知らないうちにこの道は「パノラマロード」と名付けられていた。
西側のパッチワークの道とは表情の違う丘の光景を眺めながら、ゆきかぜを走らせる。
普通に乗っている分には痛みは感じない。
しかし、腰の角度を変えたり、停めて降車したりすると、腰を伸ばせないほどの痛みを感じる。
ちょっと不安になってきた。
8:12 三愛の丘付近にて |
三愛の丘の展望台は止まることなく通過して、ちょっといくと、いつもバイクを停めてしまう場所に来た。
今回も、腰が痛いのに、やはり停めて写真を撮ってしまった。
同刻・同所。 |
美瑛のこの丘の風景は、この土地が大雪連山の噴火による火山灰地であり、火砕流の流れた土地であることにも由来している。
平地が少なく、水田には適さず(寒すぎることもある)岩盤は堅く、丘を崩し谷を埋め、平野にすることもできず、斜面を貧しい土でも育つ作物を植える畑にするしかなかった。
勾配がきつく高低差のある丘は、耕作には厳しい。そこをなんとか耕し、作物を育て、土を育てる。
畑の風景がパッチワークになるのは、同じ場所に繰り返し同じ作物を植えると連作障害が出るため、年毎に植える作物の畑の区画毎に回すからだ。
丘の高い所から見下ろすと、作物毎に色を変えた畑が、平地よりも遠くまで見通せ、起伏と作物の色の違いで、表情も豊かだ。
丘の風景は、農の風景。
農家の人たちの、努力の風景だ。
畑と、丘の斜面と、谷には時々、森が残っている。
道はそうした中を、登り、下り、右に、左に、走って行く。
もし僕が100億円くらい自由にできる大金持ちで、仕事にも心にも余裕があって、管理能力も高かったら、
美瑛に小さな小屋を買って整備してガレージとし、そこにビモータdb1を置きたいものだ。
美瑛のあたりのワインディングは、db1によく似合うだろう。
でも、もし大金持ちになれても、きっと買わないんだろう。僕は別荘や別荘に置いたバイクもちゃんと整備するほど、甲斐性のある男じゃないからね。たぶん定期的に走らせることもできず、放置して、だめにしちゃうと思う。
8:31 パノラマロードのはずれ 3本の樹 |
僕も好きな樹だったが、今日見たパンフにはその名は消えている。
記憶を頼りにその場所を訪ねてみると、その樹はたしかに、ちゃんと立っていた。
でも周りの道路には「畑に入らないでください」の看板と、テープが張られ、道端には「撮影禁止」の看板も20mおきくらいに立っていた。
畑の持ち主からすると、昔から自分の畑の中にあった樹に、急に自分と関係もなく名前が付けられ、それを見に来る観光客が増え、写真を撮ろうと畑に踏み込み、道路脇に駐車して農作業車の通行にも支障が生じ、まるで自分の土地ではないみたいな、そんな困った状態が何年も続けば、もう勘弁してくれ!という気持ちにもなるだろう…と、勝手に想像してみる。
僕らライダーも写真のマナーという点では、よくないことも多い。
絵作りのために畑に踏み込んだり、人通りの激しいところなのに、バイクを横付けしてむりやり写真を撮ったり、そんなことも結構ある。
公道で、覗き込むでもなく。道の上から畑の樹の写真を撮ったとて、それを禁止することはできないだろう。だから「撮影禁止」は、たぶん法的には無効じゃないかと思う。
でも、持ち主が「写真をとらないで」、「もうそっとしておいて」と思っているなら、それをあえて撮ってブログに掲載するというのは、それは違うだろう。
昭和の頃から好きだった哲学の樹、訪れる度に写真を撮っていた哲学の樹だが、今回は写真を撮らなかった。
美瑛の丘は、確かに観光資源として街に収入をもたらしてはいる。でも、だから畑を荒らされても我慢しろとか、観光客が自分の畑に次々に押し寄せることが嫌でも我慢しろ、というのは、それは違う。
写真家、前田真三が見出した美瑛の丘の風景の美しさ。
今やそれは世界規模の光景となったが、その背景は、単一なものではない。
8:38 東の丘、向こうの稜線沿いに小屋が見える。 |
腰は徐々に痛くなってきている。
すぐ帰りたくなるほどではないが、丸一日走ると、翌日の仕事がアウトになってしまう。
昼過ぎには家につくような、そういうプランに変えよう。
残りの丘は秋に来ることにして。
でも、実は買い物を妻から頼まれている。それだけ買ったら、家へ帰ろう。(つづく)
大金持ちになって、時間を存分に使えるのなら・・・あるいは・・・
返信削除現代日本人(←まだ定年までは数年かかる)の大いなる野望でしょうか?w
tkjさん、こんにちは。
削除えへへ。金持は、そんなことは考えず、そういうことを考えること自体が金持ちじゃないってことなんですよね。
まあ、でも金持ちになりたくもないか…。困らない程度の金は欲しいですが…。