1995年頃から終刊まで、ずっと毎号本屋へ行って買い求め続けてきた雑誌だ。
編集長の佐藤康郎氏とその仲間たちによってつくられ続けた、素晴らしい雑誌だった。
僕はこの本で、バイク工学的なことをかなり学んだ。
特に整備に関して、ノウハウではなく(結果的にそれも学べたが)、どういうところが勘どころで、何が難しいか、等を、長年にわたり、さまざまな角度から、学ぶことが出来た。
それこそ、洗車の仕方から、エンジンのオーバーホール作業まで、一流の技術の詳細な紹介がこの本にはあったのだ。
そして、知れば知るほど、バイクは総体としてバランスの産物だということを思い知らされた。
例えば、Fフォークのピンチボルトを鋳鉄のボルトからチタン製に変えただけで走りが変わってしまう。
鉄ボルトをアルミボルトに換えると電蝕を起こしてサビてしまう…というのは有名な話だが、サビ以外にも、ネジの場合、金属の持つ硬さや粘性によって締結具合までコントロールしているから、ボルトを換えたときはそうしたことまで計算して締め付けを行わなくては設計通りの性能は出ない。
工場出荷時のバイクは、万一の緩み防止のためにたいていオーバートルクで締まっているが、それを規定トルクで締め直すだけで、誰にもわかるほど走りが変わってしまう。
それは、走りが上質になるのだ。本来の設計通りの状態になった時に、バイクがいかによく走るものか。
遊び方を教えてくれるものは多くあるし、
それをいかにもたのしそうにワイワイやっているものも多い。
しかし、こうした地味なところまで、徹底的に何年もかけて検証しつつ解き明かしていくものは少ない。
「そんなこと気にしなくてもバイクには乗れるし、困らない。」
それはそうだ。
気にした方が楽しいからそうしているだけで
気にならない人は、危険でない限り、気にする必要はない。
「バイクになんてわざわざ乗らなくても、人生困らない」のと同じだから。
どうでもいいことにこだわってしまうものだから、
これは自慢できることではなく、
そういう好みにのめり込む人を Enthusiast と昔は呼んだ。
後ろめたさを感じながらも、
好きなことにのめり込んでいく。
できるだけ、人に迷惑かけないように。
そういう、熱意と、うしろめたさの同居したバイクメディアが
減ってきたような気がする。
命がけの遊び(死亡事故も起きるのだから)に
能天気な全肯定もおかしな話だし、
だからといって叩きまくるのも変だ。
ひそやかに、ほそぼそと。
趣味とは元々、そういう、後ろめたいものだったのではないだろうか。
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