2018年5月29日

「樹生」という男。

さて、僕、樹生和人(たっきかずひと)は、このブログの管理人なわけだが、現実の世界では別の名前で生活している。家庭で、職場で、どちらでもない通勤中。あと、休日にバイクで走る。だいたいこれくらいしかないのが、僕の生活だ。

現実の僕の世界の人で、僕がブログをしていることを知る人は少ない。
友人たちにも殆ど話していないからだ。
例外は、バイク屋のズームさん(ブログ発見される)、以前の職場で一緒だったご夫婦のライダー(これもばれた)くらいで、
あとは、ブログを書いている樹生和人として、リアルの世界で会った人たちだ。

僕に会ったことのある人には少しばれているわけだが、現実の僕と、ブロガーの樹生和人とは、同一人物とは言い難いような違いがある。はははのは。
(今日はぐだぐらの雑談です。写真もないし。)



1 ブログには、書いていいことしか、書いていない。

 当たり前のことだが、そういうものである。物事には表と裏がある。あるいは厚みといってもいいし、矛盾といってもいい。
 真実はいつもペランペランな紙に書いたお題目のようなものではなく、重層的なものなのである。
 僕の走行写真のメーターの写真はほぼいつも制限速度内である。これは加工などしていない。しかし、僕はどんな場合でも制限速度を超過しないことを絶対優先してバイクに乗っているかというと、そうではない。だからと言って、僕は速度超過を推奨したり、免罪化するつもりもない。これは分かる人にはわかってもらえていると思うのだが、インターネットというメディアは、あらゆる文脈を無視して読む人たちもたくさんいるし、そういうところから誤解が大きく広がることも多い媒体なのだ。
 この塩梅が、通用しないインターネット上では、樹生は現実の僕よりも無難な人格をまとわざるを得ないのだ。
 別にだますつもりはないのだが、僕の場合、そうなってしまうのだった。


2 現実で擦り切れかけた心を癒したくてブログを書いている側面もある。

 現実の僕は、仕事で走り回ったり、声をからしたり、落ち込んでトイレでうなだれたり、会議で孤立したり、同僚に迷惑をかけて助けてもらったり、わりと、ぼろぼろ、というか、ぎりぎりというか、そういう状態が、もう30年も続いているのだった。
 メンタルヘルスチェックを受けると、毎年すぐ病院へ行けと出る。病院へ行くと、過労だから休み休み、ごまかしごまかしやれと言われる…の繰り返しなのだ。これは、仕事の特質上、仕方のない側面もある。
 仕事で擦り切れた僕だから、趣味の時間は、変な悪意に自分が染まらないようにしたい。それで落ち込んだら、ますますよくない。
 …ということで、マッチ売りの少女の妄想のように、せめてブログを書く時は、嫌なことを忘れるようにしたいのである。
 …で、樹生君はこういうキャラになるというわけだ。


3 誰でも自分は大きく、またはかっこよく見せたいものだ。

自分をかっこよく見せたい。人から格好良く見られたい。
そういう願望は誰にでもあると思うが、僕もそれは強い方なのだ。
だから、かっこつけるわけだ。どうやったらカッコいいだろう。
自分としてのかっこつけを気持ちよくしたいものだ。
人をけなすことで自分の優位性を担保しようとする輩。現実の僕の周りにもいるが、
見苦しい。みんな煙たいと思い、めんどくさいから放っておこうと思っているだけで、
本当に尊敬している人はいない。人を支配しようとする人間は、愛されない。
従う人間も、その支配者を愛しはしない。
そんなの嫌だ。
自分を大きく見せようと、もっともらしく大物らしく振舞う輩。現実の僕の周りにいる。
が、「大物ぶらずにはいられない小物感」が見え見えで、周囲はやはり
めんどくさいから好きにさせているが、本当に人から信頼されることはない。
力に敏感で、力に頼りたい人だけが、周りに集まってくるだけだ。
かっこ悪い。

じゃあ、あんまり中身のない僕はどうしたらカッコいいのか?
自分の考えるかっこよさというものを、せめて形の上から、真似していくしかない。
だれにも媚びず、誰にも横柄にならず、自負と覚悟を持って、リアルな自分と向き合って行こうとする人間……そんな人間のふりをしていくわけだ。ホントは違うのにね。
これさえも、本当の人から見れば、みえみえで痛々しかったり、醜かったりするのだろうけれど、それくらいからしか、やっていけないから、いまだに、まだやっている。
せめて、ブログの上だけでも。

こうして樹生君は演出されていくのだ。


今、職場にも僕は時々バイクで通勤しているので、職場のほとんどの人は僕がバイクに乗っていることは知っている。でも、職場の僕と、バイクとはイメージが結びつかないらしく、駐輪場に置いてあるバイクが僕のだと知った時は、最初みんな驚く。
まして、樹生などという人物は、僕の身の回りで知っている人は殆どいない。
現実の僕と、樹生和人とは、別の世界の人間だ。
でも、
一方で、僕は実際に、自分のV7を「ゆきかぜ」と呼んでいる。
また、樹生君の語るツーリング時の精神性は、実際には夜、家で、ブログ記事を書くときに再構成されているとはいっても、現実の僕の中に起こることをベースにしていて、かなり樹生君に反映されているといっても、これはあながち嘘でもない。

こうして、樹生和人は僕でもあり、
僕でない人物でもあり。
現実の僕は、僕でもあり、僕でない人物でもある、そんな感じで、
僕と、樹生和人は、存在しているのだった。

それは、ブログを書いているこの10年間、40代の半ばから、50代の半ばまでの中で継続し、変化しながら、作られ、維持されてきた、「僕」という人間の一面でもある。

それは、僕の感覚としてみれば、そんなに悪い感じでもないのだった。
樹生と、僕と、相互の関係を嘘のないように、つきすぎないように、
これからもやっていきたい。
それは、親としての自分、夫としての自分、職場の人間としての自分等を、統合し、また、時には分けて生きてきた、生きている、現実の人生のあり方、そのものなのかもしれないのだった。

2 件のコメント:

  1. とっても分かります(笑)

    雑な言葉ですが、「そんなもん」でえぇんちゃう?
    と、僕も同じような想いで綴っています(笑)

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    1. Hiroshi Mutoさん、こんにちは。

      ああ、やっぱり?

      まあ、Hiroshi Mutoさんにはお会いして、
      すこ~し、ばれちゃってますもんね。

      でもあの、2009年のツーリングで、
      Hiroshi Mutoさんはじめ、みなさんにお会いして思ったのは、
      みんな、ブログの通りだな…、そしてブログ以上に楽しい…というか魅力的な
      人たちだな、ということでした。
      今思い返しても素敵な出会い、楽しいツーリングでした。

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