2013年12月21日

バイクで走りながら…

僕らの心は、体と深く関係している。
スキップを踏みながら哀しい気持ちになることは難しく、
嘘でも笑うことで、体の抵抗力は高まるという。





オートバイで走りながらではどうだろう。
楽しい気持ちになることも悲しい気持ちになることもできる。
さまざまなことも考えられる。
でも、それは内に籠った思考ではなくなる。
哲学者が家の部屋の中だけで思索するのでなく、散歩しながら考えたのは非常に示唆的だ。
籠ってばかりでは、本当に創造的な思索はできないのだ。
歩くことで、思考が整理され、余分なものが洗われて、シンプルな、いいものが残る。
散歩しながらの思索は、それを発見させてくれる。
バイクもしかり。
箱の中に入る車と違い、剝き身のバイクでの走行は、思考の整理を促す。
余分なものが削ぎ落とされ、本質的なものが残る。
余分なものに縛られていたがゆえに見えなかったものが見えたりもするのだ。

僕らはオートバイで走ることで、日常の感情や思考の縛りから解放される。
しかし、まったく別人になるわけでもない。「ライダースハイ」はむしろ危険だ。
ただ、負のスパイラル、ぐるぐるどうどう巡りから心と意識を解放する力を、
バイクライディングは持っているらしい。

沈んでいたら運転できない。はしゃいでしまうと、事故を起こす。
静かに、凛と、覚醒していく、クリーンな精神状態。
バイクが心の健康にいいという、その側面は、そんなところを指しているように思う。

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