2020年10月21日

やさしい時間へ。(2)

 

午後3時。
当別町、獅子内から道道81号線、そして道道527号線へ。
道道527号線は当別町からちょっとした丘を越えて、石狩市望来へ向かう全長17kmの短い道道だ。
ここから海へ向かうことにした。
まだ時間はある。
ゆっくり行こう。
とちゅう、丘を越え、下りだしたところで、今日も停まる。
ここはselenさんのお気に入りの場所。
前回(「秋冷」ツーリング)も、ここで停まった。
今日もちょっとお邪魔する。(お邪魔するって、変な表現だけれども)


ほとんど交通量のないところとはいえ、橋の上に停まるのはよくない。
写真を撮ったら移動して、歩いて橋の上に戻ることにしよう。



selenさんの風景だ。
この橋の、反対側に小さなダムがあり、高富貯水池がある。
この沢を下って行くと、知津狩川に合流して、石狩川の河口へと流れていく。
田んぼの刈り入れが終わり、刈り取った跡がきれいにならんでいる。

顔の筋肉の痙攣は、少し残っている。
頭も少し痛い。
でも、すこしずつ、ほぐれてきているように感じる。

プラシーボ効果かもしれないけれど。

さあ、行こう。

橋を過ぎ、坂を下りていくと、直ぐに知津狩川の谷に出る。
そこを右折して、知津狩川沿いに、ゆるやかに谷を上っていく。

いくつかの支流の沢を見ながら、秋の匂いの中を、ゆっくり走るのは、
気持ちよく、落ち着いた、穏やかな気持ちにしてくれる。

走っていても、仕事の嫌なことや、明日の仕事のことなどが
頭に去来するのだが、それでも家の中にいる時とは違って、
それに引き込まれてどうしようもなくなることがない。

走る風の流れに乗って、嫌な思いは去来しては去っていく。
どうやらこれは、「禅」の時の精神状態に似ているらしい。

何も現状は変わらないのだが、自分の心の中が、少し洗われる感じがするのだ。

もちろん、考え事をしたり、ぼんやりしたりしながら運転しては危ない。
バイクは運転に集中していないと、危ないのだ。
しかし、集中していないというわけでも、そちらに気を取られるというわけでもないのだが、
走っていると、意識せずにいろんな思いが頭に浮かんでは去っていく、そんな現象が起きる。
特にツーリングに出ると、そういうことが起こる。

思いこんだり、考え込んだりは運転しながらはできない。
だから、落ち込むことも本格的にはできないし、有頂天になることも、運転しながらはできない。

しかし、走っていると、浮かんでくる考え、それは日常の中で引っかかっていることで、しかも走っている間は、それに「拘る」ことができないので、素直に浮かんで流れていく。
それによって、ネガティブな思考や気分の自家中毒から脱することができたり、何か壁や天井のようなものにつかえて進めなかった考えの、その壁や天井が壊れて突破できたりすることも起きるのだ。

ただ、それは起こそうとして起きるものではない。
だから、それを期待して、そうなることの手段として走っても、その目論見は果たされないことも多い。

それは、ただバイクを走らせること、バイクと走っていることに浸りきっているときに起こるのだ。


通り過ぎてから、何か心惹かれる風景があったような気がして、
今日はUターンしてみた。

時間に追われていない、距離も短くていい、そんな走りだからできたUターン。

引き返してみると、小さな沢へと向かう、緩やかな棚田。
夕日が横から射してきて、谷の半分が日陰に沈むところだった。


ゆきかぜの足元に、「赤まんま」の花。イヌタデが正式(?)名称だ。
ふるさと秋田にも咲いていた雑草だ。


手前にはクローバのむらさきの花。ムラサキツメクサとも、赤ツメクサとも呼ばれるらしい。

防寒をばっちりしてきたので、全く寒くないが、気温はちょっとずつ下がってきているようだ。

おだやかな午後。
風もそよと吹いたり、とまったりしている。
道の向かい側を見ると、
一本の私道が、森の中へ伸びていくのが見えた。


入り口にロープが張ってある。
これは入れないね。
しばらく眺めて、もう一度、ゆきかぜを眺めて。


うん。好きだな。
この佇まい。
この姿。

意味もなく、道端でぼんやり。
稲わら焼きの匂いが、どこからか流れてくる。
深呼吸して。

頭の奥のジンジンはまだ鳴っているけれど、でも、いい気持だ。

さて、そろそろ。



小さな低い峠を越える。

峰を越えて、正利冠川(まさりかっぷがわ)の谷へ出る。

ちょっと川沿い方へ曲がって、50mくらいいって、またゆきかぜを停める。
すこし散歩したくなった。

明るい谷。
周囲の山も低く、でも、直ぐに川は源流を迎えそうだ。
短い谷。
その中に、ポツリ、ポツリと民家が点在している。

しばらく、ぶらぶらと、何気なく歩いた。

なんてことない風景。

特に撮りたいものがあったわけでもない。

でも、昔から、こういうのが好きだった。



空が青い。

秋が深い。


望遠側にズームしてみた。
背景の森の陰影が濃くなってきた。
午後4時。
そろそろ、海へ向かおう。

(やさしい時間へ。つづく)

2 件のコメント:

  1. 16時ころ、樹生さんが望遠でその一枚を撮っていた頃、
    北の方で、同じように道の上で立ち止まり、
    ボクは、この日最後の一枚を撮っていました。

    お会いしたことも、お話したことも無くてですが、
    この日おなじ時を、それぞれではありますが、
    樹生さんと、道の上に居たんだと思うと、
    不思議なのですが、それをうれしく感じていたりです。

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    1. selenさん、こんにちは。

      selenさんはこの日R275を北へ走ってらしたんでしたね。
      深まる秋の日曜日。
      私は午後のひとときだけでしたが、外に出て、
      ゆきかぜと走ることに幸せを感じていました。

      走る歓び、走る幸せ、
      つるんでなくても、離れた時、所でも
      共鳴している仲間がいるということは、
      とてもうれしく、支えになります。

      それぞれが、それぞれに走りながらも、
      同時だったりすると、
      うれしく感じますね。

      selenさん、ありがとうございます。

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