2016年10月28日

お前だけが。


昔、「風」(伊勢正三、大久保一利)というフォークデュオがあり、そのファーストアルバムの中に「お前だけが」という曲があった。


こんな歌詞だった。

 たとえ この世界で いちばんきれいな
 人が ぼくを好きだと言っても
 たとえ この宇宙で いちばんきれいな
 星を ぼくにくれると言っても
 ぼくは 何もいらない

 お前だけが お前だけが
 お前だけが いてくれたら それでいい
 お前のやさしい 笑顔がそこに
 あれば それでいいのさ

 ぼくと お前の かわいい子どもが
 うまれたら 写真を見せて言うんだ
 これが パパとママの 若い頃の写真さ
 どうだ 今も 変わらないだろうと

 朝日が もう射し込んでくる

 お前だけを お前だけを
 お前だけを 愛しているから
 夜がとても 短すぎて
 愛を 語りつくせない

「お前だけが」(作詞/作曲 伊勢正三)



モーターサイクル、オートバイ、バイク。

人によって、呼び方はさまざま。
楽しみも、付き合い方も千差万別だ。

ある人は、ファッションアイテムとして。
ある人は、自分と人とをつなぐ、魔法の道具として。
ある人は、現実から逃げ出すためのよすがとして。
ある人は、仲間と楽しむレジャーの用品として。

またある人は、大切な仕事の道具・相棒として。

この乗り物は、間口も広いし、懐も深い。
そして自由だ。安全への意識とスキルがしっかりしているのなら、
どんな付き合い方でも、その人が少しでも幸せになるならそれでいい。




僕は一つの誓いを立てている。
「バイクで死なない。バイクで人を殺さない。」

でも、僕は知っている。
僕にとってこの誓いを守ることは、とても難しい。
自分の力だけでは決して守れない。
神のご加護のようなものがなければ。

胸の奥にいつもある。
「死ぬな。殺すな。このバイクで、今。」

でも、その可能性がゼロだとは、どうしても言えない。

それは、4輪の自動車でもそうなのに、僕はなぜか、バイクに乗るときに、それを強く感じるのだ。




だから僕にとって、バイクは、「こいつの上で死ぬかもしれない」というものだ。

決してバイクで死んではならない。決してバイクで人を殺してはならない。
でも、そうなってしまう可能性はゼロではない。

その時、それでも僕がバイクに乗るとしたら、どんなマシンに乗っているか。
それが、僕のマシン選びの、最後の基準だ。

「ゆきかぜ。」
君と、走っていく。


6 件のコメント:

  1. それは、きっと、、、
    バイクと共に生きていこうと思う事。(死んでもいいと思う刹那)
    かけがえのない友、恋人だと思う事。(愛人かも知れない)
    そしてそれ(マイバイク)は同志、相棒。(時には上司かもw)

    言い得て妙・・・不思議な機械・・・ではなく、生き物?(オイルという「血液」が流れている)

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    1. tkjさん、こんにちは。

      失礼ながら、tkjさんと、私とは、バイクと自分との関係に少し、
      共通点があるように思います。
      偶々かもしれませんが、一つのバイクに長く乗り、相棒として扱う。
      そのバイクのカテゴリーにあまり拘らない。…など。

      実はそういうのって、少数派かもしれないのですが、tkjさんは、そういうことにもこだわらず、淡々と、でもしっかり走って、走った後には必ずCBRさんにフクピカして、大事にしつつ、走り倒してますよね。

      その、淡々としながらもヘビーに走りまくるところは、私よりもずっとヘビーで、
      tkjさんならではのところだなあ…、とても真似できないなあ…と思いつつ、拝見しています。

      私は割と暑苦しく語ってしまうところがあるのですが、
      tkjさんのさりげなくてしっかりしたスタンスは、とてもかっこういいなあと思っています。

      時には上司になる…(^^;)、ということろが、ホントに面白いですよね。バイクって。

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  2. 【誓い】浜田省吾の歌に在りました。歌詞の中にあるギターをバイクに代えると胸に迫るものがあって
    歌と共に心に深く浸透してきます。

    ギターとバイクはよく似ています。弾き方次第で空間に出す音の世界が広がり、それは人の感性を揺さぶります。
    バイクも同じでしょう。シンプルな分、奥が深く惹かれますね。


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    1. いちさん、こんにちは。

      私も15の時、小学校1年生のときから貯めていたお年玉の貯金を全部掃き出して、Sヤイリのフォークギターを買いました。39年目の今も、側にあります。もう、年に何回かしか弾かなく(いや、だいぶ弾けなくなったので、いじらなく)なりましたが、それでも、傷だらけのギターは、いろんね思い出が詰まっています。

      でも、ギターは、へたくそなままで、ちゃんと音が出せないのです。
      あれ?バイクもか。じゃ、やっぱりおなじかもしれません。

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  3. 出かける時は、家の窓から家族の誰かが必ず手を振って見送ってくれます。
    無事に帰る。私も家族も同じ想い。
    そして相棒に変わる存在は・・・有る訳がない。

    安全マージンを充分取りながら、相棒と一体になったり・・・
    流れや、交差に違和感を感じる時は360度余裕を持つ・・・

    家族も自分も相棒も・・・望んでいることはただひとつ。
    それをいつも感じながら走り続ける。

    これからもずっとそれは変わらない。
    根底にあるものに感じ入ってコメントしました。








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    1. selenさん、こんにちは。
      見送って手を振ってくれる家族の姿を見て、出発すると、
      それは自己するわけにはいきませんね。

      「流れや、交差に違和感を感じる時は360度余裕を持つ・・・」
      という表現に、あっと思いました。「違和感」ってすごく大事ですよね。
      そのセンサーを、いつもちゃんと働かせていられるようになりたいと思います。

      どんなに気を付けていても、集中力が抜ける瞬間はある。
      どんなに安全運転でも、もらい事故というものもある。

      だからこそ、安全を望み、願って走ることが大事だと思います。
      selenさん、ありがとうございます。

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