一年の6分の一は過ぎ、そしてまだ雪深い札幌にも、春の訪れの近さを感じる頃になった。
最近、インスタグラムを始めて、まずは開設し、そこに正方形の写真を順にあげていこう…ということで、「ゆきかぜ」を購入した2013年以降の写真アルバム(フォルダ)の中から、正方形に切り取ってもなんとなくバランスの取れるもの(これがなかなか見つからない…)を探し出してはちょっとずつ上げている。
最近、インスタグラムを始めて、まずは開設し、そこに正方形の写真を順にあげていこう…ということで、「ゆきかぜ」を購入した2013年以降の写真アルバム(フォルダ)の中から、正方形に切り取ってもなんとなくバランスの取れるもの(これがなかなか見つからない…)を探し出してはちょっとずつ上げている。
すると、その時々のゆきかぜ号の姿や、自分自身の姿を見つけるわけだが、その変化に、わかっていたものの、改めて驚くことが多いのだ。
特に自分は、51歳になろうとする自分から始まって、61を越えてくる自分まで、写真に時々映っているわけだが、見た目がかなり変わっていた。
まず、姿勢…というか、雰囲気。
50代前半はやはり若い。60を越えてからは、姿勢が悪くなったようには見えないが、やはり力が落ちている感じが映像からもする。
髪も黒かったが、今はほぼ灰色でてっぺんは広範囲にかなり薄くなった。
バーコード状になるのがなんとなく嫌で、すると、全体的に髪が短くなってくる。
顔や手のシミも増えた。
いや、それが悪いことと捉えているのではない。
また、戻りたいとも思わない。
ただ、時は流れ続けていくし、20年後には生きていたら80代になっているなあ…
と思ったのだ。
ここ1,2年、やはり還暦を過ぎてからだろうか、特に「還暦」というイベントにつられたわけではないのだが、身体の変化を感じ、また、バイクライフの終わりのカウントダウンがはっきりと始まったように感じ出している。
やりたいことを我慢して、先に送ることで後で回収しようとする(例えば年金を払って行って老後にもらう…みたいな)そんな発想は、通用しない年齢にかかりだしているのかもしれない。
そんな気がしているのだ。
2013/11/4 11:04 栗山町 |
90で死去した僕の父は、70を過ぎてから原付免許を取り、ホンダのスーパーカブを購入した。カブを降りたのは2016年の秋。死去する1年前、89歳の時だった。
そういう生き方もある。
カブなら、できるだろう。
だが、その時までにやりたいことは、まだまだあるのだ。
焦る気はない。だが、時は惜しい。
「ずっと夢を見て安心してた」
というのは、僕はできれば、したくない。
少しずつ、60代でできることをする準備を始めよう。
たぶん、70代には70代の、バイクライフがあり、
うまく行けば、80代のバイクライフも、送れるかもしれない。
そのためにも、思いを残さないために、
60代のバイクライフを、作っていきたいと思う。
僕たちはいつもバイクと共に在ったんだなぁと、
返信削除いつの間にかそして自分の一部として、
なんとなく今になってそう感じるようになりました。
初めてバイクで走った10代、がむしゃらに走った20代30代、
迷い続けた40代、そして50代を走り、これから60代。
そのときどき、奥底から求めてきた時間は、
最近になって、これまでいつもバイクと共にあったことを知りました。
いつのまにかそれが自分のバイクライフになっていたのかもですね。
これからまた自分が知らない自分を、バイクライフのなかで、
60代も、70代になっても見てみたい気がしています。
34se.selenさん。
削除振り返ってみれば、年齢とともに、ライフステージとともに、
バイクライフのあり方も、変わってきていたのかと思います。
私の場合、いつの時も、車上の自分が、その時々の
自分自身を確認する場、または、自分自身に戻っていく場と
なっていったのかもしれません。
これからは、下降していく体力とともに、
その時々のリアルな自分を乗せて、
走り続けていければと思います。
バイクと共に在ることが、今までの人生の積み重ねとして
自然なことになっている
できるだけ長く、走って行きたいと思います。