2022年5月23日

五月の風(4)

午後2時を回り、函館のさらに遠く、亀田半島末端の恵山にいる。
急いで帰ろう。ただし、安全を最優先に。
来た道を引き返すのが早いのは分かっていた。
でも、ここでまた「若さ」が意地を張る。
国道278を函館方面ではなく椴法華(とどほっけ)方面へ。
ひたすら帰路だ。
ずっと走る。
2022/5/17 15:13 大沼近くから駒ケ岳を望む。

椴法華から南茅部、鹿部と、ひたすら走る。
途中、道の駅でトイレ休憩。
肩凝りと、エネルギー切れを緩和するために、甘い缶コーヒーと、チョコ、そして痛み止めを投入。
僕は痛み止めで眠くならない「たち」のようだ。

鹿部でちょっと迷った。
このまま国道278を行き、森から高速か、ここから大沼に向かい、大沼インターから乗るか。

海岸沿いは、もういいか…。

このあたりで既に疲労を感じ始めている。
午後3時。
まずいぞ。

「慎重に」大沼方向へ走り、1枚だけ駒ケ岳の写真を撮り、
大沼インター手前のコンビニによってから、高速に再び乗った。

高速をただ、ただ走る。

疲れてくると、ゆきかぜとの高速走行で、風の抵抗を感じ始める。
そう、初めてだ。
ゆきかぜで走っていて、風による疲労を意識し、カウルモデルは楽だろうな…なんて考えるのは。

今までは、風の強さや寒さは感じても、風による疲労なんて考えたこともなかったのに。
やはりもうすぐ還暦。
年齢による体力の低下ということなのか。

それでも高速の車の流れに乗り、往路よりも長く、豊浦インターまで高速に乗って、
17時に下りた。

そこから道道97,道道285を通って、喜茂別、中山峠方向へ走る。


2022/5/17 17:10

豊浦から中山峠方向へ。
海岸から台地の上に上り、走ると、羊蹄山の南山麓が見えていた。

もう、今日最後の写真になるだろう。

だれもいない路端にゆきかぜを停め、記念写真を一枚。
さあ、ここから。
安全運転で、生きて帰る。

MOTOGUZZI V7、日帰りツーリング600km。
日帰り600㎞ツーリングなんて、若い頃から数知れず走ってきたが、
今回は初めてだったかもしれない。
徐々に、徐々に疲労がたまってていることを、日帰りツーリングの中で、危機意識として感じたのは。

現実には、この日、「ヒヤリハット!」にどきっとしたことはなかった。
眠くて居眠りしそうになった瞬間も来なかった。
若い頃の方が、ヒヤッとしたり、はっとしたり、居眠り運転しそうになって慌てたり、いろいろあった。ツーリング先で転倒したこともあったなあ。
腰の痛み、尻の痛みに耐えがたい苦痛を感じながら走ったこともあった。

今日は、尻も、腰も、肩も、確かにそれぞれに軽い痛みは来ているが、そんなにつらいわけではない。しかし、「疲れ」は感じ始めている。
一番事故しやすいパターンじゃないか。

さらに気を引き締めて帰った。

帰宅は、午後7時。
走った距離は608km。

結構盛りだくさんのツーリングだったのは、家についてみれば、
「ああ、生きて帰った」
という感慨と「ああ、疲れてる」という感想のみが押しよせる。

旅の反芻は、写真をみて、ブログの記事を書きながら思い出していくことにしよう。

こういう疲れ方も久しぶりの感覚。
でも疲れ自身は健全で、心地よい感覚。

眠くもならず、特にどこかが耐え難く痛いわけでもなく、上機嫌で、しかも変にハイにならずに、たどり着いた。

そう、こういう感覚で走っていたのだった…。

そういう懐かしさと、本当は記憶の書き換えや勘違いがあるはず、衰えをしっかり自覚すべきだ、という気持ちが、同居して、マーブル模様になっている。

それにしても、
「風」が疲れの元だと、身体で実感したことをさらに頭で認識した、初めてのツーリングになった気がした。

今日はむしろ、風は弱く、城岱スカイラインでも、恵山でも、高速でも、その風のなさ、弱さ、そして晴れた空の青さに、たくさん助けられた。

青空を感じ、海を感じ、火山の息吹や、素掘りトンネルの苦難の跡を見、コンビニで買い物するたびに、店員さんのおだやかな対応にふれた。

でも、今日の旅の終わりに、感じたのは「風」だった。
風で疲れたツーリング?
いや、それだけではないのだが、そして疲労の原因は風と言うより、冷静になってみれば、日頃の寝不足のせいなのだが。

今までとは違うニュアンスで、今日のツーリングを「五月の風」と名付けよう、と思った。

(五月の風 完)

9 件のコメント:

  1. 樹生さん、こんばんは。
    「5月の風」その連載に、駆け抜ける疾走感を文面から感じながらでした。

    >ちょっと感じる「もしかしてまずい?」感。>いい感じだ。
    に、樹生さんが楽しむ本質的なことを感じてみたり、

    >ここでまた「若さ」が意地を張る。
    に、良い意味でもう還暦近いのに 笑
    追い求めるものが変わらないでいる樹生さんに感銘したりでした。

    そんな走り続けるロングで、ふと立ち止まる中で感じる穏やかさも伝わって来たり。
    あぁ、樹生さんはこんな風にずっと走って来たんだと、人を知ることが出来て見入っていました。

    「5月の風」そんな風を、感じるようになったことも、
    新鮮な発見だったかもですね。
    帰宅しての疲労感の心地よさは、走り切った樹生さんのあの頃の、
    安堵感に近かったのではないでしょうか。なんて思ってみたりでした。

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    1. selenさん、コメントありがとうございます。
      selenさんがおっしゃる通り、私にとってバイクで走ることは、
      「遠くへ行く」ことであり、「冒険」であり、「未知」への旅だったように思います。
      私は本質が「ノマド」なのかもしれません。
      衰える体力、年々許されなくなる失敗(事故や違反)、
      そうした中での、自分の中のライディングとツーリングのあり方を、
      もう一回探っていくのが、還暦の自分の課題になっていくのかもしれない…、と思ったツーリングでもありました。

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  2. 日帰りで600kmですか!
    しかも、昔は結構このくらいの距離を走っていたのですね。
    私は20代の頃に、一度だけ日帰りで600km走ったことがありますが、
    帰りは疲れて日が暮れての高速道では居眠りしそうになりました。
    今は1日300km程度で、それ以上はお尻と体力が持ちません。
    ことろで、先日V7Ⅲを購入して丸2年が経ちました。
    購入時には、こちらのblogを含め、いろいろなblogを参考にしたので、
    ここで私もblogにインプレッションを書いてみました。
    宜しければ、お暇な時にでもご覧ください。
    (blogにコメントいただけると嬉しいです)
    https://gatapasya.blog.fc2.com/blog-entry-2053.html

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    1. がたぱしゃさん、こんにちは。
      私もこの頃、普段は日帰り300km前後のツーリングが多いです。
      V7だと無給油でいけますし、ツーリングにかかる時間的にも、ちょうどいいですよね。
      昔は、ひたすら走り続けるツーリングが多くて、一日の距離も長かったです。とにかく、遠くへ行きたかった、そういう思いが若い頃は強かったと思います。
      がたぱしゃさんのV7Ⅲも、もう丸2年が過ぎたのですね。
      どうぞ、これからも愛車といい旅を。

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    2. blogへのコメントありがとうございます。
      V7もⅢになって、ゆきかぜ号とは細かいところがいろいろと違っていると思います。6速になったり、エンジン搭載位置が変更されたり、エキパイが二重管になったりとありますが、排ガス規制はより厳しくなっているので、より混合比は薄くなっていると思います。低回転でアクセルを大きく開けてもあまり加速しないのは、ガスが薄いからかと思っています。だたⅢ型になってから、クラッチレバーから出たところのワイヤーの取り回しが緩くなり、クラッチが軽くなったのは大きな利点だと思っています。

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    3. 追記
      私が付けているウィンドスクリーンは、DARTというイギリスのメーカーのものです。GUZZI純正品より1万円安かったのでこちらにしました。Ⅰ型に付くタイプもあるようですので、ご参考にされて下さい。ちなみに高速を走っていての効果は、首から下の風が除けられる程度ですが、無いよりは楽です。
      https://store.shopping.yahoo.co.jp/motoparts/mg21l.html

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    4. がたぱしゃさん、V7Ⅲの情報、そしてスクリーンの情報、ありがとうございます。クラッチが軽いのはいいですね。

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  3. 600キロ越えお疲れ様でした。此れは先週のツーリングでしたか?
    風圧はじわじわ負担になるよね。ネイキッドのバイクの泣き所かな?かと言ってスタイルぶち壊しに
    なるようなカウルは困る。すっきりとしたデザインのモノが有れば付けるべきでしょうね。

    日浦の洞門は去年の秋バイクで行きましたが立派でしたね~。道南の旅は何かが違う感じがする。
    北海道で歴史が有るのはココだけですし、杉林を多く見かけるのも道南のみ。
    津軽海峡を見ながら走るのは楽しいですね。

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    1. いちさん、こんにちは。
      行ったのは、17日です。火曜日ですが、お休みでした。
      道南は植生も私の出身の北東北に近いです。数万年にわたり、北海道はアイヌ民族の暮らす大地でしたが、松前藩は江戸時代から道南の一部を支配、日本化していましたね。つい最近まで、沖縄と北海道の人だけが、本州、四国、九州を「内地」と呼びました。「日本としての北海道」の歴史は、USAと同じく、植民地の歴史です。
      北海道の街並みが本州以南の街並みと何か決定的に違い、どこか西部劇の町に似ているのは、開拓による町の出現と関係あるのかもしれません。
      北海道を旅している時、ここが日本の植民地として開拓された土地だということを、その風景から常に思い出させられます。開拓民としての歴史と、アイヌ民族として歴史と、両方を感じることができ、両方を見ることのできる北海道であってほしいと思います。

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