2016年12月9日

走る歓びは…。片山&根本再び。

V7が走っている動画をいくつかご紹介しましたが、それは国外のものでした。
日本でのV7の動画もいくつかご紹介しようとしていたのですが、
とてもジェントルな、いい走りだと思っても、スピードメーターが写っていたりして、
ブログでご紹介するのが難しいものもありました。



僕はバイクが取り立てて危険な乗り物だとは思っていません。
しかし、バイクが安全な乗り物だとも言い切れないものがあります。
車同士なら、ガッチャン、やっちゃった!、あ~、ちょっとへこんだなあ…という程度でも
バイクでは大怪我、悪くすると命にかかわることも、よくあるのですから。

でも、ライダーとして、バイクの魅力の一つは「飛ばすこと」にあるというのは、
これは根源的なものであるとも思います。
絶対飛ばさないなら、趣味でバイクに乗る必要もないとも、僕は思います。
飛ばすと言っても、時速30kmでも飛ばすこともありますし、
高速道路では時速100kmでも流すという感覚でしょうから、
何キロ出したとか、そういうのではないと思います。

安全を確保し、自分の責任において、飛ばす。
それは子どもにはできない、大人(何歳でも。)の愉しみ。

しかし、そうしたシーンを見た人が、自分の走りとしてでなく、かっこだけ真似て
やたら速く走り回ると、頻繁に事故を起こしたり、そうでなくても、周囲の人に恐怖感を大いに与えたりすることなります。

いや、100%「よいこ」では、人は生きられない。
建前だけ美しい世界では、押し込められ抑圧されたものが、必ず陰湿な形で噴出します。

だれにも、ただ一人にさえも、不快感を与えない生き方など、現実にはあり得ないし、求めてはいけないことなのです。

これは微妙な問題です。

ネット上では、たぶん、伝えられない、伝わらない。分かる人にしか。

僕は前のブログで、何度か他のライダーさんと一緒に走ったことがあります。
それを記事にしても来ました。
また、本ブログでも、何回か、一緒に走ったことがあります。

一緒に走り、語りするなかでは、例えば安全に対する感性、速度に関する姿勢、安全運転に関する哲学、マナーについての考え方など、そんな一回ではほんの一部しかわからないとは言うものの、何か感じることはできます。

現実の走りの中では、どんな時は飛ばすのか、どんな時は飛ばさないのか、それが、場面に応じて肌で感じられるからです。

合う、合わないも、大まかなところでは感じられます。
しかも、これは運転技量や、バイクの性能とはほとんど関係ありません。

初心者で、運転技能がまだまだ未熟でも、安全に対して責任ある態度を保ち、かつ、走ることを喜んでいる(緊張していても)、楽しんでいる様子というのは、伝わってきますし、そういう人には敬意を感じます。

逆に技量が高そうでも、その技量を自慢することにしか目が向いていない走りというのも、残酷なほどにわかってしまいます。

もちろん、自分自身についてもそれは言えて、自分の走りで、それは周囲の人にばれてしまう。


ライダーとしての会話は、究極には一緒に走って、語るのが、たぶん一番分かり合えるのだと思います。


一方で、文章や、写真、動画だと、伝えきれないものがある。
誤解を生むことは避けられないし、中には、人を揚げ足を取ることを無上の歓びとしている人たちもいるので、現実なら許される話が、ネット上では、許されないことがある。

バイクの快走動画も、そうした中の最たるものだと思います。

誤解を恐れずに言えば、公道には、公道なりに、飛ばして走る走り方というものがあります。

僕の考えでは、それは、例えば漫画の「キリン」のようなものでは決してないし、「バリバリ伝説」のようなものでも、「アイツとララバイ」のようなものでもない。
(でも、そのエッセンスは、どの漫画にも込められていたと思います。作品としての漫画ですから、それでいいし、そうであってこそだ、と言えます。)

僕はもう、30年近く、人と一緒の時に、フル走行したことがありません。

一緒に走っていてさえ、誤解を生むことはあるし、フル走行時の誤解というのは、非常に危険だからです。

フル走行といっても、プロのレースのように、マージンを削り取りながらそれでも皮一枚確保して、限界まで攻めていくようなものではありません。

あくまで、マージンはその時々の道路・交通環境に合わせ、その中で自分として最高の走りになるように、ぎりぎりまで詰めていきます。それも、マージンをできれば増やしつつ、そうした中での自分の限界点に迫っていきます。

そのひりひりする緊張感は、ただスピードを上げて危険度が増してきていることを「スリル」と勘違いするのとは、まったく別の、もしかしたらむしろ逆の性質のものです。

そうした走りに、僕は今もあこがれるし、こっそりトライもするし、悩んだり、練習したりもしています。

でも、それは、ブログにはアップできない。

あまりに誤解を生み、結果的に悪影響を与える可能性が高いからです。


最近のネットでのバイクの動画も、とてもいい(…と僕の思う)走りをしているものを見つけても、メーターの針がその道の制限速度をちょっとでも越えていたら、それを紹介すると、そのUP主に迷惑がかかる恐れもあるし、「違法行為だ」と、そこばかりに目を付ける人たちに騒ぐ口実を与えることにもなりかねない。
また、単純に誤解して、「あ、マナーよければ少しの制限速度違反もいいんだ」なんて思われたら、それこそ、その人は非常に危険なライダーになってしまいます。

それはできない。


なんでも単純化、なんでも短絡化してしまう風潮が、加速している気がして、なんだか、生きにくい時代になったなあ…と、思うのでした。



さて、ご紹介するのは、かつて前のブログでもご紹介した、根本健氏と片山敬済氏が、イタリアでビモータのdb1を走らせている動画です。

1986年ごろの撮影で、公道を「飛ばして」いる、根本氏と片山氏。

その走りには、サーキットとは違う、飛ばしていても、攻めていても、決してタイムを削るような走りをしているわけではなく、決してマージンを無視した走りではなく、かといって、教習所のような走りでもない、大人の走りが見て取れます。

この動画も誤解は生みやすいのかもしれませんが、それでも、本物は多少の毒をもっているもの、その毒にやられず、本質を感じ取る感性も、我々ライダーなら、持っていたいと思います。


     Bimota db-1: 片山敬済 Takazumi Katayama & 根本健 Ken Nemoto

レプリカ小僧や峠のローリング族とは全く違う、彼らのラインどり、バンキング、トラクション。
教科書になるかと言われれば、決してならない。
非を責めようと思えば、いくらでも指摘できる。

でも、それを越えた、公道での「その時の、その道での、そのマシンと自分との組み合わせでしか実現しない走り。 「邂逅」。

僕はこの動画の中に、それを見たいのです。

9 件のコメント:

  1. この動画好きですね~。ビモータのdb1って愉しそうです。当時流行った16インチマシンですが、タイヤが太い割にコンパクトです。カウルの造形とカラーリングはまさしくイタリアン!
    最後と最初の片山敬済のコメが印象的です。バイクは感性の乗り物。移動の為だけなら他の手段が有る。何故バイクに乗るのか?一つはコーナーリングだろう・・・
    ハイスピードは全然。必要無い。
    愉しいよね・・アクセル4分の1でも、開ければ直ぐ前に出る・・待つことが無い。
    レーサーの話と言うのは達観してますね~。

    返信削除
    返信
    1. いちさん、こんにちは。
      「アクセル4分の1でも、開ければ直ぐ前に出る・・待つことが無い。」
      V7に乗って、この片山氏のセリフを思い出しました。
      V7とdb1とでは、レスポンスに大差があるでしょうけれど、
      このことが実感できて、V7ライディングは、とても楽しいです。

      削除
  2. 先にコメントされている、いちさんと同じになってしまうのですが、片山選手とネモケンさんの対話が印象的ですね。

    まさしくこのdb1に積まれているエンジン直系のバイクに乗っている訳ですが、こんなにスペックを気にせずに乗れるエンジンもなかなかないなぁ、と思いながらもうすぐ9年。
    アクセルのON/OFFを軸にコーナーリングを楽しめる、限界は確かに水冷のSBKや国産4気筒に劣るのでしょうけど、楽しめる幅がものすごく広くて懐が深いですね。
    排ガス規制を考えると難しい面もあるのでしょうが、GUZZIの縦置きVツインや、BMWのフラットツイン共々これからも残って欲しいと思います。

    同じように、自分自身も、ただ所構わず限界を追うような走りでなく、ライディングそのものを楽しめるライダーでありたいものです。

    返信削除
    返信
    1. Hiroshi Mutoさん、こんにちは。
      ライダースクラブ103号は、今も自宅にあって、この会話が記事になって掲載されています。
      僕もこの会話、大好きです。
      対等で、遠慮がなくて、信頼しあっていて、でも、緊張感のあるトーク。
      走りの緊張感の心地よさと、この会話の緊張感の心地よさが、つながっているようにも思えます。

      楽しめる幅の広い、走りの楽しさを本気で追及したマシン。
      これからも作り続けてほしいと思います。

      削除
  3. takaです

    バイクって、ライダーの『モラル』が大切ですよね。
    おっしゃる通り『ルール』を守るのでなく、『モラル』です。
    ワインディング周辺の住民に迷惑をかけず、周りの車、バイク、自転車、歩行者に危険を感じさせないように、楽しまないと。
    あと、私は、ワインディングでは『自爆』しても、『自走で帰宅』を、常に考えてます。
    ワインディングは、走りの組み立てを楽しみ、バイクの挙動を楽しめれば良いと思っています。
    スピードは、結果です。
    とはいえ、その結果も『いくらでもOK』では、ないと思っています。
    自分では、ワインディングでは『○○km/hまで』って、決めています。
    そうしなければ、自分の限界、バイクの限界、タイヤの限界で、条件が揃うと、私のSRでも、かなりのスピードになってしまいます。
    また、私の考え方で楽しいのが、SRでした。
    CBR900RRでは、スピードを抑える走りになりがちでした。楽しい走りとなると、スピード領域が公道では無理がありました。

    公道には公道の走りがあって、二人の走りのラインは、対向車に合わせた臨機応変なラインで、理想的ですね。

    ちなみに、私も、ソロでしか、楽しみません。
    誰かと一緒の時は、マージンを多目にとっています。絡むと危ないですし(^_^;)

    寒くなってきましたね。
    お体、お気をつけ下さい(^^)

    返信削除
    返信
    1. takaさん、こんにちは。

      私もその日の体調などによって、上限速度を決めることがあります。
      上限速度は、コーナリングそのものとはあまり関係ない、
      「運動エネルギーの絶対値上限を決める」ということですので、
      戒めという意味と、免許という意味と、体調その他からの安全弁としての意味の
      3つの意味があるかと思っています。

      とは言っても、SRにしても、V7にしても時速100kmは優に出るわけで、
      やはり自制は必要ですね。
      大雪に、2週連続土日も連続勤務で、完全にボロボロな私です(^^;)
      takaさんも、どうぞ、お気をつけください。

      削除
  4. KEI Cさん、こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    さすがの札幌も、今週(もう先週ですが)は猛烈に滑って、
    あちこちで立ち往生したり、ぶつかったりしていました。
    札幌市の路面電車も除雪が間に合わなくて走れなくなったり、散々です。
    スタッドレスタイヤがあり、慣れていても、滑るときには滑る…。
    これが、雪国の暮らしというやつのようです。

    「開けるとパパッとトラクションかかって、それが正味前へ行こうとしている」
    っていう感覚は、本当に楽しいなあ…と、V7に乗って改めて思いました。
    KEI Cさんは、ジムカーナの練習に行かれたのですね。
    技術の向上に余念がないのは、頭が下がります。

    もう20年前になりますが、
    『ライダースクラブ』主催、那須でのライディングパーティーに、
    広島から自走で往復してました…。
    アホでしたね…。

    返信削除
  5. 樹生さんこんにちは。
    GBに乗り換えてからというもの、年々「攻める」乗り方はしなくなってきました。
    飛ばして走ることは結構あるんですけど、だんだん自分なりのオートバイ・ライフみたいのが、少しずつ出来てきた気がします。

    以前樹生さん達と走ったり、ブログを読ませて頂きながら、社会の一員のライダーとしてバイクの上でどう振る舞うべきかというのは常に自問自答を忘れないようにと思っております。
    GBにも社外マフラーを付けてるんですが、どう気を付けたってうるさいって思う人はノーマルより多いだろうなぁなどと思いながら、増した鼓動感と歯切れのよい排気音に心地よさを感じたり^^;
    欲求を満たそうとすれば必ず迷惑を被る人が出るように思います。
    自身が他者に寛容であれば免罪符になるのかと言われればそうでもありませんし、それこそ線を引いて単純化・短絡化出来る問題でもないので、常に自分を律し続けなければなと、感じています。
    たまにハメを外してしまったなというときも、あるのですが…(笑)
    誇りを持てる生き方をしたいものです。

    返信削除
    返信
    1. Shin Osawaさん、こんにちは。
      何が正しくて、どこまでが許されるか、という問題は、
      時、場所、状況により、大きく変わる…TPOというやつですね。
      上の動画も、たぶん今日なら発売されないでしょう。
      まるまるコピーするのでなく、状況を考えつつ、
      総合的に判断することが必要なのだと思います。

      変な話になりますが、だからマニュアルだけでなく「教養」が必要になるのだと思います。
      誰も経験したことのない事態にマニュアルはあり得ず、正解のない問題に対処するには、
      総合的な知識や、見識、意識がいる、つまり役に立つかどうかではなく、
      教養がいるのだと思います。
      それは、たぶん、「学校」なんかの成績とは全く関係ないもので。

      僕はバイクに「自由」を求めているのかもしれません。
      自由は「わがままと」は違う、おそらく全く逆です。
      自由はわがままの対義語かもしれません。
      また、もちろん、隷属(束縛ではなく)とは対義語です。
      バイクは、それを教えてくれるような気がしています。

      しかも、バイクは説教臭くない(僕と違って)のが好きです。
      そういうふうになっていきたいと思います。

      削除