2020年10月4日

秋冷

朝から曇り。夕方には雨の予報だった。
朝は仕事があった。終わったのが午前11時。
少しだけ、走りに行くことにした。
曇天。
今にも落ちてきそうだ。合羽を荷物に入れて。

なんとなく北方向。
当別町の方へ走っていった。

石狩街道を北へ走り、「あいの里」方面へ。あいの里から道道112をちょっと北上すると国道337にぶつかる丁字路にあたる。
その正面に、大きな一本木がある。
交通量も多く、先を急ぐことも多いので、この木に近寄ってみたことはない。
今日はたまたま信号が赤だったので、コンパクトカメラを出して写真を一枚。
まるい、見事な枝ぶり。毎日猛烈に排気ガスを浴び続けて、それでもこの球形を保ち、立ち続けている。
何の木だろう。
いつか、立ち寄ってみよう。

当別町までなんとなくやってきた。
街中のコンビニ。今日はセイコーマート「当別弥生店」でカツ丼500円(税込540円)を購入。
僕の中でセイコマといえば緒崎さんだ。

地面に食べ物を置いてはいけないのだが、失礼。

いつもはセブンイレブンやローソンの暖め系の軽食とコーヒーで済ませるのだが、今日の昼は何か暖かくてうまいものを食べたかった。



このカツ丼、旨いので有名らしいが、実際食べると、旨い。
ちょっと甘すぎるという人もいるかもしれないが、体が冷えるライダーには、これくらいがいい。
セイコーマートの軒下の端っこで地べたに座り込んで食べるって、やはり失礼なのだろうか。
まあ、感じよくはないかもしれない。
食べるのに3分もかからないのは、よくない癖だ。
食べるのが昔から速いのは、昼休みが時間設定されていても実際には全く取れないという環境で30年以上仕事をしてきているからだ。
最近は仕事で弁当を食べきる5分が取れないので、おにぎりにして、いつでも食事を中断できるようにしている。

それにしても、ツーリングの時くらい、ゆっくり食べてもいいものだが…。
ちょっと頑張って噛んでみると、肉の甘さが染みてきて、ご飯のあまさも増してくる。
僕の味覚はまだ「おこちゃま」で、甘いものが大好きだ。
ああ、旨い。

そそくさと食べ終えて、また走ることにする。
空がどんどん暗くなってきた。
体力もあまりない。
近場でくるっと回って帰ろう。

思いついたのは、道道527号線だ。
その道は時々、selenさんが走っている道で、僕は何回か走ったことはあるものの、あまり走る機会がない。
地図で見ると、当別から石狩市望来まで。20km弱の道のり。ちょうどいいくらいだ。
この道を走ることにしよう。


527の入り口(後で調べたら終点=出口だった)まで来た。午後1時にしては暗い。

風は冷たいというほどではないが、走っていると冷えてくる程度のひんやりした風。
中秋の名月も過ぎ、秋冷の候だ。


しばらく走ると、通り過ぎた瞬間に見覚えのある感覚が。
停まって見てみた。
これは、selenさんの風景か。
橋の上だったが、交通量が少なかった(ほぼゼロ)ので、ちょっと甘えて。


たぶん、ここだ。
selenさんはもっと右手から撮っている。
何度もここで停まり、写真を撮っているのだ。
僕も今回シャッターを押してみたものの、写っているものは違う。
ほぼ同じ風景でも、撮る人によって、…もちろん季節や時間、天候なども大きいのだが、…風景は違って見える。

でもここの空気は、たしかに、心地よかった。
赤井川のカルデラの中でも感じる、あの感じに似ていた。
心地よい空間、心地よい空気というものが、僕にとってはある。
上手く説明できないのだが、大きな樹のあるところには、そういう空気が流れていることが多い。

少し、休んで、風に吹かれていたい…。

そんな気持ちになる場所があるのだ。

もう、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わっている。
稲わら焼きの跡が所々に黒く残って。

僕の育った秋田では、昔、秋になると、一斉に田んぼの稲わら焼きが行われて、その香ばしい匂いが町中に満ち、まるでスモッグのように空は曇り、視界がさえぎられるくらいだった。
その光景は秋の風物詩だったが、実は「戦後」に始まったものだ。
農地改革、農業の機械化、近代化は、農家に多大な借金を負わせ、その返却のために冬は出稼ぎに行かねばならなくなった。
そのため、稲刈り後にゆっくりと稲わらを処理し、上質な堆肥にしたりする時間がなくなったのだ。
すぐに列車に乗り、半年の出稼ぎに出ねばならない。
だから、稲を焼いたのだ。

出稼ぎは、また、浮気問題、家族離散などの多くの副作用も生んだ。
また、借金して買った大型農機具での事故や、農機具に合わない小さな田んぼを崩してやり替える費用。そして、それにより何百年も育てた土がだめになったことによる化学肥料の購入費、新しい害虫の大量発生に伴う農薬散布費用…。
また、金が足りなくなり、出稼ぎに行かねばならなくなり…。
そして突然の食料政策転換「減反」…。


日本の農業は大嵐に吹かれ続けてきた。

それでも、食料を作ることは、命をつなぐために絶対に必要なことだ。
農業を手離さなかった人たち。
今もつながる、農の風景…。

道道527は、延長17kmだった。
海沿いの国道231号線についたら、今度は広域農道を帰る。

谷を走り、丘を越えて、ゆっくりと南下していった。



途中見つけたのは、豆畑。
刈り取りが終わって、重ねて家のように組み上げ、しばらく置く。
これを「ニオ」と呼ぶそうだ。



丘の上の大きくない豆畑だったが、ニオがなつかしかった。
十勝に住んでいた頃は、広大なパッチワークの畑の所々にニオが並ぶ光景が限りなく広がっていたのを思い出す。

仕事の都合で十勝を離れ、札幌に住んでからもう15年以上たったのか。


丘を行くと、石狩川の河岸段丘の縁が見えて来た。
河岸段丘といっても、広大な石狩平野の北の端の段丘涯だ。

その上の丘から、石狩、札幌方面が見晴らせる。




畑の向こうに、霞んだ平野と札幌の街の影が見え、向こうに広がる手稲山から続いていく山々も見える。

どうやら、雨に降られる前に帰れそうだ。



ゆきかぜ。

見方によっては、かわいく見え、
見方にとっては、逞しく見える。

ボケているようでもあり、
凛としているようでもあり、

ちょっとはかなげで、
さびしげでもある。

あとひと月。
君と、どこへ行けるだろうか。

2 件のコメント:

  1. こんばんは樹生さん。


    ある日とんかつ屋でカツ丼を注文したところ、セコマのカツ丼とまったく同じ味だったので複雑な気分になった事がありました。
    多分キッコーマンの『めんみ』か、それに近いめんつゆを使って作られていて、道民には馴染み深い味わいで人気なのだと思われます。

    稲わら焼きからの農家のダークサイドな話は知らなかったので勉強になりました。
    冬は出稼ぎ、、、というのはよく聞く話で、自分の回りの出稼ぎ先はほぼ自動車製造だったと記憶しています。
    リーマン・ショック後は出稼ぎ先がなくて非常に厳しい時期だったとも。


    『木』を見つける視点、興味深いです。
    その道を何度走っても言われるまで気付きませんでした。
    いつもロイズしか見てなかったので。
    次に走った時に、その木を探してみようと思います。

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    1. 緒崎松倉さん、こんにちは。

      キッコーマンの「めんみ」、知りませんでした。甘くて、美味しいですよね。
      でも食堂でセコマと同じ味だと「……。」となりますね。美味しいのは美味しいのですけど。

      稲わら焼きの匂い、子どもの頃から好きで、いい匂いだと、今でも思うのですが、
      そして、昔も全く焼かなかったわけではなく、一部は焼いたりしていたのですけど、
      稲わらからつくり草鞋や蓑の需要もなくなりましたものね…。
      藁でつくった蓑って、通気性はよく、軽く、雨は通さず、ゴアテックスよりはるかに優れた着心地、防水性能があったみたいですが、耐久性は極端に短かったようです。
      でも、大量に稲わらがあるのですから、それでOKだし、濡れたわらは積んでおいてやがて堆肥にすればいいという、なんて素敵なサスティナビリティだったらしいです。

      長持ちすれば優秀とも限らない、この循環も、近代が忘れたものかもしれません。

      農家の方には、ホントに頭が下がります。

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