「あの函崎さんて女性、誰なんですか?」
ぶしつけだとは知りながらも、僕は訊かずにはいられなかった。
「ただのレーサーとは思えない。そもそもあれだけの容姿でレースをしていたら、なんでもいいから盛り上がればバイクのためだとか思い込んでいるメディアが食いついて話題になっているはずだから、レーサではないはずです。それに、あの乗車姿勢は、ただ速く走ることから生まれるものじゃない。でも、速く走らなければ、生まれない姿勢でもある。おそらくですが、函崎さんは、相当に速い。それも、レースとか、ジムカーナとか、そういう競技系の速さじゃない、別のものだ。そして、田中さんは、その彼女の速さに応えるマシンを作り上げているのでしょう。いったい、誰なんですか。」
(作品中に出てくる名称はすべて架空のものであり、実在のショップ、メーカー等とは一切関係ありません。)
「佐藤さん。」
田中さんは言った。
「函崎さんは特にだれでもない、函崎さんですよ。私の大切な客の一人です。」
「それはそうでしょうけれど。」
少し醒ませと、田中さんは言いたいようだ。
店の中では奥さんが待っていた。
「佐藤さん、珈琲のお代わりをどうぞ。たぶん、函崎さん、20分くらいで帰ってきますから。」
奥さんは僕のために2杯目の珈琲を淹れてくれていた。
「ありがとうございます。すみません。」
僕はいすに腰かけ、珈琲をいただいた。
「あれ?香りが違いますね。」
「ああ、さっきと豆が違います。ええと…、何て言うのだったかな?よくわからないのですけど。」
奥さんはそう言って笑った。
「佐藤さん。」
田中さんが僕に話しかける。
「さっき佐藤さんは、V7が函崎さんの速さに応えるものだといったでしょう?どうしてそう思ったんですか?」
「あのマシンは、フリクションロスをできる限り小さくするように組まれていたでしょう?どこもかしこも、無駄なひっかかりや、動作を不安定に渋くしてしまうものを乗り除く作業が、徹底的にされていた。特にパワーアップするわけでもなく、派手なカスタムではないし、外見に関しては、ほとんどいじっていない。まるでカスタムしていないような外観で、まったく違和感がない。つまり、それは応答性をできるだけリニアにしているということですよね。」
「そうありたいと思っていますが。」
「でも、それは誰もが望むわけではないし、その違いに気づかない人が殆ど、大部分でしょう。多少ひっかかりがあっても、大パワーアップしてしまえば、ごり押しで持っていけるし、バランスの悪いところをダンパーでごまかすこともできる。派手な外見は、多少の違和感を意匠としてプラス評価させてしまう。…でも函崎さんのV7はまるで逆でした。そこまでやるのは、それは函崎さんがそこまでわかってしまう、もっと言えば、そこまでを必要とする乗り手だからだと思います。」
「……。」
「ポジションも、長時間街中でも走り続けられるような、無理なくどこかの筋力だけに頼らないポジションになっていました。でも楽な姿勢というのとは違う。あのマシンは最近はやりのボバータイプのような、見せる、見られることを優先させたものとは違って、長時間、速く、遅く、あらゆる走り方で走り続けることや、ぱっと停まって、またぱっと走り出すようなことまでも重視して、走りに関してはスタンダードでもオールマイティな、言ってみれば当たり前のことを当たり前にできるように、できる限りのことをしているマシンです。当たり前のこと、普通にやっても表面上そんなに差の出ないことに、ここまで手間暇と、お金、コストをかけられる人、かけることをする人は、そういるものではありません。函崎さんは、そういう人なんですね。」
「まあ。佐藤さん、よく考えて、よく当てられるのね。」
奥さんがちょっとオ―バーに、おどけて言う。
「まあ、だいたいそうういうところではありますね。」
田中さんもいう。
「だから気になるんです。彼女、何者なんですか。」
「函崎さんは特に誰でもありません。函崎さんですよ。」
田中さんはまた同じことを答えた。
「気になるなら、ワインディングテストに一緒に行きますか?」
「ワインディングテスト、するんですか」
「今のところの予定では、今度の日曜に行きます。それで高速やワインディングで実走してのバランス詰めをします。」
「それは、お邪魔してはいけないのでは。」
「函崎さんがいいと言えば、いいのではないかと思います。たぶん、いいと言うと思いますよ。…さあ、そろそろ帰ってくる頃です。基本セッティングはどうだったか…」
ちょっとすると、V7のエンジン音が聞こえだした。田中さんは席を立ち、店の前へ函崎さんをお迎えに出た。僕も佐藤さんの後に続いた。
右手から、白いV7classicが近づいてきて、店の前へつけ、停まった。
僕らはピットのスタッフのように、左右からはさむようにして、函崎さんとV7に近づいた。函崎さんは跨ったまま、ヘルメットをかぶったままで、一声、
「いいです。」と言った。
それからサイドスタンドにV7を預けると、ひらりとシートをまたぎ越して下車した。
グローブを取り、ヘルメットを脱ぐと、少し上気してさっきよりさらにきれいに見える函崎さんの笑顔があった。
(つづく)
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