幌加内を過ぎ、国道医275をただ走る。
本当に走るだけになってきた。疲れてきているのだ。安全に気をつけるよう、気を引き締める。
沼田町を過ぎ、北竜町を過ぎ、雨竜町を過ぎて、ちょっとだけ裏道へ入り、新十津川から農道を南下して、国道275に帰って来てみると、かなり混んでいる。
浦臼あたりで、渋滞となった。いくら日曜でも、こんなに混むことはめずらしい。
どうして…と見ていると「新そば祭り」とあった。それにたくさんの車が来ているのだ。
さすがに、この渋滞を延々行くのは、疲れた身には危険を感じる。
予定を変えて、国道275を外し、石狩川を渡って奈井江に向かうことにした。
奈井江から国道12号を南下し、美唄市で給油する。
ハイオクはリッター182円。14.48ℓ入った。距離計は688.5km。
稚内の給油から367.5km走ったから、燃費は、25.38km/ℓ。
前半が約24km/ℓ、後半は約25km/ℓ。これくらいは給油の仕方にもよるから誤差と見てもいいだろう。旅での燃費はだいたいこんな感じだ。
11年目に入り、5万7千km走ってこの燃費なら、まあまあか。
美唄から道道33号線に入って、国道をそれ、石狩平野の中、交通量の少ない道を選んで走った。
上の写真は、上美唄近辺。旧美唄川沿いの道。
道道139号線を走って、北村、そして新篠津への橋を渡る。
この美しい斜張橋は「たっぷ大橋」、陽がだいぶ傾き出した。
ここからも道道139号線を行く。
疲れを自覚し、ペースを落とし、安全運転で。
新篠津村を何度か直角に折れ曲がりながら走る道道139号線。
南に向かう道の脇の田んぼに、ゆきかぜと自分の影が長く伸びていた。
こういうのは好きだ。
まだ30代になりたての頃、広島から九州へツーリングに出た時も、こういう景色の中を走っていた。出水市のあたりだったと思う。
夕暮れ時、家路を急ぐというのは、特に旅にあっては、懐かしい。
道道139号線、石狩大橋を渡る。
以前はここが国道339号線の橋で、この橋がなまえの通りメインだったのだが、2005年に少し上流に美原大橋ができて、そちらがメインの橋になった。写真の左端にその斜張橋が小さく見えている。
道路も、橋も、どんどん改良、立派になっていく。
橋を渡ったら堤防沿いに石狩川を少し下り、国道275に合流した。
左側に流れているのは、豊平川。札幌市の市街地を流れる川だ。
陽が沈む。時刻は午後5時10分くらい。日没前に札幌市に帰ってきた。
右手に見える木造の建物が札幌市の時計台。
札幌市の中心部に帰ってきた。
午後5時15分過ぎ。距離計は751.1km。
14時間かけて走ってきたことになる。
そこからしばらく走って、家に着いた。
疲れはあるが、それからスーパーへ買い物へ行けたくらいだから、まずまずだったろう。
振り返ってみると、今日の走行は平均時速で50kmを上回っている。高速道路に1回も乗らなかったのに、下道だけでこのアベレージは、日本では北海道でしか、なしえないことだろう。それは、走り出したら何10kmも全く信号がない道ばかりをつないで走ったからだ。
そして、14時間ほとんどを走っていた。トイレと、2回の給油と、最小限の食事(カツ丼の時が最長の停止時間で15分弱だったか)でしか停まらず、写真も殆ど撮らず、走りながらアクションカメラを回したり止めたりするだけで、走り続けてきた。走っていない時間は合計してもたぶん40分もない。
これは休憩が少なすぎる。ただ、止まった時には必ずヘルメットも脱いで、体操をしている。
朝の3時に出たのも大きい。札幌を抜けるのにかかる時間が大幅に削減できたからだ。
こんな貧しいツーリングは、むしろ、ツーリングとは呼べないかもしれない。
ただ走るだけの一日。
「一日かけて、下道だけでゆきかぜ号と自分の組み合わせでは750kmは走れることがわかった。」
って、何? それがどうした? という話だ。
むしろ、安全に行けてよかった。無事故で帰ってこられたことに感謝しよう。
齢とともに、体力を温存しながら長く走るすべを、身に着けてきている。
落ちて来る体力、運動能力、動体視力、反射速度などを補うような運転とツーリングプラン。そしてそれでもトータルでは落ちているという自覚。
それらなしでは、こういうツーリングはできない。
問題は明日、どれくらい疲れが抜けているかだが…。
今回は写真をほとんど撮っていないので、記録は動画ファイルを見ながら思い出しつつ、まとめていくことになる。
動画と、写真では、旅の記録が全く異なることも、その度もかなり異なることも今回、改めて感じた。しかし、その話は、また、機会を改めよう。
まずは無事に生還できて、良かった。明日に備えて、早めに眠ることにしよう。(完)
樹生さん、こんばんは。
返信削除樹生さんが本当に求めること、ひたすら弾丸のように走る姿に、
求めていたこと、樹生さんの芯のところが見えた気がして、
これまでのこと、長い中にはときには思うように走れなかった日々も、
いつも何処か心のうちで、本当に求めていたことなんだと思いました。
ときには自分が欲っするままに走ること。
何を求めているかなんて自分にしか分からないことですが、
いつしかそれは、譲れない誇りの中のひとつかもですね。
「一日かけて、下道だけでゆきかぜ号と自分の組み合わせでは750kmは走れることがわかった。」
これ以上は危険な距離、自分もそれを計りながらブレーキの目安にしています。
私の場合は350km超えると無理なので、自覚して組み立ててます。
その確認って大事な気がします。
無事に帰路について良かったです。
あの日あの空の下、まさか樹生さんが最北端を走っていたとは(^^)
selenさん、こんばんは。どうして、わかっちゃうんでしょうか。
削除ふだん眠らせていても消えない、20代の頃から、もしかして自転車野郎だった10代の頃から変わらない、衝動のようなもの。ずっと奥底にあって、理屈をいろいろ言っても、やっぱりその思いが、僕を衝き動かしているような気がします。
それでも、もう還暦も過ぎたので、安全に、確実に。
いつまでも走って行きたいです。
selenさん、ありがとうございます。
750km、お疲れ様でした!!
返信削除走れるところまで走る。
目安にしている場所はあっても、必ずしもそこを目的地にしてるわけじゃない。だから、行けると思えばそこを越えても走るし、無理だと思えば引き返す。
ただ走りたい。
樹生さんが時々テーマにされている「ライダー気質」なのだと思いました。
自分の話で恐縮ですが、僕がblogを書くとき、景色や食べ物、写真を撮りたい、仲間と過ごしたい などの「目的」があるときは”ツーリング”。
ただ、バイクとの対話を楽しみながら走りたい(休憩はあったとしても)ときの投稿には”RUN”というタイトルを付けてます。
だから、僕が同じことをしてblogに掲げるとすれば、「230924 ロングRUN」なんてタイトルになるのかな?などと思いながら読ませていただきました。
それにしても、走りましたね〜
僕とsport なら500はちょっときついなぁ〜
HiroshiMutoさん、いや、今回は少し疲れたかな…ありがとうございます。
削除でも、SPORTで京都から新潟まで一気に来たMutoさんの方が、びっくりだと思いますけど。
「RUN」=「走り」ってとらえ、ネーミング、いいですね!だいぶ前、バイクJinが創刊されたころ、たしか根本健氏が「旅ともツーリングとの言えない走り…」という連載を持っていたような記憶がありますが…。
最近ではたくさん距離を走ることを「距離ガバ」と言うらしいですが、ヤエーと同じように、どうも私にはなじめない語感です。
いやでも、久しぶりに一気走りして、すっきりした感じです。