2015年2月25日

classic(9)上


それから、少しだけ話をした。
話しと言っても、冬枯れの渓谷の美しいこととか、道の荒れ放題のこと、谷の深さ、山の深さ、そして、こんな山深くまで入ることの怖さなどについてだった。
山深いことへの怖れは、僕だけでなく彼女も感じていた。
それなのに走り入ろうとしていることに、僕は不思議な気がしていた。

2015年2月18日

classic「 8」


ヴィラ雨畑を出発して南へ。
彼女を後に、僕は一人で走り始めていた。

発電所を過ぎると、少し走ったところで、道は「井川雨畑林道」となる。
狭い1~1,5車線の舗装路だ。

蛇行する雨畑川に沿って、山あいを南へうねりながら登って行く。
最初は谷の底もある程度の広さを持っているが、次第にその幅は狭まり、左右が高い山に挟まれた、とても深いV字谷の底になっていく。

道の右側、「見神の滝」と呼ばれる、両岸のどこまでも高い山の断崖を落ちる滝の前を通過する。
道は次第に川よりも高いところを走り始める。

地形にそって、忙しく右に、左に、細かいカーブを曲がっていく。

GSRには、細かすぎる道だ。
それでも僕のGSRは、快調に南下を続けていた。

2015年2月15日

「classic」(7)

この物語はフィクションです。




その日、僕はしばらく住宅地の中をゆっくり走り、同下を越えて山梨県に入った。
本栖湖の南岸、県道709号線を晩秋の湖の輝きを楽しみながらゆっくり回り、国道300号線、本巣道を西に向かった。ヘヤピンの続く山岳路。ここもゆっくり走った。
何台かの走り屋風のバイク乗りがいたが、僕があまりにゆっくり流していたからだろうか、つけられうこともなかった。

2015年2月14日

「classic」(6)

*この物語はフィクションです。


峠の道で「コーキ」に会ってから、僕は、自分の走る道を意識するようになった。
たしかに、それからも峠で僕を追尾するバイクに時折で会うことがあった。
一度は僕の後ろで転倒し、救急車を呼ぶはめになったこともあった。
その時は転倒したバイクの仲間もいたのだが、救急車の手配や、家族への連絡、そしてその場にいた全員の、警察からの事情聴取など、かなり厄介な目にもあった。

2015年2月12日

「classic」(5)

*この物語はフィクションです。


50代と思しき彼は、僕に近づいてきたが、僕の2m前で止まり、改めて普通の声で
「すみません。」と言った。
そして、彼の話したことに、僕は少し驚ろいたのだった。

「すみません。追いかけたりして。申し訳ないです。」
「いえ。」僕は答えた。
「実は、うかがいたいことがあって」
「僕にですか?」
初対面なのに、どうして僕なのだろう、何を訊こうというのだろうか。

2015年2月11日

「classic」(4) (下)

*この物語はフィクションです。



 ミラーの中の一台。フルカウルのマシンは最初には写っていなかったような気がした。
 僕を追いかけるバイクたちを、さらに後から追いぬいてきたのだろか。

 道幅が狭くなるまで、後1kmくらい。中速コーナーが連なる登り。
 定常円旋回のまま大きく回り込むカーブをいくつもつないでいく。

2015年2月8日

父、カブで走る。

*物語の途中ですが、小休止、間奏曲(インターメッツォ)を。*

2015年2月7日

「classic」(4)(上)

*この物語はフィクションです。

写真はスズキのHP,GSRの壁紙より。(カラ―を白黒に変換)

 この峠の登りは最初2車線の路面のいい中速コ―ナーの続く、快走ワインディング、途中から1~1,5車線の中央線のない、狭い見通しの悪い区間が10kmくらい続き、頂上の手前でまた広くなる。
 後ろから僕を「追撃」する何台かのバイクの存在に気付いて、僕は加速して引き離してしまおうとした。
 通い慣れた道。もう先も分かっているし、何度も走るうちにだいたいどれくらいの速度なら安全かも分かってきていた。
 ブレーキもよく利くし、アクセルのツキもいい。パワーも不足ない。…どころか、この峠では持て余すほどだ。

2015年2月5日

「classic」(3)

*この物語はフィクションです。
写真はスズキのHP,GSRの壁紙より。(カラ―を白黒に変換)

 8月に入っても、僕の生活パターンは変わらなかった。富士山周辺を中心に走り続けていた。
  人と会うことにあまり耐えられそうにないので、休憩は短く、できるだけバイクのいない場所を選んだ。
 大学生の頃、CB400で通った走り屋の集まる峠には近寄らないようにしていた。

2015年2月4日

「classic」(2)

写真はスズキのHP,GSRの壁紙より。(カラ―を白黒に変換)
僕の住んだアパートは、街道から一本中に入ったところにあった。
 仕事道具とも言える膨大な書籍は故郷の実家に送ってしまった。
 車も手離し、大家さんには名刺を見せて信頼してもらい、入居できた。実際にはもう事務所はやめているのだが、こんなところで過去になりたての名刺が神通力を発揮するとは、少し皮肉でもあり、が、しかし、有り難くもあった。

2015年2月3日

「classic」(1)

写真はロータスジャパンのHP、「Exige S ROADSATER」より引用。
この4年間に愛おしむべきものは見出すことができなかった。

 センセイの事務所に入り、最初は単純で簡単な事案の処理から始め、1年間は書類にばかり向かっていた。年間の処理事案は僕一人で500件以上。まともな仕事ができるわけがなかった。
それでも迅速に、正確に事案を処理し続けた。日本を代表するセンセイの事務所に入り、修行するんだと、信じていた。

2015年2月2日

「classic」(プロローグ)


この物語は、フィクションです。

写真はDCカンパニー「V7クラシック写真館」より引用。

  〈プロローグ〉

 僕は、そのV7の噂を聞いたことがあった。

2015年2月1日

砂箱作戦。



朝、日が昇ると、遠くの背の高いマンションに朝日が反射して輝いて見える。
一年の内に2回、それぞれ数日間、そんなことがあります。

2月1日。日曜日、今朝もそんな朝でした。
今日は雪国。札幌の暮らし。道路の砂箱作戦について、簡単にご紹介します。