2015年2月5日

「classic」(3)

*この物語はフィクションです。
写真はスズキのHP,GSRの壁紙より。(カラ―を白黒に変換)

 8月に入っても、僕の生活パターンは変わらなかった。富士山周辺を中心に走り続けていた。
  人と会うことにあまり耐えられそうにないので、休憩は短く、できるだけバイクのいない場所を選んだ。
 大学生の頃、CB400で通った走り屋の集まる峠には近寄らないようにしていた。

 それでも、時折、マイナーな峠でも「常連」と思しきライダーと遭遇することもあった。
 僕は峠を通過するだけで、何往復もしたりしない。だから、たまたま常連と出会っても、止まることもなく。話すこともなく、ただ通過していた。
 初めは後ろから物凄い勢いで近づいてくる常連にはすぐに道を譲り、ゆっくり走っていた。
 しかし、走り慣れてくるにつれ、特にポジションを合わせてからは僕の峠でのペースが上がって行った。あきらかに以前とは比較にならないほど、速く走ってしまう、また、GSRもそれを許すので、アベレージは日に日に上がって行った。そのうち、追い抜かれた常連について行くこともあるようになった。最初はついて行けるはずもないと思っていたのだが、意外や大抵の場合はついていけた。
 僕はほとんど同じ道は通らないので、一度会った峠の常連に、再び出会うことはなかったと思う、いや、もし同じバイクだとしても、僕は覚えていないかもしれないのだが。
 
 8月の暑い日も、僕はほとんど毎日走っていた。
 少し変だぞ、と気づいたのは、その頃だった。僕自身のことだ。これではまるで中毒症状ではないか。昔のワーカホリックが、今度はライドホリックになってしまったのか。こんなに毎日目的もなく、ただ走り回り続けるのは、病的だ。
 そう思って、一日休んでみたりもした。
 バイクに乗らないその日を、木陰のある公園へバイクで行き(なんだ、やっぱり乗ってるじゃないか)、大きな樹の下のベンチで本を読んだり、昼寝をしたり、体操をしてみたりして、のんびり過ごし、コンビニで買ったジャンクフードを昼食にし、夕方に帰ってくる。
 それはそれで、特に感動もなく、かといって、バイクで走らないことの禁断症状のようなものもなかった。
 週に二日はこういう日を取ることにしよう。
 そうきめて実際そうしてみると、普通にできてしまった。
 やはりおかしい。
 自分で計画を立て、その通り実行する。
 それだけのことだが、それがあまりにその通りにできすぎる。
 これは自慢ではない、病的なのだ。自分でてきることだけを計画し、そして計画を立てると、それがどんな計画かは関係なく、計画通り執行することが、自己目的化してしまっている。だからといって、別にむちゃくちゃがしたいわけでもないが、僕の心は相当に不感症で機械的になってしまったようだった。

 9月に入った最初の月曜日の早朝だった。僕は毎回違うルートを通るが、そうはいっても自宅を出発し、自宅に戻る。だから、方角によるが最初と最後のあたりは重なることも多い。
 その日、たまたま東に向かった僕は最初の峠に向かっていた。その峠を下りてから、北に行くか、南に行くかをきめるつもりだった。
 すると、峠の麓にあるパーキングに、何台かのバイクが停まっていた。僕はそのままパーキングを通過する。
 …と、そのバイクたちが僕を確認すると発進してきたのだ。
 峠を上り始めた僕に追随している。

 苦手なシーンだ。

 先に行ってもらえばいいのだが、この峠は上って降りるまで30kmくらいある。それに、最初の峠を早く通過して、その先の走りを楽しみたい。先に行かせたはいいが、遅い飛ばし屋の後ろを延々30kmも走るのはなんだか憂鬱な感じがした。
 その日、僕は先に行かせるのではなく、穏便に引き離して単独走行しようと考えたのだった。

 僕はアクセルを開けて加速し始めた。後ろでバイクたちがいきめきだつように加速する音が聞こえた。僕は燃えるというより、うんざりした気分になっていた。
 僕は、本気で引き離すことに決めた。
  (つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿