2015年8月26日

夏・海・走(5)


北竜町のヒマワリ公園を後に、国道275号線を石狩川に沿って南下する。
札幌へ向かって帰って行く道だ。

時刻はまだ、12時半。

夏の昼の陽射しが、石狩平野の北の端にそそいでいる。





北竜町を出て20分ほど南下すると、国道は一時石狩川の広い河川敷を残した堤防の上を走る。
そこに、標識が立っている。

石狩川、河口から100kmの看板だ。

写真は北方向を見ている。看板から右は石狩川の河川敷だ。

石狩川は、川の長さ264km、流域面積14,330㎢。長さは日本3位、流域面積は日本2位の大きな川だ。



東側を見る。
ここが堤防で、奥に向かって河川敷が広がっている。
川は黄色の花の向こう、灌木の茂みの向こうあたりに流れている。
その向こう、広い緑の草原に見えるのは、河川敷だ。ずっと向こうに何となく、堤防の向こう側が高い水平ラインとして感じられる。

河口から100kmでこれは、確かにでかい。
ずっと向こうは滝川、深川の方面だ。



 南側を見る。
これまた、どこまでも広い平野が続いている感じに見える。
なにより空が広い。
北海道は広いなあ…と感じる光景だ。

停まっているゆきかぜの向こう、斜め前に川の水面が少し見えている。
車の右手には、動物が見える。


馬だ。
河川敷内だが、放牧地になっている。
横になっているのは、今年生まれた仔馬。昼寝している。安心して横になって昼寝できるのは、大人たちが周りを守っているからだ。
一番近くにいるのが母親だろうか。
競走馬とは違う馬体。
がっちりしている。
道産子だろうか。 (道産子(どさんこ)とは、元来北海道産の馬のことを指す。)
昔、といっても昭和30年頃までは、道内には馬車が多かった。
冬は馬橇(ばそり)を引き、大切な運搬手段だった。
馬は、農耕馬としてだけでなく、運搬でも人間のパートナーとして欠かせないものだった。
つい6~70年前までの話なのだが。


バイクを鉄馬と呼ぶ人もいる。
ハーレーダビットソンなどは、そんなイメージが濃厚だ。
フルカウルのスポーツモデルとなると、馬という感じではなくなるが…。
シングルやツインのビート、ドドドドっと地面をタイヤが蹴って進む感覚。
これらが、オートバイを鉄馬と呼ばせる要因なのだろう。

ゆきかぜ号は、鉄馬と呼ぶには少し小さい感じだ。
もちろん、ガソリンを燃料として積み、電子制御の点火と燃料補給システム(フューエルインジェクション)を持つ、二人乗り乗車用機械なわけだが…、

走っていると、どこか生き物めいた鼓動や表情を感じることもある。
これが空冷二気筒エンジンの、ひとつの特徴でもあるわけだ。

たくましく、ある意味ではなまめかしく、また見方によってはかわいい、V7のデザイン。

ひとつの表情に決まらないのもまた、どこか生き物めいているのかもしれない。


さて、
ぐだぐだと言ってないで、帰ろうか、ゆきかぜ。
明日は仕事。
帰ったらその準備。
あと100kmで河口の街、札幌だ。

(「夏・海・走」 完)

2 件のコメント:

  1. こういう写真をみていると、北海道に帰りたくなる。
    道産子じゃないのに。でも27年の暮らしと自宅があると、
    帰っていくのはやっぱり北海道かと思う。
    バイクだけがずっと連れ添ってくれる人生で、
    厳しいときもさみしい時も 心を休めてくれたのが 広い なにもない
    冬は寒い、そして澄んだ空気とともにやさしく心に沁み広がる
    北海道の風景だったと 写真をみて思いました。

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    1. kaoriさん、こんにちは。
      ありがとうございます。

      5歳年上の僕の友人が言ったことがありました。
      「人を慰めてくれるものは二つしかない。人か、自然かだ。」

      秋田生まれの僕は、北海道の風景の中を走っていると、
      あんまり美しくて、さびしくて、悲しくて、
      泣きたくなることもあります。

      それでも北海道で子どもを育て、仕事をし、家族とともに生きてきました。
      子どもにとって故郷は、北海道になりました。

      kaoriさん、北海道の風と空と、大地は、いつでもここにあります。
      いつでも、kaoriさんを待っています。

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