それは、『新・日本の名木100選』(読売新聞)に選ばれた、ミズナラの樹のことだ。
僕も何回が訪れていて、一度は、ブログの記事にも書いたこともあった。
2007年の7月のこと、その時は霧の中、夕方6時を過ぎての訪問だった。
北海道の樹を訪ねて-11-千本ナラ(その1)
北海道の樹を訪ねて-11-千本ナラ(その2)
北海道の樹を訪ねて-11-千本ナラ(その3)
千本の 手のかなしさや 霧の中
和人
この、俳句とは言えない五七五は、2007年にできたものだ。
(どうして「かなしさ」なのかは、記事をお読みください。)
今日、8年ぶりだろうか、訪ねた千本ナラは、あの時よりも樹勢に健康さが感じられた。
おそらくは、樹木医や林業関係の人々などの手によって、ケアがなされたのだろう。
大枝のいくつかは落ちたか、切られたかしていたが、残った枝は元気だった。
千本ナラは海からいつも吹き上げてくる強風のもと、多くの枝分かれをしたミズナラが千本も枝をもっているようだと「千本ナラ」と名付けられたと言われている。
ミズナラは林道から木道の階段を少し下りたところに立っているが、同じ高さに並んで3本立っている。
樹齢は一番古い右端の樹で800年くらいだと推定されている。
この樹には、伝説がある。
北海道森林管理局の「浜益の千本ナラ(石狩市)」の頁には、以下のような説明がある。
日本海から吹き上げる風のため、枝が多数に分かれて空に向かって伸びている姿が、千本も生えているように見えることからこの呼び名がついた。この木に触れたり葉で患部を撫でると病気が治ったということから、御利益のある木、御神木としてテレビ報道され全国的にも有名になっている。年間約3,000人もの人が訪れている。3本の樹にはしめ縄がまかれ、木道の上には賽銭箱まで置かれている。
過去の落雷被害等により、現在は枝の一部を欠いている。
最近では「パワースポット」扱いされていて、病気の快癒だけでなく、いろんな願い事(恋愛運や出会い運まで)までアップするかのように言われていたりもしているようだ。
しめ縄や、樹を巻くネットに多くの「しゃもじ」が挟まっていて、それにはいろんな願い事が書かれている。
信仰を持たない僕は、しゃもじに願いを書いて樹に挟んだりはしない。しかし、そうした願いが真摯なものなら、自分が信仰を持たないことを理由に馬鹿にしたりは決してしない。いや、できないし、してはならないのだ。
しゃもじの文字を読むことは失礼にあたると思い、読んだりはしなかったのだが、一つ、目に入ってしまったものがあった。いろいろ細かく書いてあるしゃもじや、中には名刺や便箋を挟んだものもあったようだったのだが、一つのしゃもじが目に入ったのだ。
母さん頑張れ。
と書いてあった。
子どもの字ではない。父親が、病気の妻へ向けて書いたものだろうか。
あるいは、成人した娘が、年老いた母へ向けて書いたものだろうか。
いや、そんな詮索、想像も、失礼にあたるだろう。
僕がその場にいた30分くらいのあいだにも、車で家族連れが3組ほど来ていた。
賑やかに、話しながら、樹を巡り、駆け回る子どもの声が、暖かく幸せに響いていた。千本ナラ。
3本まとめての登録だが、一本ずつでも十分に大きい。
そして、主幹は太い。
今日は午前中の光の中で、葉を日に輝かせて、枝を風にそよがせながら、
堂々と、威厳ある姿を示していた。
僕は木道を歩き回ったり、林道に出たり、木道の階段に腰かけたりしながら、この3本の樹を眺めていた。
僕の老いた父も、老いた母も、今秋田県の実家で、病と闘っている。
妻の母は、今、実家を離れ、我が家に仮住まいしながら北海道の大学病院に入退院を繰り返している。
僕も50歳をいくつか過ぎた。
そういう年齢になったのだ。
ちょうど、人が切れ、僕は一人きりになった。
僕はしばらく腰を下ろしたまま、いろんなことを考えていた。
やがて僕は立ち上がると、ゆきかぜの待つ林道へと、木道を上って行った。
(つづく)
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