、泊まりの出張、日帰りの出張が矢継ぎ早に入り、白井に至っては出張から帰って翌日即、出発になった。
天気予報を見ると、
10日、曇り。
11日、雨。
12日、曇り時々雨。
雨具の再点検が必要なようだった。
夏の疲れに体がきしむ。
そのまま、8月10日の朝を迎えたのだった。
(つづく)
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