2017年7月31日

しげの秀一氏、『セーラーエース』、打ち切りを惜しむ。(今さら)

しげの秀一といえば、『バリバリ伝説』。グンとヒデヨシの走りは、若かった僕に今でも強烈な思い出を残しています。
そして、『頭文字D』。とうふやのハチロクがダウンヒルで速いという設定で始まった4輪の公道バトルの漫画は、思いの外長く続き、一大ブームを巻き起こしました。
(今回はバイクネタではありません。漫画について語っています。)


しげの秀一といえば、楠みちはる。『あいつとララバイ』に熱くなりました。死神ライダー赤木洸一とのバトルはすごかった。「あいつとララバイ」は、バリバリ伝説とはぼ同時進行、そして、『湾岸ミッドナイト』。「悪魔のZ」の物語は、『頭文字D』とほぼ同時進行。この二人が、若いころは2輪漫画で、のち、4輪の漫画でどちらも「走り」を題材として、まったく違うアプローチから、「走り」にまつわるストーリーを紡ぎ、バイクや車を「走らせること」の精神性をリードしてきた側面があること、その影響力の大きさは、否めないと思います。一部のファンの作品シーンの模倣が、社会問題化したことも共通ですが。

さて、そのしげの秀一氏が最近連載していた漫画が『セーラーエース』でした。
女子高校生の野球漫画。「JK野球」と言うらしいですが、僕としては、とてもとても面白かったのですが、作品連載中に突然打ち切られています。
そしてこの夏から車の新連載が始まるということなのですが、そのいきさつや、真相はどうであれ(その詮索には興味ありません。)、セーラーエース、打ち切られたものの、かなり面白かったのと同時に、しげの氏の漫画の魅力は十分に詰まっていたと思うのでした。
引用は、『セーラーエース』第2巻、21ページ。
引用は、『セーラーエース』第2巻、22ページ。
しげの氏の漫画の最大の魅力は、「動きあるものの描き方」だと、思います。
楠氏が公道300km/hという高速の世界を描いても、そこに写真で止めたかのような絵を描き、その絵の重ねでスピードを表現するのに対して、しげの氏は動きの「軌跡」と背景を含めた臨場感でスピードを表現します。その手法は、山口かつみ氏の『オーバーレブ!』他、多くの後出漫画家に影響を与え、越えることができない一つの定番となっていると言ってもいいかと思います。

『頭文字D』にしても『湾岸ミッドナイト』にしても、だんだん車が走っているシーンの他はバストアップで魂のこもっていないかのような人物が描かれ、(顔だけのシーンも多く、そのポーズも類型的)、それらの人物のセリフがナレーションの役割を果たして、走行シーンの解説をするというようになっていったのですが、それは同時に、話が進むと同時に敵が強くならねばならず、主人公もだんだん強くならねばならないという、漫画の宿命と、売れてくると必然的に話を終了させることができないという商業誌連載の宿命とによって、だんだん本来持っていた輝きを失っていく過程でもありました。

おっと、それは別として。

しげの氏のスピードやうごきの描き方のうまさ、それは、絵の線だけでなく、コマ割りの妙にもあります。
引用は、『セーラーエース』第4巻、85ページ。

引用は、『セーラーエース』第4巻、86ページ。
引用は、『セーラーエース』第4巻、87ページ。

カメラの切り替え、アップと引きとの切り替え。このコマ割りによる動きの見せ方の名手といえば、現在の漫画界というよりも美術界をも代表する井上雅彦氏が、当時漫画化は不可能だと言われて、過去何度もトライされたものの誰も成功しえなかったバスケットボールを見事に漫画で描いた『スラムダンク』がカメラワーク、視点切り替えのスピード感(かれの絵そのものは写真で切り取ったように止まっているものといえます。)を革命的に高めた、とも言えると思いますが、(その前に、動きといえば、大友克洋氏など、述べるべき漫画家はたくさん存在しますが、すべて割愛!すみません。)しげの氏のコマ割りはバリバリ伝説の頃から、先輩たちのコマ割りの影響を受けながらも独特の進化、深化を遂げてきたように思います。特に、バリバリ伝説は主人公が全日本選手権に参戦しだした後から、飛躍的に走りのシーンのスピード感が増していきます。
そのしげの氏独特のコマ割りと、スピード感、動きの表現が、このセーラーエースにも非常によく出ていて、野球漫画は数多くかかれ、その描写も、それぞれに素晴らしいのですが、ことスピードに関しては、僕にとってはしげの氏がナンバー1なのです。

引用は、『セーラーエース』第6巻、23ページ。


引用は、『セーラーエース』第6巻、24ページ。
『セーラーエース』はコミックスが1巻~6巻で完結しましたが、ストーリーは試合の途中で、これからということろでぶつっと終わっています。完全に「続く」の流れで、次回が描かれないという打ち切り宣言。
いろいろ撒いていて、この試合の途中で回収するはずだったにちがいない伏線も、そのままに投げ出されてしまいました。

しげの氏は、女の子たちが大好きなのでしょう。
セーラーエースでは、男の子に媚びることなく(ほぼ女子しか出てこない)、男の子の引き立て役になることもなく、でも失恋したり、野球に一生懸命だったり、そうでもなかったりという高校生のチームメイトたちの、必要以上にドラマティックにならない、ドラマ性も上品で、そして主人公のピッチャーをのびのびとかわいく、美しく、しなやかでつよく、描きたいという、「おじさん」…というより、もうおじいさんに近いのか…、僕もですけど、の若い娘っ子のまぶしさをめでる罪のない「すけべ心」が、充分に発揮されて、楽しめるエンターテインメント作品になっていました。

「おじさん願望で勝手にありえないJK世界を夢想した、気持ち悪い作品」ということになるかもしれないのですが、それはたぶん、いちばんきつくてかつ、いちばん当たっている批評になると思うのですが、その「すけべ心」が素直な若い娘っこへの「あこがれ」として存在し、そしてその躍動感、スピード感が、まさに絶妙なリアル感を出しているところが、この作品のすごくいいところだと僕は思うのです。

動きを描かせたら本当に上手い!
しげの秀一氏の『セーラーエース』打ち切り、2017年の4月のことでしたが、今さらながら、惜しかったと思います。
続きを読みたかった。




4 件のコメント:

  1. 樹生さんこんにちは。
    「おじさん願望で勝手にありえないJK世界を夢想した、気持ち悪い作品」の文を読んで、僕は宮崎駿を思い浮かべました(笑)
    JKではないのかもしれませんけど。

    マンガは人並みに読んでたと思うのですが、モータースポーツ系に関してはオーバーレブと頭文字Dは途中まで…って感じだったので、この前久々にマンガ喫茶に行ってみたのですが、キリンもバリバリ伝説もあいつとララバイもありませんでした。
    いつか機会があればと思い続けています…^^;

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    1. Shin Osawaさん、こんにちは。
      僕も50代半ばの老年近い中年オヤジなので、しげの氏の作品は、わかっていても抗えないものがあります。特にそのスピード感、そしてバリバリ伝説も、頭文字Dもそうでしたが、それ以外の漫画でも、対象世界を相当に調べ、勉強して描いている点。これはプロの漫画家だから当たり前かもしれせんが、ただすごいだろう!とかましてくるのでなく、本当によく調べて、いちばんいいところを突いてくるのは、すごいと思います。
      そしてしげの氏の「勝手な願望」の「すけべ心」には、素直な「あこがれ」があります。
      読者のスケベ心をくすぐって、したり顔しているのではなく、作者自身のスケベ心で、その対象への敬意を忘れずにいくのは、しげの氏の「誠意」だと僕は思っているのです。
      僕は昔からあだち充氏のうまさは認めても、彼の描く女の子や男女関係は大嫌いです。
      それは、あだち氏が、自身の願望でなく、読者の欲望をくすぐって描いているからです。
      そういう意味では、芸能界の秋本康氏も、詞の世界や彼のプロデュースするアイドル達の売り方そのものに、非常に嫌悪感を覚えます。(アイドルの個々の女の子についてではありません。あくまで秋本氏の方法論に関してです。)
      対象を尊敬し、真剣にやっているか、対象(女の子や読者)の好みを把握し、見下ろしながら小綺麗に操っているかの違いで、読者を低く見積もり、アイドルを操って売り込むことには邪悪さを感じます。
      宮崎駿は……、僕、彼はわからないんです。「ナウシカ」のコミック版はいいと思ったのですが、アニメは、まあ面白いかな…というくらいで……(^^;)

      まあ、でも、僕みたいなのがグダグダ言ってもしょうがないんですが、漫画って、面白いですよね。

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  2. 主人公の繭ちゃん、僕も好きですよ。

    >>しげの氏独特のコマ割りと、スピード感
    で思い出しましたが、レースシーンには、坪内隆直さんのGPフォトを参考にされたようなカットもみられましたね。最終話かコミックの最終巻だっけかにお名前もクレジットされてましたし。
    今読んでみても、現代の本物のの動画よりも、リアリティを想起させられます。
    僕らの世代としては、バリ伝の漫画の向こうに、ケニーvsフレディやローソンvsガードナーを感じているのかもしれませんね。

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  3. Hiroshi Mutoさん、こんんちは。
    えっ、Hiroshi Mutoさんも読んでたの?そして好き?めっちゃ嬉しいです。

    GPのスタートを正面から望遠で、遠近感を圧縮した絵で描く、
    S字の切り返しを二つ目のカットインの瞬間の絵と、リヤタイヤがキックしていったその軌跡で描く、
    ヘヤピンをアウト側高いことから見下ろして描く、
    パドックの様子、特に生活の場となっているところを描くなど、
    80年代のGPシーンを伝えてくれた写真、特に坪内氏のカットなどに大きくインスパイアされながら、
    しげの氏は描いていると思います。
    またやはり実際に走る人ならではの、操作の描写も多かったように思います。
    確かに、ただ眺めてしまう、動画よりも、動きの速い流れの中に、ポイントとしてのストップモーションが挿入されるしげの氏の漫画表現は、とてもリアルだと思います。
    走っている感覚になってしまうというか、しかも、そんなことできない!と思いつつ、頭の中でバイクや車が命を持って疾走していく様子を、ただの説明としてでなく描くのは、しげの氏の真骨頂だなあ…と思うのです。
    同時に、野球という身体の動きと小さなボールの動きがメインとなる分野でも、しげの氏の動きの表現はやっぱりすごいな…と思い、なにより、女子高の運動部の生徒たちのあり方を今までにない角度から書いていて、萌えでも根性でも、型にはまった「青春」でもなく、新しい10代の女子スポーツの描き方を期待していただけに、そっちの方からも、打ち切りは残念なのでした。
    関東大会の決勝まで、やってほしかった。……です。

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