2015年2月4日

「classic」(2)

写真はスズキのHP,GSRの壁紙より。(カラ―を白黒に変換)
僕の住んだアパートは、街道から一本中に入ったところにあった。
 仕事道具とも言える膨大な書籍は故郷の実家に送ってしまった。
 車も手離し、大家さんには名刺を見せて信頼してもらい、入居できた。実際にはもう事務所はやめているのだが、こんなところで過去になりたての名刺が神通力を発揮するとは、少し皮肉でもあり、が、しかし、有り難くもあった。

 
 仕事もやめているので、時間が自由に使える。この4年間、過労とストレス、運動不足でぼろぼろというか、ぶくぶくになってしまった僕の身体。仕事上、相手への心理戦として、均整取れた体はキープしないといけなかったから、太ってはいなかったものの、中身はぼろぼろだった。
 自炊し、栄養バランスを考え、酒を飲まず、ジムに通ったりせず、朝の散歩、夜の散歩を日課とした。散歩と言っても10kmは歩くのだ。ひと月で体が軽く、飯が旨くなり、便通も改善した。

 バイクに乗るのは、4年ぶりだった。
 学生の頃、乗っていたCB400SF以来のバイクだった。
 仕事は当分しないと決めていた。とて働く気になれなかったのだ。かといって人々の中へ入って行ってにこやかに暮らすこともできなかった。今までの仕事を思い出すと、息が苦しくなるのだ。インターネットに嵌るのはごめんだった。かといって、アパートの窓から大きくてきれいな富士山を眺めているのも、数日間はいいのだが、ずっと毎日となると結局苦しいのだった。
 僕はやがて、朝の散歩の代わりにGSRで走るようになり、そのうち早朝から夕方まで、給油とトイレ、食事、少しの休憩以外はずっと走っているような毎日になった。
 夕方アパートの近くのガソリンスタンドで給油し、場合によっては少し洗車させてもらい、家に帰って注油や各所のチェックを行い、カバーを掛け、防犯処理をし、それからシャワーを浴びて夕食を作り、食べた。食後は散歩にでる。ポケットに文庫本を入れ、1時間ほど歩いた先で、喫茶店を見つけてそこに入り、珈琲を飲み、少し読書をして、また歩いて帰る。
 そしてもう一度シャワーを浴びて寝る。
 基本的にはこんな毎日だった。
 一日平均で400kmくらい走ったので、3か月たつ頃には、新車のGSRの走行距離は既に4万キロに迫ろうとしていた。
 
 僕の住んでいる街からは、少し走れば峠道がたくさんあった。
 僕は毎日、峠を走り続けた。知らない街へ、知らない峠へ。僕はさまよい続け、走り続けた。
 GSR750は、初心者の僕にはやさしく、そして手厳しい教師のようだった。
 普通に街乗りしている間には、反応も穏やか、すべてがわかりやすく、パワーは大きく、でも扱いやすく、快適に乗れた。しかし、峠で思い切り走らせ始めると、普通のバイクの形をしているのに、とんでもなく速いバイクだった。当然、速度が速くなれば操作のタイミング、入力の大きさ、方向などにより正確さが求められる。GSR750はそうして攻め込んで行った時、自分の操作が正しいか、間違っているかを、正確に教えてくれる、そんな感じだった。

 それにしても速い。2輪の速さは、4輪の速さとは質が違っていた。かかるGの感覚も、景色が速度に溶けて流れる様子も、扱う質量の感覚も、荷重の感知も、すべて感覚が違うようだった。それは走る場所の違いもあったのかもしれない、深夜の首都高速と、光り輝く朝の峠道とでは、それは全く違う体験になったとしても、うなずける気がした。

 無名の峠へ。
 誰もいない道を独り占め状態で飛ばすのが、僕は好きになった。
 道の狭い、1車線の道もあれば、きれいな2車線の道、舗装ががたがたの道、路面がおおきく波打っている道…。
 道にはひとつひとつに個性があり、表情があった。
 その道の周りを彩る、風景にも。

 走り続けていくうち、GSRのポジションが僕がこのバイクを操作するときに一番しっくりくるポジションから少しずれていることに気が付いた。
 ハンドルバーを買い手させてみたり、レバーの調整やブレーキ、シフトペダルの調整などもしてみたが、やはり僕の身体と操作法には少し違う。
 ハンドルバーを交換し、シートにも少しだけだが補正を施した。すると、まるで別物のように乗りやすくなった。
 走ることが楽しくなり、僕はますます走り回るようになった。今思うと、よく事故に遭わなかったものだと思う。
 
 走る度に自分の走りをチェックし、GSRの状態をチェックするようになった。
 GSRが僕にのぞんでいること、それなのに僕ができていないこと。
 GSRのここを変えると、もっと本来のGSRらしさが生きるように思えること。
 次第に僕は感覚的にそんなことを考えるようになり、毎日走っては夜の散歩にはノートを持ち歩き、気付きを書き留めるようになった。
 そして少しずつ、自分の走りを変え、また、少しずつ、GSRの部品を交換したり、作ってもらったりして、自分に近づける作業を始めて行った。

夏の盛り、7月が終わる頃、GSRの走行距離は5万kmを越え、僕とGSRの距離感は、だいぶ縮まってきていた。
  (つづく)

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