2021年2月11日

「教えて尊敬されたい」中年ベテラン男性ライダーの願望。

ブラタモリについて、誰かがどこかで言っていた。
ブラタモリは男性の欲望、願望の最終形態をよく表している。
『物知りおじいちゃんとして若い女の子に教えて、「すごーい」と尊敬され、好かれたい』
あやふやな記憶で書いているのでこの通りではなかったかもしれない。
しかし、よく表していると思う。僕自身、その誘惑には抗いがたい引力を感じる。

(以下、この記事は、樹生和人が自分自身に対して語り掛けている文章です。)
文章だけの長い記事です。

根本健氏は、1980年代前半から僕が読み続けている二輪ジャーナリストだ。
根本氏30代の頃の『RIDERS CLUB』は、バイクを文化に押し上げようとする気迫に満ちていた。大学で学んでいた僕は、根本氏の文章の方がそこらの評論家の文章よりもずっと論理的でかつ、文学的で、学ぶところが多いことに驚いていた。
僕は論文を書く前はRIDERS CLUBを読んで、頭の中のリズムを整えてから書いたものだ。
やがて根本氏は比較的若いうちから編集長を降り、若手に道を譲りながらも自分の世界を広げていった。
『BIKE JIN』を立ち上げ、硬派なRIDERS CLUBから少しソフトなバイク趣味の裾野を広げる方向での活動も行い、自分自身もツーリング記事を書いたりしていった。根本氏50代の頃だ。
そして60代に入ろうかという頃からweb上での活動も力が入っていき、動画をらいでぃんぐNAVI等の動画を上げていく。
この辺りから、根本氏が若い女性の編集部員にライディングをレクチャーする動画がシリーズ化されていく。
それは2010年代もずっと続き、現在では「RIDE HI」でやはり若い女性のライダー(タレントさん)へのレクチャーという形で続いている。

もちろん、根本氏は男女なく、年齢関係なく、レクチャーするし、アドバイスする。
RIDERS CLUB誌上では、読者参加のライテク企画として、老若男女、レベルも初心者からかなりの腕の人まで、いろいろ参加し、根本氏がアドバイス、指導する企画があった。
興味深いのは、上手くいった例だけでなく、当初の目的(例えばサーキットで膝をするとか)が達成できなかった場合でも、同じように記事にしていた点だ。

したがって、根本氏がかわいい若い女性だけが好きで相手にしているというわけでは決してない。
しかし、ベテラン男性ライダーがライテクをレクチャーする相手としてメディア上に載せる時に選ばれるのは、若い女性ビギナーライダーなのだ。
そういう構図が、多くの男性ライダーの願望をあらわしているからだ。

おそらく中年以上の男性ライダーには、若くてかわいい、またはきれいな女性ライダーに自分がライテクを教えて、感謝されたい、尊敬されたい、そんな欲望が渦巻いている。
全員がそうだとは言わないが、かなり多くの男性中年ライダーが、そんな欲望を胸に秘めて(時には秘めさえもしないで)いる。(と思う。)

なにを隠そう、僕もその中の一人なのだ。

ほんとにやれやれだ。

だから「男」(自分たちでは漢と呼ぶ)は、
いつまでも一人前の人間として認知されないのだ。(本人は全く気付いていないが)
いろんな人と対等な人間関係を結べず、人に敬意を示せず、
すぐに上下関係を作りたがり、その中で自分の位置や力を誇示しようとする。
そして、「若いねーちゃん」にちやほやされたがる。
ほんとに「キモイ」ってヤツだ。
本当は、弱虫の嘘つきだってばれているというのに。

でも、もちろん日本のバイク文化は、そんなに単層的で貧しいものでは決してない。

年齢や性別の違い、経験値や技量の違いがあっても、互いを尊重し、安全に、みんなが楽しくツーリングをするようなグループはたくさんある。

男女の違いがあっても、それがないかのようにではなく、その違いを尊重しつつともに走ろうとするバイク仲間も、多数存在する。

しかし、一方では、中年男のだらしない欲望、願望に抗えない側面も、一人の人間の中でもあったりする。
だから例えば動画サイトで「○○女子」というだけで、男たちの視聴回数が増えるのだ。
そして「○○女子」というアカウントの中には、視聴回数を増やすためにそうした男たち向けに演出、装飾されたエントリが結構あったりする。

まあ、でも。
それはそれで、よい。

以前書いたが、「セーラーエース」という漫画があった。
しげの秀一氏が「JK野球」を舞台に描いた漫画で、これは以前記事に書いた
その中で僕はこう書いている。
「おじさん願望で勝手にありえないJK世界を夢想した、気持ち悪い作品」ということになるかもしれないのですが、それはたぶん、いちばんきつくてかつ、いちばん当たっている批評になると思うのですが、その「すけべ心」が素直な若い娘っこへの「あこがれ」として存在し、そしてその躍動感、スピード感が、まさに絶妙なリアル感を出しているところが、この作品のすごくいいところだと僕は思うのです。
そういう願望があること自体は、よい。
アイドルに憧れる気持ちもあっていいし、どんなものが好きかは、人それぞれだ。

ただ、現実に、実際の場面では、そういう
「教えて尊敬されたい」中年ベテラン男性ライダーの願望
は、秘めておいた方がよい。

中学生の頃、性に目覚めて自分でも戸惑いながら否応なく押し寄せてくる性的な衝動に、頭がおかしくなりそうだったことを思い出そう。
それは自然なことだが、実際にそれを表に出してはいけない。
それは、自分の性的な(人間的な)成長を妨げるものになってしまうし、人を傷つけてしまうことからだ。

同じように、僕のような中年から老年のオヤジたちがいつまでも、
若い女の子に「教えて尊敬されたい」願望から抜け出せず、
それを事あるごとに表面に出してしまうようなら、バイク文化の成熟にはほど遠い。

そういう願望を密かに噛みしめてにやにやするのは、仮想の世界の中だけにしよう。
漫画を読んでもいいし、そういう小説を読んでも(書いても)いいし、
そういう映画(例えば「キリン」とか)を観て、楽しんでもいい。

でも、現実との区別をしっかりつけておこう。
大人なんだから。

バイクは、死亡事故もある乗り物だ。
遊園地の乗り物とは違う。
走ることには命がかかっている。
それを、舐めてかかってはいけない。

それと、
そういう願望だけでない、これからのバイク文化を作っていこう。

若い人には、若い人の文化があるだろう。
その中には、ベテランといっても学ぶべきことが多くあるだろうし、
楽しいこともたくさんあるに違いない。
一方で世代ギャップというか、そういうノリにはついていけない…ということも
多くある。
ノリが違うだけなら、お互いに敬して遠ざけていればよい。(敬遠という奴だ)

たまに、それじゃあぶないぞ、と思うこともある。
そういう時には、「教えて尊敬されたい」じゃなくて、
「うざがられて気持ち悪がられて、嫌われるだろうけど、ここはおせっかいしなくては…」
という気持ちで、声を掛けたり、web上で発信したりしていこう。

もちろん、いつでも、というわけではない。
自分が気づき、自分が対応する時間と、パワーを持っている時だけでいい。

自分の中にスケベな下心がある以上、親切をしても、それは偽善にしかならない。
しかたない。
偽善でよい。
というか、根っからの善人でない以上は、純粋な善行などできはしない。
せいぜい偽善しかできないのだ。

下心を最後まで抑え込み、絶対にばれないように、最後までおくびにも出さないようにして、親切(おせっかい)だけをすればよいのだ。

そういう、やせ我慢のダンディズムが、中年、老年のライダーには似つかわしい。

家に帰ってから「あ~、ちくしょう、惜しかった…、危なかったー。下心、はみでてなかったろうな…、あー」と、一人でも悶絶したり、悔し泣きしてたりしてればいいのだ。

バイク文化の成熟は、これからだと思う。
日本ではまだ、男のセクシュアリティがバイク文化の中で強すぎ、
女性ライダーが「男に見られる女性ライダー」というポジションから
抜け出しきれていない状況がかなりあると思う。

男性中年ライダー、老年ライダーは、ジェンダーギャップが凄まじい中で育った。
男らしさの呪縛が、誇り意識とともに、深層に沁み込んでいる。
そこから自分を、解放していかなければならない。
自分のすけべな心は認めたままで、決して差別的な言動をしないように、
心していかなければならない。

その先に、これからの本来のバイク文化が開けていると思う。
しかもそれは、今までの、かつての、バイク文化と本質のところではちゃんとつながっているものだと思う。
今までの文化を壊すのでなくても、新しい、偏見や差別から自由になろうとするバイク文化は、今までの文化の良質なところを学びながら築いていけるのだ。


注)この文章は樹生和人が自分自身に向けて話しているものです。
  決して特定の他者に向けて書いているものではありません。ご了承ください。

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