2015年2月8日

父、カブで走る。

*物語の途中ですが、小休止、間奏曲(インターメッツォ)を。*

写真は1995年2月スーパーカブ50デラックス
僕の父は昭和2年、1927年生まれ。
秋田の農村に二男として生まれ、中学校(旧制)へ進学、4年時に陸軍士官学校へ進んだ。
終戦時は18歳。卒業前だった。士官学校の訓練や、東京の空襲で、仲間がたくさん死んだ。
「生き残ってしまった」彼は、終戦後、しばらく抜け殻のように過ごした後、学校へ行き、就職した。
やがて結婚し、一男一女を得て、苦労しながら育て上げ、定年後は町の民生委員などをした。
63歳、大腸癌が見つかり、手術、抗癌剤の治療に入った。
64歳、息子(僕だ)が広島でバイクの転倒事故、死にかけて、ひと月半の入院、退院後も静養とリハビリで仕事復帰に4か月を要した。父は秋田から息子のために広島へ駆けつける。近所からお金を借りての見舞い、看護だった。
息子はそれでもバイクを下りない。1992年、ヤマハのSRV250でライダー復帰する。
1995年、息子は限定解除し、GPZ1100にに乗る。
同時期、69歳の父は、生まれて初めて運転免許を取りに行った。
原付免許である。
一発合格して、この年からはあまり勧めないよと免許センターの人に言われながら免許を受け取り、地元でずっと世話になっている自転車屋さんでホンダ、スーパーカブ50を購入。
購入を記念して、息子は父にライディンググローブをプレゼントした。
以来、父の家の納屋の一角には、カブが鎮座し、時々父は遠乗りをするのだった。
自転車乗り(鉄の重い実用車で、もちろん変速機はない。)の父は、日常は歩きか自転車に乗り、時折趣味でカブの遠乗りを始めたのだ。
70過ぎてからは民生委員もやめ、家の狭い畑で野菜を育て、半自給自足の生活をしている。
86歳、膀胱に腫瘍が発見された。齢とともに昔の創も痛み出す。軍用馬に蹴られた腹や、成長期に銃床を当て続けて変形した右肩などが、次第に痛みとなって父にふりかかるようになる。
それでも毎年、春になると畑を耕し、野菜を植え、水をやる。
我が家の立地は海に近い砂地。松しか生えない。家を建ててから40年間、残飯はバケツに溜め、庭の砂地に深く穴を掘って埋めつづけた。少しずつ、砂が土になっていった。
87歳、再度の手術。膝も傷み始め、体の痛みで畑がつらくなる。来年は畑をやめるつもりだと話す。
去年2014年、88歳。やめると言っていた畑を、春もだいぶ進んでから始める。痛みがあっても耕すのが父なのだ。
膝の痛みはずっと好きだった自転車での遠乗りや遠くへの買い物をつらくする。
もう自転車には乗れないかもしれないという。
今年、2015年。1月生まれの父は89歳になった。

今日、実家に僕が電話をすると、めずらしく父が出た。
カブのバッテリーがあがって、キックでエンジンを掛けて走っているが、走っているうちに充電されるのか、と訊く。
もう10年以上交換していないバッテリー。走ることも少なくなり、バッテリーが上がったのだ。
走ることで充電はされるが、新品に交換した方が安心だろうと話す。
交換か…、どこに頼めばいいんだ…と電話の向こうで独り言が聞こえる。
長年の付き合いの自転車屋の2代目ももう高齢。足腰が弱って出張修理や交換はできないようだ。
腕が確かなので有名な自転車屋だった。そこでの修理、交換なら確かなのだが、もしもできないということなら電話帳でホンダのバイクの店を探して電話してきてもらうといいと話した。
我が家は今もあの黒電話。携帯は父も母も持たない。
父が電話から離れてしまった。
変わった母に、走ってるのかと訊くと、
走っている。と。
今、秋田は冬だろう、雪は道にないのか。
道路にはない。走るみたいだ、と母は言う。
安全は心配ないのかと僕が訊くと、母は、
大丈夫だと言っていると言う。
そう、父は元軍人だった。
自分の青春を奪い、友の命を奪い、街を焼き、多くの命、多くの願い、多くの愛、涙を踏みにじったあの戦争を、憎んでいた。
父は、命を大切にする人になった。自分の命も、他人の命も。
だから、危険だと判断すれば、絶対乗らない。
幸いなことに、父の頭脳は、いまだ恐ろしく怜悧だ。
ただ、転ぶことはありうる。
父のことだから、決して時速30km以上は出さないだろうが。
(父は最後の一人になっても道路交通法を順守するだろう)
心配ではあるが、僕がとやかく言えることではないのだ。


父は走っていた。

きっと父は今年もわずかでも畑を耕すだろう。

2 件のコメント:

  1. takaです。

    胸が熱くなりました。
    「父は、命を大切にする人になった。自分の命の、他人の命も。」
    私も、心に留めておきます。
    戦争を経験された方の言葉は、重いです。

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    1. takaさん、こんにちは。
      ありがとうございます。
      戦争経験世代も高齢時代、しかし、戦争体験は、
      語れないほどつらいことも多いようです。
      今年で戦後70年になるのですね。

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