2017年6月26日

言問(4)


「言問の松」は、いわゆる「巨樹」として登録されているものとしては、日本最北のものだと思う。昭和終わりごろから枯死が進み、保護のために柵が回されている。

その柵が冬の強い季節風に倒れて、枝を落としてしまう事故もあり、柵が修復されるとともに周囲を取り囲むように気が植えられ、小さな防風林となっている。
「言問」の語源や記念樹木になった由来については、古い看板が教えてくれている。


周りを見ても、殆ど高い樹はない。
そしてここでは、水田は寒すぎてできない。畑も、今ではハウス栽培など、いろいろできるが、メインになっているのは牧草地。つまり、それだけ寒いのだ。
そこで「開拓」に入った人たち。
毎年冬に襲う猛吹雪。
やせた寒い土地。
なんとか蕎麦などの穀物を育て、海産物を取り、暮らしてきたはずだ。
(もちろん、木材などの資源を伐っては本州へ運ぶ、そうした基地としても役割があったわけだが。)

今では、行き場のない核燃料の最終処分場所として地下深く埋める、そのための研究施設が近くにあったりする。何万年も放射線を出し続ける核のゴミを、放射線が漏れないように厳重に覆って、地下深く埋めるというのだ。
やがて地殻変動で地形が変わったときに、どうなるというのだろうか。
それまでに必ず放射能がなくなっているとでもいうのか。
国が主導する研究が進んでいる。





言問の松。
訪ねるのは、3回目だ。
2回目に訪れた時よりも、また少し小さくなったような気がする。
強い潮風、冬の猛吹雪、枝は西側が東へと折れ曲がるように持っていかれている。
そんな中で、推定1200年も生きてきたのだ。

幹は殆ど石化しているように見える。
根からの水分は、どこを通っているのだろう。


しめ縄が張られた主幹。幹の周りは一周4,2mあるという。
不思議だ。
生と死が、同居していて、矛盾していないような、不思議な光景だった。

枯死したように見える枝は、白骨の林を連想させる。
でも、新しい葉は、みずみずしく、薄い緑色は可憐で、とても柔らかい。

言問の樹。
僕は何を、問いに来たのだろう。


足元は整備され、花が一面に咲いていた。
小さな命たち。



兜沼が見える。
サロベツ原野が広がるこの辺りは、湿地帯でもある。
兜沼までの緩やかな傾斜の平野は、牧草が植えられ、最近刈られた跡がある。
新鮮な牧草。そのまま牛が食べることもあるが、牧草ロールにして、冬まで発酵させ、寒い冬の間の飼料になるものも多い。


停めてあるあるゆきかぜ。
ゆきかぜは言問うたりはしない。
イタリアに生まれ、日本の北海道で走っていることを、
「なぜ」とか、「これからどうなる」とか、
訊いたりはしないだろう。

「なぜ」と問うのは、人間だけ。

僕は、何を問いに来たのだろう。

言問の松の前で、何も問えないまま、しばらく時を過ごした。
(つづく)

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