以前の僕のブログ(聖地巡礼―バイクライディングin北海道ー)をご存じの方には、何を今さらという話なのだが、僕はライテクオタクである。
バイク趣味にはいろいろなものがある。
まず、バイクは所有すること、そのものが愉しみ、喜びでもある。
これは、誰に何と言われようと、しょうがない。そういう喜びはたしかにある。
バイクのカスタム(改造)にはいろいろ目的があるが、見せびらかしたり、話題にしたりするためのカスタムは、広い意味ではここに入る。
それだって、立派な趣味だ。
仲間を作って一緒にツーリング、というのもある。
雑誌などによると、ここ5,6年のバイク趣味のもっともボリュームのある部分がこのツーリングだという。「ツーリングブーム」とさえ言われることもあるらしい。そのメインの年齢層は、40代後半から50代、60代だ。80年代、空前絶後の「バイクブーム」時に若者だった層のリターンライダーと、その同年齢の層で大人のビギナーの人たちだ。
登山ブームと同じように、一部のコアな人間の覚悟の上の趣味が、気軽で誰でも親しむ、明るいものへと変わったのだ。バイクの反社会的イメージも、だいぶなくなってきたようだ。
数が少ないものの、競技スポーツとしてのバイク、というのもある。ロードレース、モトクロス(スーパークロスやエンデューロなども含んで)、トライアル、ジムカーナ、安全運転競技会、サーキットのスポーツ走行、その他いろいろ。バイクに乗ること、操作そのものを競技として楽しむ層だ。最高峰にはプロがいる。その裾野には、アマチュアライダーがいる。
昔、マジョリティだったのに、今超少数派になったのは、さすらいキャンプツーリング派である。
貧乏学生が長い期間かけて北海道をさすらいながら旅する。70年代はバックパッカーが多く、キャンプ荷物の大きなリュックを背負った姿が蟹みたいということから「カニ族」と呼ばれていた。80年代、バイクブームとともにカニ族は移動手段にバイクを手に入れ、その音から「ミツバチ族」と呼ばれるようになった。人生の意味や、自分の進む道を求めて、若者が旅をした、その時代のバイクとの付き合い方だ。僕の仲間には、この末裔がいる。
僕もまた、この血を少し、引き継いでいる。
同じように、昔は大量にいたのに、だいぶ減ったのは峠のケニー、峠のスペンサーたちだ。
バイクはレーサーレプリカ。革のツナギ。峠をサーキットのように走りまわる。峠には走りに来る奴、ギャラリーも出て、はっきり言ってひどい状態だった。普通に通りたいファミリーカーが怖くて通れないほどに。また、事故も多かった。死亡事故も起きていた。
友達に写真を撮らせて、それをバイク雑誌に投稿する、それを採点して載せる、というコーナーが大人気だった。僕は、そのコーナーが大嫌いで、せっかく毎月買って読んでいたその雑誌の購読をやめた。
じゃあ、峠に行かなかったのかと言えば、行った。誰も来ないマイナーな峠に、誰も来ない早朝に出かけて、ひとりで走りまくっていた。
有名な峠にも平日の早朝に出かけたりもした。コース図を作り、タイムを計り、路面のうねり、舗装の継ぎ目、わずかなくぼみまで書き込み、覚えて、アタックをしていた。何のことはない。きれいごとを並べても、僕も同類だったわけだ。自分と、バイクの、限界まで追い込んでいく、そのプロセス。飛ばして気持ちいいとかではなく、血が焦げるくらいの緊張感と、それでも路面とバイクの状態を明晰に捉えようとする冷たい感覚、両方に追われるようにして、タイムを詰めていた。
誰にも言わない、峠のタイム。ごくまれに、早朝同類に出会うこともあった。しかし、バトルになれば、負けたことがなかった。いや、そんなふうに嘯く奴は、各峠に当時200人くらいずつはいただろう。僕もまた、そうした愚かな身の程知らずの馬鹿者の一人だったということだ。
誰も轢かず、衝突事故も起こさずに済んだのは、運が良かっただけだと言うべきだろう。
僕がバイクに乗り始めた頃。
ライダーは、走れて、自分で修理もできて、キャンプなどのアウトドアやサバイバルにも長けていて、それでやっと一人前、という空気があった。
道は今より悪く、パンクも多かったし、バイクも今より故障した。ロングツーリングに出れば、自分でトラブルに対処できないと走り続けられない、そういう時代だった。
僕は苦学生とは呼べない甘っちょろい学生だったが、そんなに金があるというわけでもなかった。バイクを複数台持つなんて考えられなかった。いや、超貧乏でもバイクを2台持ってる奴もいた。まあ、ようするに僕は気合が足りなかったのだ。
一台ですべてまかなう。
通学も、ちょっとした買い物も、峠のアタックも、林道冒険にも、長いツーリングにも、すべて1台のバイクで行った。晴れでも雨でも、嵐でも乗る。
バイクは相棒だった。
僕の使い方なら、本来は今流行りの「アドベンタイプ」というのが一番合っているのだと思う。
BMW1200GSとか、スズキのVストロムとか、カワサキのヴェルシスとかいうタイプ。
オールマイティの無敵バイクだ。
でも、僕はまったく触手が動かない。
無敵が欲しいなら、4輪に乗る。
それに、GSでドバーッと傾けて鼻歌歌いながら他車よりガンガンに速い、というのは、好かない。
僕は偉くなりたいわけでも、強くなりたいわけでもないんだ。
*注:私はR100GSの頃からGSというバイクはとても素晴らしいバイクだと思っています。ガストンライエも松本充治も松井勉も皆素晴らしいライダーであり、彼らとGSの関係性はどの場合も素晴らしいと感嘆しております。GSは乗り手次第でいかようにも表情を変えると思っています。自分の所有物の候補とならないと言うだけです。あしからず。
等身大のバイクに乗りたいと思っていた。それでいて、絶対に届くことのない、奥深さを持つバイクに乗りたかった。自分をテングにすることを許さないバイクに乗りたかった。
そうして、コーナリングを、走ること、そのものの繊細さと、喜びと、素晴らしさをきちんと味わわせてくれる、真面目なバイクに乗りたかった。
そうこう考えていたら、どういうわけかモトグッチの新しいV7になってしまったというわけだ。
他にも僕の条件を満たしてくれるバイクはあったかもしれないが、巡り合わせというやつだと思う。
大分話が脱線した。最初に戻ろう。
以前の僕のブログ(聖地巡礼―バイクライディングin北海道ー)をご存じの方には、何を今さらという話なのだが、僕はライテクオタクである。
バイクを走らせること、その操作そのものを楽しみたい。
その奥深さに触れていきたい。
そう思ってしまう。
そんなもの、マニアックにならなくても。バイクライフは楽しめる。
僕は4輪の運転は全くへたくそで全然上達していない。
それでも生活の道具として、車の運転は困らずにできている。
バイクは単独では立っていられない2輪の乗り物であることなどから、運転技術に関しては普通に走るだけで4輪より高いものを要求される。(たとえば、市街地を普通に走っていて急ブレーキを掛ける場合、バイクの方が難しい)
でも、普通にゆっくり走るのなら、「ライテク」などにそう意識を向けなくても、走れるのも事実だ。
しかし一方で、ライテクに興味のない人が高性能バイクに乗ったときに、高性能に助けられているだけでとんでもない速度を出してしまい、事故を起こすこともある。
バイクは、危険な乗り物だと思っていた方がいいし、万一の時のためにも、運転技術(ライテク)は磨いておいたほうが良い。
そして僕はその運転技術、とくにオンロードバイクの運転技術について学んだり、考えたり、試して実践したりするのが大好きなのだ。
これからも、それは変わらないと思う。
このブログでも、時々、ゆきかぜ号の運転に限定することなく(時にはしつつ)、バイクの運転技術一般についても考えて記事にしていきたいと思う。
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