2015年2月12日

「classic」(5)

*この物語はフィクションです。


50代と思しき彼は、僕に近づいてきたが、僕の2m前で止まり、改めて普通の声で
「すみません。」と言った。
そして、彼の話したことに、僕は少し驚ろいたのだった。

「すみません。追いかけたりして。申し訳ないです。」
「いえ。」僕は答えた。
「実は、うかがいたいことがあって」
「僕にですか?」
初対面なのに、どうして僕なのだろう、何を訊こうというのだろうか。


と、いってるうちに、下の方からバイクが近づいてくる音がした。数台…、5、6台分の音だろうか。
僕は鼓動が速くなった。
会いたくない。
「あ…、すみません。僕、バイク乗りの人、苦手なんで…」

すると相手の男性は、すぐに言った。
「あ、そうでしたか。じゃ、ちょっと行きましょうか、峠の上まではあの人たちも来ないと思います。」

その人は自分のバイクに駆け戻り、ヘルメットを被った。
「先に行ってください、あとで追いかけます、すみません、頂上で待っていてくれますか。」

「わかりました。」
僕はヘルメットも脱がず、グローブもはめたままだった。セルでGSRを始動させると、すぐに発進した。

後ろから、バイクの発進音がする。その人も発進したらしい。

道はすぐに林の中の狭い1車線区間に入った。
木の影で見通しは悪く、路面も少し暗い。
道の両脇はアスファルトが切れてそのまま土と藪、そしてすぐに林になっている。
砂や土が舗装の端の方にはみ出してきていた。

走れるラインは極端に狭くなる。時折路面に砂が浮いている。ずるっ、とタイヤが滑ることも頻繁に起こるので、フルバンクやフルブレーキはできない。
それでも道を読み、路面を読み、リスクの少ない方法で先をいそぐことはできる。
短い直線区間ではわずかな時間だが全開も可能だ。

僕は決して上手なライダーではないが、この半年間、こんな道をいやというほど走ってきたので、多少の慣れはある。
マージンが確保されていれば、100km超でも怖くないし、それが確保できないと、30kmでも怖い。怖さは体を固くし、すばやく正確な判断を下すことを困難にする。
だから、怖さを感じない範囲で、様々に工夫するのがいい。
カーブでは、滑るかもしれないことを前提に走る。小さなカーブでは車体を傾けてその傾きで曲がるようにし、あまりパワーを掛け過ぎないように、高いギヤで回転数を落としておいて、アクセルはしっかり開ける方が安定する。滑っても対処しやすいので、安心して回れる。それでも注意しないとあっという間に足元をすくわれて転倒してしまう。
これは、経験値なのだ。
わずか半年と5万キロの経験では、まだまだ不足していると言うべきだろうか。
右に、左に。狭く、うねる道をまた延々と走る。
耳にはGSRのエンジン音、風切音。路面をたたくタイヤノイズも届く。

7、8分走ったところで、道がまた広くなる。切り通しの峠の手前のパーキングに、GSRを止めた。
少しもしないうちに、バイクの音が一台分、近づいてきた。
ホンダのCBRだった。

CBRはパーキングに入ってくると、今度は僕の隣に並べて停めた。

「やっぱり速い。この区間では私はあなたについて行けません。」
再びヘルメットを脱いだ初老の男性が言う。

今度は僕もヘルメットを取った。
「いえ、その前の広い区間では、貴方の方がずっと速かったですよね。」
僕は言った。

「いやそれは、」CBRの男が言う。僕の顔を見て、少し意外そうな顔をした。
「…あ、失礼しました。予想よりもずいぶんお若くて…。私くらいの方かと思っていました。」
「ええ?」今度は僕が驚く。
「失礼しました。あ、いや、下の区間での速さは、バイクの差でした。路面もよくて速度の乗るあの区間では、スーパースポーツモデルの方が力を出しやすい。こんな道の方が腕が試される。ここでは、あなたは私よりもずっと速かった。」

…それこそ、マシンの差じゃないか、と僕は思った。あんな見通しの悪い、路面のあれた細かい道じゃ、たぶんSSはほぼ1速固定だろう。あの前傾も速度が乗らない状態では、タイヤの滑りに対処しにくい。僕のGSRみたいな上半身の立った乗車姿勢の方が断然有利だろう。

「…で、僕に用事って、なんですか?」

改めて僕は訊く。二人とも、バイクにまたがったままだ。

「すみません。あなたならもしかして知っているのではないかと、うわさになっていたので、つい、ご本人から聞いてみたいと思ってしまったのです。最近、関東の峠で、謎の飛ばし屋が2人います。このことはご存知ですか?」

「すみませんが、」今度は僕がすみませんをいうことになった。
「…全然知りません。うわさとか、あまり興味ないので。」

「1台は青と白のスズキGSR750、もう一台はモトグッチ、V7クラシックの白です。」

「知りません。僕も青と白のGSRですけど、同じ色の750には会ったことはないですし、グッツィのV7クラシックの話は、思い出してみると2年くらい前にある人から聞いたことがありますが、僕は直接見たこともないし…」

「いえ、青と白のGSRとは、おそらくあなたのことだと思います。」
と、その初老の紳士が言った。

「いや、僕は別に飛ばし屋じゃないです。」

「ええ。一緒に走ってみてわかりました。あなたはとても速いけれど、飛ばし屋さんではないようですね。」

「話が全然読めないのですが。」

「ああ、すみません。降りて話しませんか?」CBRの男はバイクから降りた。
僕も降りる。

パーキングに自動販売機があった。CBRの人は缶コーヒーを買って僕に渡し、自分も同じものを買った。

「よろしかったら、どうぞ。」

僕は仕事についてから食事は人におごってもらわないことにしてきたが、今回はいただくことにした。
「ありがとうございます。」と言ってコーヒーを受け取る。
タブを引き起こして冷たい缶コーヒーを飲む。
久しぶりの缶コーヒーは、まずまず、旨かった。

二人で舗道の縁に腰かけた。初老の紳士が話す。

「今言いましたが、最近関東の峠の飛ばし屋が二人、よく話題になっているのです。さっき言った通り、1台は青白のGSR750、一台は白のグッチV7クラシック。GSRのライダーは男性、グッチのライダーは女性です。」
「…はあ。」
「二人の共通点は、同じ峠に通ってくることはない。しかし、地元の走り屋たちがみなついて行けない。または追い越されたりしている。峠ごとによくあるたむろ場所に停まることもなく、走り去ってしまう。いつも一台で走っている。等々です。」

「あの、やっぱり僕は違うと思います。そんなに速くないし、第一、飛ばし屋じゃない。走るのは好きらしくて、頻繁にあちこち走り回っていますけど、別に走り屋仲間に入りたいとは思わないし、別に興味ありません。」

「そのようですね。失礼しました。しかし、1台は間違いなくあなたです。四輪の運転も、かなりなさると思いますが。」

「あ、いや、くるまは手離してしまいました。」

「そうでしたか、実はお聞きしたいのは、グッチV7クラシックの女性の方だったんですが、何かご存じないですか」

「申し訳ないですが、僕は知りません。会ったこともない。いや、あったことはあったかもしれませんが、覚えていません。そんなに人のことを覚えてはいないものでしょう?」

「でも、さっき、ある人から聞いたことがあるとおっしゃいましたが。」

「ああ、それは、2年くらい前に知人が白いV7クラシックの女性とバイクで遭遇したことがあるというのを聞いたくらいで…。その頃、別の人からもV7の女性の話をきいたのですが…、それきりです。」

「その方、どこでV7に会ったとおっしゃってましたか?」

「磐梯吾妻スカイラインです。」

「それは覚えてらっしゃる。」

「ああ、はい。印象的な話でしたから。その人、そこで女性の白いV7にちぎられて、その後、レストハウスで大恥かいたって言ってました。」

「その方の乗っていたバイクって、アグスタのブルターレじゃなかったですか?」

「そうです。」僕は驚いた。「どうして御存じなんですか?」

「私、その時そこにいたんです。」

「それは驚きです。でも、どうしてその女性のことを聞きたがるんです?」

「私は仕事でもバイクに乗りますが、オフにも趣味で走るんです。すると、西関東を中心に、いろんなところでその白いV7の噂を聞くんですよ。私もそのブルターレの方がV7の女性と遭遇した時にたまたまその場にいて、一度その女性を見ているのですが、それからもう2年も経ってしまった。
それでも、白いV7の噂は時々、聞くんです。」

「もう、一種の都市伝説のようなものじゃないんですか?最初は事実でも、勝手に尾ひれがついて大げさになるって、よくある話ですから」

「その可能性は高いですね。」CBRの男性は穏やかに言った。

「噂では、そのV7の女性と青白のGSRの男性は知り合いじゃないかとか、恋人だろうとか、V7の女性が男装してGSRを走らせているのだろうとか、さまざまに言われているようですが…、こうなるとなんかめちゃめちゃな気がしてきます。」

「そうですか…」

話しはそこで尻切れトンボになり、CBRの紳士と僕は、しばらく黙って自分の缶コーヒーを飲んだ。

「さて、お急ぎのところ、すみませんでした。お話し、ありがとうございました。」

CBRさんは右手を出し、握手を求めてきた。
僕はまだ、握手に応じるほど、人間らしさを回復してはいない。
お辞儀をして「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。」というので、精一杯だった。

初老の紳士はにっこり笑うと、立ち上がった。レーシングスーツの上から巻いているウェストバッグに空き缶を手で潰していれた。

「でも、よかったです。あなたとお話しできて。ブルーサンダーが速いだけの暴走バカじゃなくて、きちんと走れる人だったので、ほっとしました。いろいろ失礼しました。お許しください。」

彼は頭を下げた。

「…いえ。…」

僕はなんだか、よくわからなくて返答できず、「いえ」なんていったきりだった。

「どうぞ、お気をつけて。青白のGSRは結構有名になってますから、これからも今日みたいに後をついて来ようとするバイク乗りが現れるかもしれません。どうぞ、相手にせずに、安全運転で。」

彼はもう一度頭を下げると、ヘルメットを被り、グローブをはめてCBRにまたがり、エンジンを掛けた。
僕も立ち上がり、例をすると、CBRのライダーはもう一度会釈して、左手を上げ、僕に挨拶して、今上ってきた方向へ、峠を引き返して行った。

「ふう…・」僕はため息をついて自販機のところまで歩いて行き、空き缶をゴミ箱に捨てた。

GSRのところまで戻り、マシンにまたがった。

「ブルーサンダー」だって?
青い稲妻?
それが峠の走り屋たちが僕につけたニックネームだと言うのか。それはあまりに大げさでむしろ滑稽だった。恥かしいあだ名だった。僕がカミナリほど速く走るわけがない。

今日の走りはどうしようか…。

なんだか、出鼻をくじかれたような気がしていた。とりあえず、峠を向こう側へ降りて、静かな田舎道を探してゆっくり走ることにした。

僕はヘルメットを被り、あご紐を確認して、グローブをつける。
キーを回してエンジンを掛けた。
GSRの、極低回転が少しざらつく排気音とメカニカルノイズが立ち上がる。

僕は一つ深呼吸した。
僕には、さっきの彼の正体がわかった。

「コーキ」だ。

こんな山の中で迄、センセイの記憶を掘り起こすような人と遭ってしまうとは。

それにしても、「風のV7」、まだ走っていたんだな。
僕は思った。
僕は一度も会えていない。
どんなヒトなんだろう、実際にはどんな走りをするんだろうか。

できれば一度、会ってみたいような気もしてきていた。

僕はギヤを1速に入れ、ゆっくりGSRを発進させて、峠を下って行った。
(つづく)

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