道道106号線を北上し、稚内市内についたのは、ちょうど午前9時ごろだった。
稚内市には何回か来ているが、防波堤には言ったことがなかった。
尋ねてみると、ギリシャかローマの建築のような、美しい意匠の大きな半ドーム型の防波堤だった。
稚内市内で給油を済ませる。
321km走って、13.33ℓ、燃費は約24.1km/ℓ。
屋や睡眠不足気味、気温10℃前後を走ってきたことを考えれば、疲労は思ったよりも少ない。しかし、それはアドレナリンが出ているせいかもしれず、切れると一気に疲労が来ることもあるから用心しなくてはならない。
そういえば、朝飯を食べていなかった。稚内市はまなすにある「ファイターズローソン」(そんなのあったんだ…)に立ち寄る。日本最北の「ファイターズローソン」だと書いてあった。
あまり味覚に優れず、グルメにそんなに興味もない僕は、ツーリングの食事はこの20年くらい、コンビニで軽食を買って、店先で失礼していただくか、ちょっと走って落ち着いた場所を探していただくことが多い。
店の駐車場の端っこでいただくのは、あまりマナー上褒められたものではないのだが、10分ほどでかきこんで出発することが多い。
こうしたことも、そろそろ変えていかなくてはならない…と思ってはいるのだが、走る時間をできるだけ多くとりたい「あわただしい」ツーリングをしてしまっている僕は、どうもこういう飯になることが多いのだ。
稚内市街地から東へ。
宗谷岬方向を目指す。宗谷岬のある突端が徐々に近づき、宗谷丘陵の丘が大きくなってくると、そこは富磯(とみいそ)地区。国道238号線右手に、日本最北端のコンビニエンスストア、「セイコーマート富磯店」が見えてくる。
そこを通過して少し行くと、稚内市「宗谷」地区。そこには稚内市発祥の地の碑がある。
江戸時代、松前藩は、蝦夷地のさらに北方、大陸への軍備的な備えと、交易のために「運上屋」をこの地に築いた。
宗谷には小学校、中学校、厳島神社、護国寺などがある。
2023年現在、宗谷小学校の児童人数は合計19人(1年生2名)、宗谷中学校の生徒数は29人、共に日本最北の小学校、中学校である。
その宗谷地区から宗谷丘陵に登っていく、元々地元の人しか通らなかった細い道がある。土の路面には砂利の代わりにこのあたりでよく採れるホタテの貝殻を砕いたものを敷き詰めているのだが、これが白い道として話題になり、今では観光地となって、小さいながらも案内看板も立っている。
昔は、京極町の「望羊の丘」と同様に、ほとんど知られていない、まさに知る人ぞ知る場所だったのだが、あっという間に有名になった。
白い道を上がっていくと宗谷丘陵だ。
右手の丸山の頂上には自衛隊のレーダー基地があり、上までは一般人は立ち入り禁止になっている。
国境の街だということを思い出させる光景だ。
襟裳岬にも、少し離れた高台の頂上に大きなレーダー基地があった。
北海道は、国境の地区でもある。
丘の上には風力発電の風車が立ち並ぶ。
訪れるたびに台数が増えているように思える。
白い道には始点と終点があり、僕が上ってきた宗谷地区が終点だった。一方通行ではないからどちらから行ってもいいのだが、始点から終点に向かうと丘の白い道の向こうに海が広がり、海の向こうに利尻富士が見える。
北海道の(実は古くて)新しい「絶景スポット」のひとつだ。
さて、僕はと言えば、ここまで来たのに、宗谷岬の北海道北端の碑には立ち寄らず、ここから宗谷丘陵の上を走って、南下を開始する。
もし、今日が、稚内泊まりだったら、もっとゆっくり丘を回ったり、岬の売店に寄ったりしたのかもしれないが、今日は日帰り、弾丸ツーリングなのだ。
いろんな場所が「ただ通過するだけ」になる。
我ながら思う。貧しいツーリングだ。
流れるだけ、走り去るだけの旅。
でも、振り返ると、僕はずっとそういうツーリングばかりしてきたように思う。
さあ、でも、今日はとにかく家まで安全に帰らなければならない。
貧しいツーリングらしく、「先を急ごう」。安全に。(つづく)
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