2024年2月25日

「ライダー」というあり方(序)

 

1962年生まれ、70年代のバイクブームの時に小~中学校を過ごし、80年代の大ブームの時に20代になり、自分も走り始めた僕には、当時、僕の周りの人たちにあった「バイク乗り」の概念、「ライダー」としてのあり方が、今でも自分の中でベースになっています。


それは、以前のブログ「聖地巡礼」でも繰り返し書いてきたことなのですが、2020年代に入ってさらに最近、「ライダー」としてのあり方が社会の中では、かなり認知されなくなってきていて、このままなくなってしまうのかもしれないなあ…、という気持ちがしています。

別にどうでもいいこと。

誰かに押し付けるものでもないのですが、僕と同じ世代の、同じ時代にバイクで走り始めた人たちの中に、同じような精神性を見出すことがたまにあり、やはりこれは、僕だけの個人的趣味や性向だけのことではなく、〈世代〉として、ある時代のバイク乗りの間に共通して流れていた「ライダー」という概念なんだなあ…と思うのです。

そしてそれは、僕が今でも大事に思っていることでもあるし、これからも大切にしていきたいと思っていることでもあります。

2007年のブログを始めてから、もう何回メカのリバイバルなのですが、「ライダー」という在り方について、考えていきたいと思います。

断続的に、書いていきたいと思います。以前と違い、順不同というか、思いついたものから書き進む予定ですので、ずいぶん取っ散らかったものになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

2 件のコメント:

  1. 樹生さんらしいテーマだと思います。
    バイクに乗っていれば、「ライダー」なのか?
    それでもいいのですけれどね。
    うまく言えませんが、僕にとってバイクに乗るということはカッコ良さの象徴のような意味を持っているかも知れません。
    その「カッコ良さ」というのは、一つはブレないこと。自身を貫き通せることなのかなぁ、などと思ったりします。
    乗り方だったり、スタイルだったり、人によって様々なのでしょうけど。
    群れて周りに迎合するのではなく、周りはどうあろうと、自分でいられるかどうか。
    「紅の豚」の名台詞、「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」や
    東本昌平の「我が名はバイク乗り」なんてのが、グッとくるんですよね。
    バイクがどんどんレジャー化して「楽しいもの」になっていくのは良いことだとは思うのですが、その風潮に「何だかなぁ」というスタンスを取ってる僕は、単に捻くれてるだけかも知れませんね。

    返信削除
  2. HiroshiMutoさん、おっしゃるように、バイクがライトなレジャーとなって「ノリ」で乗ったり走ったり、買ったり語ったりするようになったなあ…と思います。
    どうやら2024年は「バイクブーム去る!」とかで、「転売の価格が暴落するぞ」とか、「もう巷に溢れかえったバイク女子は飽きられる」とか、なんだか、「トレンド」や「市場効果」、中身ではなく、流行ったかどうかがメインの話題みたいな扱いを受けている感じもしますね。
    それはそれで、「社会現象」というヤツでしょう。一方でバイクは事故を起こすと、あるいは巻き込まれると、命を落とすこともある趣味ですし、僕らのような人間にとっては、自分の生き方にかなり食い込んでしまっているわけで、それが巷でもてはやされそうと無視されようと貶されようと、大事にしたい思いも、やはりあります。
    2024年現在でも、そういうライダー文化を大事にしている人たちもいて、そうした思いは存在しているということは、ひそやかにでも発信したいなあと思いました。上手く書けるかどうか…。今日の時点ですでに、3本の原稿がボツになっていて、なかなか書けてません。……でも、楽しみながら、書いていきたいと思います。

    返信削除