2020年12月23日

僕らのライディングを。

ライテク再び。

もう、飛ばせない。
もう、事故できない。
もう、無理・無茶を楽しめない。

僕ら、アラカン世代、1980年代のバイク世代は、
~1960年代の第1世代、
1970年代、CB750、ZⅡの頃からの第2世代に続く、第3世代と言っていいでしょう。
それは、1980年代終わりから90年代のローリング世代(『俺サ』世代)より少し前。
Z400FX、RZ250、VT250、CBX400から、RG260Γから始まるレーサーレプリカ第1世代くらいまで。

漫画で言えば、ナナハンライダーは70年代第2世代。ワイルドセブンも第2世代。
バリバリ伝説、あいつとララバイ、ペリカンロード、最初期のキリンくらいまで。
バブルに浸る直前くらいまでのバイク世代が、徐々に還暦を迎えてきています。

この時代を代表するライダーとしては、
丸山浩1964年生まれ、
宮城光1962年生まれ。
辻本聡1960年生まれ。
宮崎敬一郎1959年生まれ。
などがいます。
その少し上としては
平忠彦 1956年生まれ。
和歌山俊宏 1954年生まれ。
柏秀樹 1954年生まれ。
もう少し上になりますが、
辻司 1952年生まれ
などがいますね。

我々世代としては、少し先を行く、和歌山氏、柏氏、辻氏などが、リーダーとしてライテク本を出版したりして、よく読んで勉強したものです。
もっと上の世代になると、
山田純(1950年生)、根本健(1948年生)などの大御所がいますね。

おっと、そういう話ではない。

別にライダーを世代別に分けることにそんなに大きな意味はない。
世代別以上に個人別の方が大きい。
だいたい括られたくないのがライダーというもの…。
それもまた、正しい。

しかし、一方で、確かに80年代世代、現在50代後半から60台前半くらいの世代に
なにか共通の「ライダー」という在り方のイメージがある。

それは、ずっと感じていたことでした。

その世代は、一つに、バイクに乗ることにかなり思い入れがある。
それも、その前の世代と違って、社会に対する反抗や怒り、というものとは少し違う。
また次の世代のように純粋にGPレーサーがかっこよくてあんな風に走りたくて…というのとも違う。

何か、不思議なあり方が、確かにあるような気がします。

そしてそのあり方に、例えば「ライダー」(”RIDER”)と名付けたとすると、このライダーというあり方は、確かに世代に特徴的なものではあるけれども、世代に限ったことではなく、もっと上の世代にも、もっと下の世代にも、ライダー的な人は確かにいるのでした。
もっと言えば、別にバイクに乗っているか、または乗ったことがあるかも関係なく、ライダー的人物は男女なく存在しているのでした。

おお、また脱線だ。
なかなか本論にたどり着きません。


さてさて、
そういう僕ら世代も、還暦近辺の齢となり、何かあった時の反応速度や、絶対筋力、筋持久力、視力、聴力、消化能力、疲労回復力など、目に見えて落ちてきている年齢となりました。

それを前提として、走り続け、できれば、事故を起こさず、事故に巻き込まれず、安全に、気持ちよく、バイクで走っていたい。
そのために必要とされるライディングテクニックも、一般的なものとは、少し違った側面も出てきていると思うのです。

まず、僕ら世代は、若い人たちと違って、バイクで走ることは、飛ばすことだった、という過去を持っています。

それを今やったら、危険であり、迷惑であること甚だしい。

また、僕ら世代は、かつて、一日に下道で1,000km(実際には20時間以上走り続けて)以上走ったとか、青森から鹿児島まで高速で給油と小休憩だけで走り続けたとか、ロングライダーだった人も多い。
今はもうそれはできないし、やってはいけない。居眠り運転や、注意力低下の運転は、自分だけでなく他人を巻き込む悲惨な事故を起こしかねません。

そういうかつての走りは、もう、記憶の中に眠らせてあげなくてはなりません。
僕等はイーストウッドの「許されざる者」のウィリアム・マニーではなく、失われた能力は忘れただけではなく、もう二度と戻ってはこない若さゆえの身体能力だったのです。

では、これからのバイクライフはどうするか。

老体にはちょっと辛いけど、万全の装備を買って、さすらい風のソロキャンプツーリングにでも行こうか。
無理するのは止めて、仲間と休みに無理ないプランでグルメツーリングして、景色のいいカフェで休んで写真や動画を取り、余裕を持って帰ってきてSNSでもう一回楽しもうか。
走るのが減った分、いじる方に回って、誰にも負けないカッコよさにカスタムした愛車で、道の駅や、ライダーの集まる展望台へ行って、お仲間の愛車と比べ合ったり、オリジナルグッズを交換したりして楽しもうか。

どれも魅力的ですが、
僕にはちょっとできそうもありません。

まだ消え残る走りの炎。
でも、無理はだめ、暴走もだめ。
何より醜いのは年寄りが集まってマナー悪く騒ぎまわったり、
迷惑走行を繰り返したりするシーン。

じゃあ、どうする。

どんなふうに走るか、なんて、それは、各自、好きにするしかない。

では、どう「走る」か、「走りそのもの」をどう考え、どう実践していくか。
ぼくら世代は、その課題にぶつかっているように思えます。

すでに、そんなテーマで雑誌ではいくつか、ライテクの特集が組まれ、より安全で、より楽しく、より美しく走るためのノウハウが、純粋に走りそのものを高めようとしていたものとはちょっと違ったトーンで、語られ始めています。

ライディングの本質は、年齢が変わっても変わらない。
しかし、かつて世阿弥が能について各世代でそれぞれに違った「花」があるといったように、ライディングにも、今の僕らには、僕らの走りというものがあるような気がします。

2021年からは、そういうことにも、少しずつ考え、記事化のトライをしていきたいと思います。


動き出しましょう。2021年に向けて。
そういう年末にしたいと思います。

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