2024年3月12日

賢くあらねば。


 あとひと月ほどでゆきかぜ号が冬期預かりに出したZOOMさんから帰ってくるのだが、そうすると12年目のシーズンに入ることになる。

ゆきかぜでの転倒は2回。いずれも購入した2013年のことで2回とも「立ちごけ」。

最初の立ちごけは8月、林道で急な上り坂の途中で分岐を間違ったことに気づき、止まったとき、足元の土がずるっとずれて、そのまま支えられず倒してしまった。

2回目の立ちごけは、たしか10月末。職場の帰りに、ニュートラルで押し歩きながらセルを回し、エンジンがかかったので歩きながら左足をステップにかけ、右足を跨ぎながらギアを1速に入れようしてエンスト、そのまま倒れた。

どちらも、しなくていい転倒だ。


それ以来昨シーズン末まで、転倒も車体だけ倒すこともなく、過ごした。
丸10年無転倒は、恥ずかしながら僕のバイクライフでは最長記録を更新中というわけだ。

けっこう転んだりしてきたバイク人生だったが、50代から上記2つのあと、ピタッと転ばなく、倒さなくなった。

それはどうしてかというと、扱いが上手くなったわけでもなく、単に「もう転ばせられない」という思いが強くて、用心深くなったからだ。

若さを失っていく中で、走る続けるためには、事故や転倒はできるだけ避けたい。
また、免停も避けたい。

反応速度や、運動能力、視力、持久力などが次第に低下していくなかで、ベテランの財産といえば、今まで走ってきた経験だ。

特に、事故や転倒、ヒヤッとした記憶などは、自分のものだけでなく、遭遇した他人のものなどでも、身体に沁み込んでいる。
「こういう場合はマズイ」という経験値が感覚として積み重なって、事前に危険を避ける能力は、若い頃よりも伸びている。

混合交通で周囲の車や人の動きを見ることや、見る中でできるだけ広範に予測をたて、しかもその予測に囚われずにいないといけない。
その能力は、確かに段々成長して来てるとは感じる。
街中でも郊外でも、「ヒヤリハット」はかなり減った。

が、時々、「あっ、今は見てなかった」という時がある。
例えば後方から急接近してきた車やバイクに気づくのがかなり遅れたりなどだ。
いつでも完璧に、は無理にしても、確認が落ちた時に事故になってしまえば、せっかくのよ用心も水の泡だ。
事故と言うのは、そういう時を狙いすまして起こるものだから。


若さを失った60代以上のライダーとしては、
その分、賢くあらねばならない。

どこまで「はしゃいでいいか」を冷静に、正確に見極める力が必要だ。
マナーの悪い車やバイクに、アツくなってしまわないこと。
常に危険察知のアンテナを張っている状態にして、危険を遠ざけつつ走ること。
自分の疲労度を正確に把握すること。

そうした賢いあり方が、さらに重要になってくるだろう。

そして、旅立つ心。

それらを友に、走り続けていきたいものだ。

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