ニセコパノラマラインへ。
久しぶりに、ニセコパノラマラインを走ろうと思った。
南側から北上して、また南下。往復して走ってみよう。
平日だから、そんなに混んでいないはず。
走ってみたら、やはりそうだった。
飛ばし屋にも会わなかった。
空いたパノラマラインをゆっくり流す。
この道は、攻めて走りたくなる道だ。
路面状況もよく、ほどよい走りやすいカーブがある。
本気で攻めると、速度レンジが上がり過ぎて危険。
しかし、ほどほどならば、とても楽しめる。
けれど、その、ほどほどでも、免許はなくなってしまうようなペースに突入する。
ゆっくり走ると、もったいない感が出てしまう道なんて、あんまりないのだが。
V7が急かさないタイプのバイクなのが助かる。
最近は飛ばすことが減った。
特に、動画を録るようになってからは、法定速度で流すことも多くなった。
そう、「遅すぎる」ほどに。
北海道の公道では、特に郊外では、車の流れは法外に速い。
その中で一台だけ遅いと、それは流れを乱すことにもなるし、相対速度差が出るので、相手にもストレスを与えるし、煽られの原因にもなり得るし、相手が追い越す時に、いいタイミングを見つけないと危険でもある。
このブログでも、前のブログでも何度も書いているが、法定速度を守っていれば自分が正しくて、周りのことは考えなくていいというのは、傲慢というものだ。
もしくは、未熟に過ぎる。
正しければいいという思考停止状態で生き抜けるほど、公道は甘い場所ではないのだ。
そういうと、「暴走行為を認めるのか」と怒り出す人もいるのだが、守るか、守らないかという二択という選択肢での思考自体が、危険を呼び込む硬直した思考、または思考停止なのだ。
公道上で絶対に正しいということも、絶対に安全ということもあり得ない。
自分の命を守り、人の命を危険にさらさない。その覚悟で、自分の責任で判断して走るしかないのだ。
制限速度50km/hのところでも、状況によっては30km/hでも危険な場合はある。
そのときは、30km/h以下で走らなくてはならない。
同じ道で、前のライダーが時速60km/hで突っ込んでいったカーブでも、自分にとってそれが速すぎる時は、もっと落とさなければならない。
原付で左端を走っていて、駐車している車を抜くとき、周りの流れが60km/h以上なのに、かたくなに30km/hを守ってふらふらと駐車車両の右側を追い越しに入るのは危険だ。
安全とは、もっと動的なもので、もっと現実的、「臨機」なものなのだ。
法規はその安全を「守る」ためにあるのであって、法規は守らなくてはならないが、法規は守るためにあるのではない。法規が命を守るためにあるのだ。この順番を間違ってはいけない。
無心で走れるわけではないのは、人間にとっては、速すぎる移動手段を手に入れた時から、それは宿命だ。
景色もよく、風も気持ちいい、ニセコパノラマライン。
観光ガイドや、二輪のツーリングガイドでも、北海道のおすすめ道に必ず入っている。
でもこの道は、混む時期に、混む時間帯には、走りに来たくない道でもある。
それでも、今日はよく晴れ、交通量もかなり少なく、気持ちのいい時間を過ごせた。
ニセコパノラマラインに来るたびに、アンビバレンツ(両義的)な気持ちになる。
それでも、今日も見事な景色、感動的な青空、気持ちのいい路面、やっぱり往復して走りを楽しんでしまった。
ヒラフのスキー場。
本当に美しい。
ニセコが世界的に評価が高いスキーリゾートというのも、うなづける。
ヘルメットを脱いで、持参したマスクを二重にかけ、手指のアルコール消毒をして入店、買ったら早々に出て、バイクのもとへ。
ちょっと走って移動して、市街地を抜け、だれもいない道端で、食事にした。
セイコーマートのサンドイッチと、北海道オリジナルの羊蹄の銘水で淹れたブラックコーヒー。
おいしくいただく。
木蔭にいても、汗が噴き出してくる。
お昼前なのに、コンビニで買い物をして、食事を摂ったのは、バテるのを予防するためだ。
それでも、体力は少しずつ消耗していく。
今日は午後から用事があるから、そろそろ帰り道に就くのは、ちょうどいい頃合い。
短い夏だが、今年は暑い。
気がかりはCOVIT―19の感染の拡大。
油断することなく、気をつけていきたい。
限られた中で、ライディングを楽しむ。
それは、どんな時でもそうだったかもしれない。
「自由と思いのままとは違う」と言ったのは誰だったか。
今年はバイクライディングの本当の自由の意味が問われているような気がする。
さあ、安全運転で。
気を引き締めて帰ろう。
ゆきかぜ。
(夏の輝き 完)
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