2024年8月15日

真夏日の逃走2

暑い中、山中牧場のソフトクリームを食べて、少し人心地をつけ、
トイレ休憩も済ませた。(齢をとってくると、トイレ休憩をこまめに取ることも大事になってくる。)

それから少し走って、赤井川村の道の駅に到着。

ここで家族へのお土産にトウモロコシを買う。
朝もぎの地元のトウモロコシが段ボール箱に入って、ドンドンと積まれている。
1本120円は確かに安い。

道の駅はこの2、3年、どこも大変に賑わうようになってきた。
ニセコの道の駅は、以前から大盛況で、ずっと混雑しているし、新しい道の駅もどんどんできて、どこも人で一杯という感じ。
地元にとっては大変うれしいことなのだが、大勢の人の密集状態が苦手な僕にとっては、道の駅による機会が大幅に減ってしまうことになっている。

赤井川の道の駅は、道内でもそれほど有名な方ではないと思うのだが、それでもいつでも車が多く並び、人も多い。


バイク専用の駐車スペースは、建物から遠いところにあり、そこに停めるライダーもいるのだが、建物近くの一般の駐車スペースに並べて停めるグループツーリングの人たちも多い。

高速道路のPAなどでは、二輪は割と建物の近くに停めさせてくれるところが多いのだが、北海道の道の駅では、バイク用の駐輪スペースがなかったり、会っても分かりにくかったり、建物から遠いところだったりすることもある。


2020年からのコロナ禍は、一方でバイクのリバイバルブームを生んだらしい。
同時に、1980年代のバイクブームの頃の人間がこぞって還暦世代となり、再びバイクに乗り始める好機ともなり、さらに、Youtube等の動画の広がりで、若い世代のバイクへの関心や、「バイク女子」(バイク女子を喜んで見ているのは殆ど僕のような中年以上の男たちらしいが)の流行り(?)もあって、バイクへのイメージも僕が若い頃から見れば大きく様変わりした。

まず、とんがったところがだいぶなくなった。
殺気を放っているライダーも殆ど見かけない。
たまに(よく?)見る、集団でイエローラインでも車列をぶち抜きながら飛ばしていく(ちなみにイエローラインははみ出し禁止なので、対向車線にはみ出さなければ、追い越し自体は違反ではない)、速いバイクの一団から発せられているのは、殺気や緊張感とは真逆の、緩み切った甘えと虚栄心だ。
それらの集団は走っている時もそうだが、道の駅や、絶景ポイントなどの道端でも、傍若無人なふるまいで、周りの人達の顰蹙を買っている。
それらの集団もまた、若い人たちではない。ほぼ、僕と同年代のおやじたちだ。

飛ばしてた昔の思い出とか、いつの間にか脚色されて大きくなってしまった武勇伝とか、かつてはできなかった追い越しを瞬時にやってのける最近の高性能バイクとか、そういうものたちの紡ぎ出す夢と、それらを共有してると錯覚させる似た者同士の甘い関係の中で、現実感が次第に麻痺していく。

いや、そんな人たちはごくまれ、ごくごく少数なのだが、いかんせん、目立つから、そういう不快感を周りにまき散らすことになる。

これは、自戒すべき傾向だろう。彼らの内面性は、僕が勝手に想像して語ったものに過ぎず、その内面性こそ、僕の中にあるものなのだから。

同時に、不快なもの、叩いても良さそうな分かりやすい小さな「悪」を見つけては、蟻のようにたかってSNSで叩きまくる、そうした傾向にも、自分が陥らないように気をつけなければならないと思う。
そのような悪口は、実際、昔はその場で言っていた。口に出して言うことで、それ以上自分の感情がエスカレートすることを止めることもできたから。しかし、それが人の目に触れ、永く残ってしまうSNS上だと、話が違ってくる。しかも、自分が消しても、誰かがスクリーンショットで記録して転載、拡散したら手遅れになる。

便利になった。
とても便利になったこの世の中だけど、
それ以上に、慎重さが必要になってしまったことも、間違いない。
僕みたいなやつは、そのことに息苦しさを感じてしまう。

そんなに人は24時間いい人ではいられない。
時にズルもしたくなるし、毒も吐きたくもなる。
嫌いな奴に鉄拳制裁を加えたくもなるし、
どうしようもない自分が辛すぎて、消えてしまいたくもなる。

そんな時、誰にも迷惑かけずに発散するのがゲームだけでは寂しい。
スポーツだけでは健全過ぎてつらい。相手が必要なスポーツは、それはそれで面倒だ。

だからって、バイクってわけでもないだろうが……。

や、今日はいつに増して思考がマイナスに触れていく。
せっかくツーリングに来たのだ。
気持ちを立て直したい。

幸い、思ったよりも体力は残っている。
ここから引き返すつもりだったが、もう少し走ることにしよう。
(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿