午後3時。
当別町、獅子内から道道81号線、そして道道527号線へ。
当別町、獅子内から道道81号線、そして道道527号線へ。
道道527号線は当別町からちょっとした丘を越えて、石狩市望来へ向かう全長17kmの短い道道だ。
ここから海へ向かうことにした。
まだ時間はある。
ゆっくり行こう。
とちゅう、丘を越え、下りだしたところで、今日も停まる。
ここはselenさんのお気に入りの場所。
前回(「秋冷」ツーリング)も、ここで停まった。
今日もちょっとお邪魔する。(お邪魔するって、変な表現だけれども)
ほとんど交通量のないところとはいえ、橋の上に停まるのはよくない。
写真を撮ったら移動して、歩いて橋の上に戻ることにしよう。
selenさんの風景だ。
この橋の、反対側に小さなダムがあり、高富貯水池がある。
この沢を下って行くと、知津狩川に合流して、石狩川の河口へと流れていく。
田んぼの刈り入れが終わり、刈り取った跡がきれいにならんでいる。
顔の筋肉の痙攣は、少し残っている。
頭も少し痛い。
でも、すこしずつ、ほぐれてきているように感じる。
プラシーボ効果かもしれないけれど。
さあ、行こう。
橋を過ぎ、坂を下りていくと、直ぐに知津狩川の谷に出る。
そこを右折して、知津狩川沿いに、ゆるやかに谷を上っていく。
いくつかの支流の沢を見ながら、秋の匂いの中を、ゆっくり走るのは、
気持ちよく、落ち着いた、穏やかな気持ちにしてくれる。
走っていても、仕事の嫌なことや、明日の仕事のことなどが
頭に去来するのだが、それでも家の中にいる時とは違って、
それに引き込まれてどうしようもなくなることがない。
走る風の流れに乗って、嫌な思いは去来しては去っていく。
どうやらこれは、「禅」の時の精神状態に似ているらしい。
何も現状は変わらないのだが、自分の心の中が、少し洗われる感じがするのだ。
もちろん、考え事をしたり、ぼんやりしたりしながら運転しては危ない。
バイクは運転に集中していないと、危ないのだ。
しかし、集中していないというわけでも、そちらに気を取られるというわけでもないのだが、
走っていると、意識せずにいろんな思いが頭に浮かんでは去っていく、そんな現象が起きる。
特にツーリングに出ると、そういうことが起こる。
思いこんだり、考え込んだりは運転しながらはできない。
だから、落ち込むことも本格的にはできないし、有頂天になることも、運転しながらはできない。
しかし、走っていると、浮かんでくる考え、それは日常の中で引っかかっていることで、しかも走っている間は、それに「拘る」ことができないので、素直に浮かんで流れていく。
それによって、ネガティブな思考や気分の自家中毒から脱することができたり、何か壁や天井のようなものにつかえて進めなかった考えの、その壁や天井が壊れて突破できたりすることも起きるのだ。
ただ、それは起こそうとして起きるものではない。
だから、それを期待して、そうなることの手段として走っても、その目論見は果たされないことも多い。
それは、ただバイクを走らせること、バイクと走っていることに浸りきっているときに起こるのだ。
通り過ぎてから、何か心惹かれる風景があったような気がして、
今日はUターンしてみた。
時間に追われていない、距離も短くていい、そんな走りだからできたUターン。
引き返してみると、小さな沢へと向かう、緩やかな棚田。
夕日が横から射してきて、谷の半分が日陰に沈むところだった。
防寒をばっちりしてきたので、全く寒くないが、気温はちょっとずつ下がってきているようだ。
おだやかな午後。
風もそよと吹いたり、とまったりしている。
道の向かい側を見ると、
一本の私道が、森の中へ伸びていくのが見えた。
入り口にロープが張ってある。
これは入れないね。
しばらく眺めて、もう一度、ゆきかぜを眺めて。
うん。好きだな。
この佇まい。
この姿。
意味もなく、道端でぼんやり。
稲わら焼きの匂いが、どこからか流れてくる。
深呼吸して。
頭の奥のジンジンはまだ鳴っているけれど、でも、いい気持だ。
さて、そろそろ。
小さな低い峠を越える。
峰を越えて、正利冠川(まさりかっぷがわ)の谷へ出る。
ちょっと川沿い方へ曲がって、50mくらいいって、またゆきかぜを停める。
すこし散歩したくなった。
明るい谷。
周囲の山も低く、でも、直ぐに川は源流を迎えそうだ。
短い谷。
その中に、ポツリ、ポツリと民家が点在している。
しばらく、ぶらぶらと、何気なく歩いた。
なんてことない風景。
特に撮りたいものがあったわけでもない。
でも、昔から、こういうのが好きだった。
秋が深い。
16時ころ、樹生さんが望遠でその一枚を撮っていた頃、
返信削除北の方で、同じように道の上で立ち止まり、
ボクは、この日最後の一枚を撮っていました。
お会いしたことも、お話したことも無くてですが、
この日おなじ時を、それぞれではありますが、
樹生さんと、道の上に居たんだと思うと、
不思議なのですが、それをうれしく感じていたりです。
selenさん、こんにちは。
削除selenさんはこの日R275を北へ走ってらしたんでしたね。
深まる秋の日曜日。
私は午後のひとときだけでしたが、外に出て、
ゆきかぜと走ることに幸せを感じていました。
走る歓び、走る幸せ、
つるんでなくても、離れた時、所でも
共鳴している仲間がいるということは、
とてもうれしく、支えになります。
それぞれが、それぞれに走りながらも、
同時だったりすると、
うれしく感じますね。
selenさん、ありがとうございます。