2017年3月29日

「田中さんのV7classic」(8下)

「あらあら、お帰りなさい、中に入らないの?」
またもや田中さんの奥さんだ。もうあきれた…という顔をしている。
「ただいま帰りました。」函崎さんがにっこり笑って言い、
「じゃあ、入りましょうか。」田中さんがやっぱり笑って言った。
田中さんは、函崎さんからV7を受け取って、すっと押しながら、奥さんが開けている扉から中に入り、僕たちも続いた。
(作品中に出てくる名称はすべて架空のものであり、実在のショップ、メーカー等とは一切関係ありません。)

「乗り心地はどうですか?」
椅子に腰かけながら田中さんが訊く。
「やさしいです。」
きちんと座って、函崎さんが答えた。椅子に座った姿勢も無理がなく、美しい。
「全然ごつごつしません。手でふわっと受け止めてもらってるみたいです。」
「吾妻橋のギャップはどうでしたか?」
「ちょっと、わざと強めに入ってみました。衝撃は来るんですが、角がきれいに丸められている感じですし、ショックはよく吸収されていて、進路も乱れませんし、とっても強い脚だと思います。とても走りやすいです。」
「硬すぎませんか?」
「いえ、硬すぎも、柔らかすぎも、どちらも感じません。強くて、やさしいです。」
「ほぼ、完璧じゃないですか」
やはり僕が口をはさんでしまった。
「…いや、完璧ということは、まずないですから…」
田中さんが笑って言う。
「それはあり得ません。むしろ、さまざまな条件の下で、いかに妥協点を見出すか、なんです。折り合いをつけるということです。」
「折り合いですか。」
「はい。折り合いです。」
「何事にも、折り合いは大切ですよ。ねえ、函崎さん」
田中さんの奥さんがちょっとかき回しに来た。
「そうですね。」函崎さんが笑う。
GSR750ABS 写真はスズキのHPから。
「函崎さん、それじゃあ、日曜日に、峠でテストしましょう。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
「ああ、この佐藤さんも一緒でもいいですか?」
突然田中さんが僕を指さして言う。
「はい。よろしくお願いします。」
まるで何でもないように、函崎さんは普通に僕を見て言った。
「いや、いいんですか?それは僕はうれしいですけど、お邪魔では…」
「邪魔な人を誘ったりはしないでしょう。大丈夫ですよねえ、函崎さん」
また田中さんの奥さんだ。
「はい。」函崎さんがにっこり笑う。
「函崎さん、舵本さんも来ますか?」
「ええ、たぶん来ると思いますけど、かまいませんか?」
「ええ、彼がいてくれると、助かりますよ。」
「舵本さん、それ聞いたら、きっと喜びますよ。」
「あの、舵本さんって?」
「ああ、函崎さんのお友達で、GSR750に乗ってるんですよ。」
「GSR?スズキのナナハンですか。」
「ええ。集合は午前5時、ここでいいですか?」
「はい。」
「佐藤さん、ちょっと早いですけど、いいですか」
「もちろんです。どんなスケジュールですか」
「店から高速を使用し、峠へ移動して、一日いっぱい走ります。朝昼晩3食外食になります。夕方切り上げて帰りますが、帰着は夜、いつもだと9時から10時くらいになりますが。」
「いいですね。よろしくお願いします。」
「舵本さんは現地集合になると思います。」
函崎さんが言った。
「私は車出します。佐藤さん、荷物は車に積めますし、例えば峠についてから着替えることも可能です。」
田中さんは店のバントラックを指して言った。
「わかりました。雨天の場合はどうしますか」
「小雨なら決行しますが、一日大雨なら中止します。連絡しますね。」
「ありがとうございます。」
「じゃあ、そういうことにしましょう。」
田中さんが言い、函崎さんが立ち上がった。
「田中さん」
函崎さんが言う。
「とても、よくなってました。ありがとうございます。」
「函崎さん、最後のテストがまだですから」
「はい。」
「じゃあ、こちらをお渡ししておきます。」
田中さんはSDカードを手渡す。
「今回の仕様についてのパーツリスト、サービスデータです。」
「ありがとうございます。」
「じゃあ、日曜の朝に。」
「はい、よろしくお願いします。楽しみです。」
「私もとても楽しみです。」
「はい。」
函崎さんはそういうと、ヘルメットをかぶり、グローブをはめた。
奥さんが渡したバッグを背負う。
田中さんは、再びV7classicを押して、店外に出た。
「では、失礼します。佐藤さん、日曜日、よろしくお願いします。」
函崎さんはにこやかに言うと、田中さんの後ろを追って、外へ出た。
僕も見送りに出る。

函崎さんが走り去った後、田中さんが僕に言った。
「日曜日、勝手に進めてしまって、すみませんでした。」
「いえ、ありがたいです。高速域での動きの確認とセッティングですね。」
「そうです。だいたい大丈夫だと思うんですが、やはり本人が走らせて感想を聞きながら詰めていかないと、ぴったりはきませんから。」
「日曜日は、私も一緒に走っていいんでしょうか」
「はい、函崎さんが一人で走りたいときは一人で。近くで走りながら走行状態を確認するときには、一緒に走ってとなります。一緒に走ってその解析ができる人がいると、いいんですよ。」
「田中さんが一緒に走ることは?」
「やってもいいんですが、佐藤さんや舵本さんがいてくれるなら、車で待っているようにします。」
「舵本さんは時々そういうことを?」
「いや、ごく稀ですがね。」
「日曜日、とても楽しみです。」
「そう言ってもらえると、うれしいです。私も楽しみにいしてます。」
「では。」
「はい、5時に。」
「5時に。」

僕は田中さんの店を出た。
函崎さんとV7classicの走りを間近で見られることが楽しみだった。
田中さんの仕上げたV7classic、どんな走りをするんだろうか。
そして、GSR750に乗る舵本という人にも、興味が湧きだしていた。

(「田中さんのV7classic」 第1部完)

2 件のコメント:

  1. これは
    「エピソードⅢ」

    …でしょうか…?


    私はそれほど古い読者ではありませんが、
    少しさかのぼってみたいな、と思って、
    久しぶりに『風のV7』を読んでみました。



    改めて読むと激しいですね。

    「バイクに乗る」という事の
    意味を問われているような気になりました。



    私は先日やってしまった立ちゴケ以来、
    エンストが怖くて少し気持ちが引けているのですが、
    「甘えるな」と言われているような気になります。


    でもだからと言って自分の枠を超えて
    ポジティブになろうというつもりはなくて、
    自分が感じる範囲で少しずつ行けたらいいなと思います。



    もうすぐシーズン開幕ですね。


    そちらの「春」はいかがですか?

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    1. モリシーさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      「エピソードⅢ」(前半)です。(^^;)
      この後に峠でのテストの様子が入りますが、
      書けるかどうかはちょっとわかりません。

      この間、タイヤを注文しました。
      札幌は昨日、今日と雪が降り、
      だいぶ雪は消えてきましたが、積雪ゼロとはいかず、
      家の前の道もまだ雪が残っています。

      いつもよりも遅いシーズンインになりそうです。
      でも、遅い春は、一気に花が咲き、暖かくなりますから、
      きっと美しい春になると思います。
      今から、と手も楽しみにしています。

      年齢とともに体調も変わり、
      体の変化で心も変わっていくのだと、
      今更ながら感じています。

      いつでも現在の自分をちゃんと見て、感じて、
      無理せず、でも弛まず、走れたらいいなあ…と思っています。

      あと一週間で、シーズンインするのが目標です。

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