2020年1月24日

道を譲る。(安全な「追い越させ」の技術)

あまり大きな声では言えないのですが、実は私、誰もいないときは、時々、飛ばしてます。あまり褒められたものではありません。
でも、たいていの場合、ツーリングしていても、追い越すよりも追い越される方が多いです。

ツーリングの最終目標は、無事に帰ること。
変な説教みたいな嫌な言い方に見えますが、齢50を越え、60も近くなってくると、
これは切実な本音です。

生きて帰らなければならない。
そのために安全を確保して走らなければならない。

バイクで絶対に死なないためには、バイクに乗らなければいいのですが、
それは答えになっていない。バイクで走らなければ得られない命のありようもあるのです。

あらゆる場合に自分と他人の安全を確保しようとするなら、交通法規を守っていることを盾に、違反する人を責めるような傲慢で無自覚な運転ではおぼつかない。
今日はあまり語られることのない、追い越されのライディングスキルについてです。



また動画で申し訳ないのですが、
ゆきかぜ号で走っていて追い越されたシーンをいくつか集めて短い動画にしました。
よかったらご覧ください。


動画の概要欄に書いた言葉です。
自分がゆっくり走っていて、後ろから速い車やバイクが来た時は、安全なところで道を譲り、抜いてもらうのが、互いのためにいいみたいですね。MOTOGUZZIv7で公道を走っていての追い越され、9連発。

ちょっと脱線の前置きです。

公道上では、制限速度が定められており、だいたいは車の流れは制限速度+αで流れています。
このαの値は、土地柄によっても違いますし、もちろんそれ以上に道路、交通状況、道幅、
路面、見通し、傾斜、さまざまな条件で変わります。

北海道、特に道東では、街を抜けると数十キロも信号もなく、
ひたすら森や、丘や、荒野の中を道路だけが続く…というシーンが多くあります。
2ケタ国道でもそうですね。そういう区間では、
例えば車列が時速90kmぐらいで流れていることなど、ざらにあります。
もちろん、法規違反ではあります。
しかし、最近高速道路の一部区間で最高時速が120kmに引き上げられましたが、
それは、実情に合わせて、問題ないということで、引き上げたのでした。

つまり、法規は実情に合わせて、安全のためにあるものであり、実情に合わず、
非合理な法規は改訂されるべきですが、ほとんどの場合は、実情の方が先に変わって、
後から法規が変化するのです。

はみだし禁止のイエローラインは、昔は至る所にありました。
そうすれば正面衝突は起こりにくいという発想だったでしょう。
しかし、見通しもよく、交通量も少ないところで延々はみだし禁止が続くと、
ドライバーの心理はいらいらします。
結果、我慢できなくなって、違反と知りつつも追い越しを掛け、事故に結びつく。
取り締まりを強化するよりも、イエローライン区間を減らして、追い越しできるところは追い越しをしてもらい、危険が高確率で予見できるところをイエローラインにする。
そうすると、イエローである意義が納得いくので、ドライバーはいらいらしにくい。
結果、法規も守られやすくなり、違反も、事故も減るのです。

さて、何が言いたいかと言えば、
「自分が法定速度で走っているから、自分は正しくて、
 追い越そうとする車やバイクはすべて法規違反であるから、悪である。
 したがってまったく譲る必要はない。」というのは、
一見正しいように見えても、実は法規の本質も考えていないし、
安全の何たるかも考えようとしていない態度なのかもしれない…ということを、
頭の隅に置いておく必要がある、ということです。

自動車免許を取るときの講習で、追い越しはありました。
でも昔だったからか、「追い越され」の講習はありませんでした。
しかし、公道上では、「追い越し」も、「追い越され」も両方あることですし、
互いのペースが違っているなら、正しいとか、正しくないとかいうこととは別に、
互いにより安全に「追い越し」、「追い越され」るスキルを身につけておいた方が
公道サバイバルには有利になる。
自己防衛運転には、そういう発想<も>、あっていいのではないでしょうか。


ここからやっと本題です。
では、安全な「追い越され」について。

正確には、「追い越させる」スキルになると思います。

まず、走っている時も、時々バックミラーで後方を確認する。
これはそうですね。
で、
後方から速い車がやってきた。
自分よりもペースが速い。
この、本来ペースが大きく違う車同士が一緒に走るのは、なかなかストレスフルなものです。
互いの安全のためにも(精神的なものも含めて)なるべく早く追い越したり、追い越させたりして、互いに遠ざけた方がいい。相手を否定してかかるのではなく「敬して遠ざける」つまり敬遠するわけです。

追い越しのスキルは今回は省きます。

追い越され、

1 相手のペースを確認。

近づいてくる状況に気づかず、相手が後ろについてから気づいた場合には、車間のとり方や動きを見ます。
十分な車間を取り、完全に流れに乗っているようなら、特に急いで譲る必要はありません。
せわしげに車間を詰め気味にしてみたり、先を見通そうとして車を左右に振ったりするそぶりがあるときには、抜きだがっています。
相手が抜きたがっているのか、いないのか。
100%当てることはできませんが、「読もう」とすることで、だいたい分かるようになっていきます。

2 追い越させる場所があるかを確認。

安全に追い越させるには、
 a 十分な道幅
 b 十分な見通し
 c 十分な長さ
 d 追い越し完了まで接近しない対向車との距離
が、少なくとも必要です。
追い越させるためには、その場所が来るまで待たねばなりません。
条件がそろわないうちの追い越しは非常に危険であり、自分が譲ることが相手を危険に巻き込むことにもなりかねないので、ここは注意が必要です。
これは経験がいります。
自分を追い越す相手の速さにも大いに関係するので、この見極めは、実は上級です。
でも、はっきり分かるときもありますよね。
直線で、見通しがよく、歩行者の急な横断や飛び出しもなさそうで、対向車の姿も見えていない。そんなときって、実は思ったよりもあります。
そういう時は、譲ってしまうのがいいですし、そういう状況なら、自分から譲らなくても、勝手に抜いていってくれることも多いですね。


3 追い抜かせのサインを出す。

相手が安全に自分を追い越せる場所、タイミングを把握できたら、
相手に「追い抜いていいよ」、「抜いていってください」というサインを出します。
具体的には、これは例であって、決まりではないですが、

(1) 左ウィンカー ON
 左折と紛らわしいところでは出すべきではないでしょう。その前に、
 交差点近くでは追い越しさせると危険ですので、原則しません。
 譲るんだな、とわかってくれそうなところで。

(2) 手をあげて、抜いて行ってねのハンドサイン。
 これも決まったものはありません。
 手のひらを上に向けて手首を肩から首の高さまで上げ、「どうぞ」のサインにしたり、
 手を後ろから前に振って、抜いていってね、のサインにしたりします。

(3) 少し左に寄ってスペースを開ける。
 追い越しは、普通の走行よりも緊張感が増し、危険度も上がる行為です。
 できるだけ、安全マージンは大きい方がいい。
 自分の安全が十分確保できる範囲で左に寄り、追い越せるためのスペースを広げること
 も、追い越しのサインにもなり、安全を高める行為にもなります。

(4) わずかに速度を落とす。
 追い越しにかかる総時間数が短い方が相対的に安全と言えます。
 相手が追い越しを始めたら、アクセルを緩めて、少し速度を落とし気味にすれば、
 加速していく相手との関係で、追い越しにかかる時間も、必要な距離も短くなり、
 安全性が増します。そして、左に寄ったうえで少し速度を落とすことは、追い越してね
 のサインにもなります。
 気をつけるのは速度を落とすのは、左に寄った後です。
 車線を維持したまま速度を落としても、「何減速してるんだ、もう!」と、
 意図が伝わらず、早く行きたい相手に、ゆっくりすることで挑発しているかのように
 受け取られる可能性もあります。スペースを開けた上でなら、追い越せサインだな、
 と、伝わりやすくなります。
 また、減速しすぎなくてもいいです。追い越された後は自分が本来の巡航速度に再加速
 しなければなりません。少しでいいのです。

こうしたサインの複合で、わりとスムーズに追い越されが遂行できると思います。

4 追い越させるスペースがない!

狭い道などで安全に追い越させるスペースが見当たらない場合、無理は禁物です。
すると、延々相対的に遅い自分の車(バイク)で、後ろの蓋をし続けることになります。
これは、自分にとっても、相手にとってもかなりストレスフルな状況です。
そんなときは、思い切って、停まる所を探します。
街中であれば、大型店舗の駐車場や、コンビニの駐車場などに入ってしまうのも手です。
田舎であれば、どこかにすれ違うために道幅が広くなっているところや、なにか、広いところがあるはずです。
そこに、はやいうちに入ってしまって、完全停止。
後ろの車たちを全部前に流してしまってから、また走り出せばよい。
もしもまた後ろに車が詰まってきたら、また譲ります。その繰り返しです。
動画でも、1回そのシーンがあります。

絶対にしてはならないことは、後ろを詰まらせているからと言って、無理して自分のスピードを上げることです。
これは非常に危険。自分の速度を超えて走ってはならないのです。自分が事故してしまいます。それで転倒して後ろの車に轢かれたりしたら大変です。

後ろが前に出たがっているなと察知したら、できるだけ早いタイミングで、安全に停まれる場所を探し、見つけたら、ちゃんと停止のサインを出して、左に寄り、停止してしまうことです。これは、煽られるようになる前にやっておきたいです。

煽られてからだと、街中では人のいっぱいいるコンビ二や大型店舗の駐車場に入れてしまうのがいいと思います。警察、交番前に停められれば理想的です。
山などでは、停まったらすぐに再スタート切れるようにしておきます。できれば逆方向に走って逃げるのがいいです。相手が走り去ってしまえば、しばらく経ってから走っていけばいいのですが、停まった先で相手が停まったら、できるだけUターンして(下りて方向転換でいいです。)相手のドライバーが車を降りてこっちに来る前に逆方向に逃げます。そういう方向転換できるスペースのある所で止まれればいいですね。何もないところでは止まれていないはずですから、少しでもUターンできそうな場所で止まります。
でもこれは本当に止むを得ない時の、急場しのぎ。
本来は、煽られる前に、相手を遠ざけたいのです。
遭遇するやいなや譲ってしまうと、たいていの場合、変に煽ってくることはありません。

煽ってくる車はだいたい外見からして変なオーラを出していますから、接近してきたら
とにかく早くかわすことを考えるのが得策です。

さて、いろいろ、ダラダラ書いてしまいました。

スマートな追い越させは、ツーリングをより安全に、楽しくします。
たいていのバイクや車は、譲ると挨拶をしてくれます。
そういう譲り合いのコミュニケーションって、気持ちいいものですよね。

絶対に無理しないようにして、追い越させのスキルをちょっとずつ実践し、経験を積みながらスキルアップしていくのも、バイクライフの楽しみの一つだと、私は考えています。

11 件のコメント:

  1. バイクで絶対に死なないためには~
    ~バイクで走らなければ得られない命のありようもあるのです。

    まさしく。(名言です)
    「なぜバイクに乗っているのか?」の解を得たような気がします。

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    1. tkjさん、こんにちは。
      なんだか、他にピッタリくる理由が見つからなかった、というか、
      そういうふうに生きている命が自分なのだとしか、
      言いようがなかった……というところです。
      共感いただいて、とてもうれしいです。

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  2. 福岡の峠道では車はすぐに譲ってくれる人が多いです。
    先日は下りの左ヘアピンの入口で譲られて困ってしまいました。
    左合図を出して完全停止してくれたのですが、先が全く見通せないのにキャッツアイを踏んで反対車線に出ないといけないんです💦
    もしかして親切に見せかけた嫌がらせかと思いました(笑)
    後続にも自分にも安全な追い越させを実践したいですね^^

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    1. ダンボ1号さん、こんにちは。

      左ヘヤピンの入り口は困りますね。
      キャッツアイ踏まなくてはならないなんて、やめてくれ~という状態。
      でも、譲ってくれているから善意には感謝しなくてはならないし…。
      むむ。
      やはり、追い越しだけでなく、追い越させの技術も、独立して認識した方が
      いいのかもしれませんね。

      おっしゃる通り、
      後続にも自分にも安全な追い抜きを実践したいと思います。

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  3. 北海道はそうでもないけど、大都市圏の密集地帯は乗りたく無いね~。過密さから来るストレスに常時さらされるし、追い抜き、追い越されに
    変な意地を張る。また法治国家の日本は警察権力が幅を利かせて窮屈な交通法規。

    モトグッチの昔の広報担当者のコメントが面白い。高速で100キロなんて眠くならないのか?または早い車には譲るのが当たり前。
    郊外の道と云えども歩行者は慎重に道を渡る。ヘルメットを被るより気持ちいいノーヘルを選ぶ。
    家に帰るのにゆっくり走らない。何故か?早く家に帰って食事を取り休息するため。
    やはり、車社会の先進国なんですよ。意識が違うよね。

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    1. いちさん、こんにちは。
      交通に関する考え方、あり方は、場所場所でいろいろ違いますね。
      ヨーロッパはアメリカとはまた違うモータリゼーションの歴史があり、
      日本の道路行政やモータリゼーションの考え方も
      また独特のものがあるかと思います。

      ちなみに内閣府の発表しているデータによりますと、(https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h30kou_haku/zenbun/keikaku/sanko/sanko02.html)
      平成30年(2018年)日本の人口10万人あたりの交通事故死者数は3.7人。
      同年、イタリアは5.4人。アメリカは多くて11.6人でした。
      日本とイタリアの死亡事故状況を比べると、
      日本は歩行中の死亡事故の比率が多く、イタリアは自動車運転中が多かったです。

      世界的視野を持ち、地道に足元のことから。

      私も安全と、マナーと、そして駆け抜ける歓びをすべて満たせるように、
      どう走るのか、市街地走行でも考えないといけないなと思いました。

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  4. 素晴らしい記事だと思います。

    特に最近は樹生さんの仰られるように、「法規を守りさえすれば安全で、かつ官軍になれる」と思っている人達が増えたと思います。

    勿論法規を守る事は大切です。
    法規を守れば安全度は高く、守らなければ危険度が増します。
    しかし彼らの認識の問題は、法規を守れば無条件で安全が約束されると思っている点であり、それは非常に受動的な安全意識だと思うのです。
    法規を守っているのだから自分は安全であるべきなのだという絶対的な思い込みがあるので、法規を守らない(仮にそれが十分な安全を確保した上での違反であっても)人をまるで官軍にでもなったかのように攻撃をするのでしょう。それも神経質に。
    法規を守らない人を認める事は、法規を守る自分は絶対に安全を約束されているのだという思い込みを否定し、公道を走る以上は自分も危険の上に立っているという事実を認めてしまう事になるので、それを認めないためにも彼らは頑なに微細な違反でも攻撃をします。
    公道を走るという事は危険が伴う事だという普遍の事実を、認めようとしない危険性がそこにあります。

    しかし、その公道の危険性の存在を認めようとせず、受動的な安全に自分を誤魔化す事で、周囲の状況も読めず、硬直したライディングとドライビングとなり、自他共に危険な状況に追い込んでいる事に気付いていない、これこそが本当の危険なのだと私は思います。
    安全とは本来は能動的なものであり、能動的に安全な状況を創っていく事が、大切なのではないでしょうか。

    そして、危険な公道を、危険な乗り物であるオートバイを、いかに上手く賢く操り、安全に運行するか。
    死に近づきながら、いかに生を手繰り寄せるか。
    そこに、より良く生きようとする知恵や精神の向上、生の有り難さの実感があるのであって、
    極めて安全となり死が遠いものとなった現代社会の普段の生活では感じにくくなった「生き残る」という動物本来の活力を感じさせてくれる・・
    それこそがオートバイの本質なのだと私は思っています。

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  5. 名前の入力を忘れ匿名になっていました、すみません。

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    1. カメリアさん、こんにちは。
      最近は、他罰的傾向がかなり強くなり、ネット上では
      「これは悪い」という人を見つけて、自分は全然関係ないのにみんな寄ってたかって袋叩き、
      ということも、もう嫌になるほど見られているように思います。

      しかし、そういう精神性の問題というよりも、カメリアさんの仰るように
      「安全性の認識」の問題ととらえるべきなのかもしれませんね。

        安全とは本来は能動的なものであり、能動的に安全な状況を創っていく事が、
        大切なのではないでしょうか。

      まさにそうだと思います。
      状況を読み、対応するだけでなく、「状況をつくりだす」という発想が大事だと思います。
      周囲と調和しながら、自分と周囲の安全を図り、走っていく。
      自分一人や、自分勝手では作り出せず、周囲への目配り、心配りが必要で、
      かつ、独りとしての主体性が求められる。

      そうした総合的な行為がオートバイライディングですね。

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  6. 素晴らしい内容だと思いました、まさに読みたかった内容でした

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    1. 匿名さん、ありがとうございます!そう言っていただけると、とてもうれしいです。

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