2016年7月30日

ルートを磨く。2:『ライダースクラブ』」提唱「スーパーツーリング」(1989)

前回の記事で私は、緒崎松蔵さんのブログ記事から触発され、「ルートを磨く」という発想について書きました。この元になる発想は、1989年、当時隔週刊の「ライダースクラブ」誌にあった「スーパーツーリング」という巻頭特集記事を読んで得たものでした。この号は今、手元にあります。「ライダースクラブ、1989年7月21日号、№140」です。


「ライダースクラブ」、1989年、7月21日号(№140)の巻頭特集は「SUPER TOURING」。
ライターは編集長の根本健。特集はこういう文章で始まる。
 スケジュールを組んで休日を思いきりバイクに浸るロング・ツーリングの醍醐味は格別のものがある。このロング・ツーリングを目一杯楽しみのにもテクは要る。本場ヨーロッパではベテランの完成されたツーリング・ペースにビギナーがついていくのはむずかしいとされているのが常識だ。はじめての道でもいつものスポーティーなリズムを崩さずに颯爽と駆け抜けたい…そんなイメージを自分のものにするノウハウを集めてみた。

1989年と言えば、レプリカ全盛の頃。
今や40代50代以上がが中心になった日本のライダー平均年齢層だが、当時はバイクと言えばまだ若者が中心だった。
モータースポーツが盛んでその歴史の長いヨーロッパでは、当時からバイクは若者だけでなく、広い年齢層で楽しまれていた。今読むと、西欧を無条件に先進国扱いしているかのように見えるが、当時はむしろバイクといえば日本メーカーが世界を席巻。日本製すごい!と同時に峠には若者のローリング族が大量に出て、事故も多いし、休日にファミリーカーは怖くて走りにくいし…という時代だったのだ。僕の大嫌いだった「俺サ」という企画を「オートバイ」誌がやっていたころでもある。そうした中で、バイク文化を日本で根付かせ、成長させていくには、「大人」のバイク文化を育てなければならないと、ライダースクラブでは考えていたのだ。そこで、今や日本に追い越されたと思われていたヨーロッパの大人のバイク文化のあり方を、ライダースクラブでは取り上げることも多かったのである。


さて、そんな時代の「スーパーツーリング」特集。構成は以下の通り。
オープニング (2p)
   ・新しい面白さへのチャレンジ――スーパー・ツーリング 
プランニングのうまいライダーを目指す  (2p)
   ・疲れない工夫を徹底する感覚
   ・自分で決めたペースならではの快適性
走っているときはいつでもスポーツマインドが一番  (2p)
   ・バイクは常にバイクらしく走らせるよう心がける
   ・ターンする感覚でリーンのきっかけで向きを変えるテク  
ブラインドコーナーを得意とするライテク  (2p)
   ・ブラインドコーナーたS字で大切な幅員を使ったアウト→イン  
   ・向き変えターンのポイントを再び加える
リラックスした気分で身体と心を引き締めるクルージング  (2p)
   ・2人乗りの特性の違いさえ掴んでおけば楽しめるタンデム・ラン
   ・ライポジの緩みにも注意
状況の変化にレスポンスできるセーフティ・マージンを持つ  (2p)
   ・常に状況対応できるフットワークのある身体と心でいたい
   ・バイクを面白くしていけるのは自分次第なのだ
以上12pの特集である。



「ルートを磨く」発想に連なるのは、「・自分で決めたペースならではの快適性」の中の一節。
少し長くなるが、引用しよう。
 バイクに乗っている間の楽しさを妨げるものは、できるだけ排除する。それが快適で疲れず、しかも他人から見ればスパルタンなほど、元気に走り回れるコツというわけだ。
 しかもヨーロッパのベテランライダーは、同じコースをよく走る。意外だったが、やはり彼らの好きなワインディングがあるポイントというのは、ヨーロッパの中にもそう数多くあるものではないこともあって、同じエリアに出かけることになってしまうようだ。
 それでも彼らはその同じコースを走りながら、そのツーリングを完成させてゆこうとするのである。今回は自分のプランになかったレストランが気になったりしても、そのときは寄らずに次回のプランニングのテーマとしておいたり、もちろん新たなルートや景色の良い休憩にもってこいのポイントを発見したりしても、次回かまたその次にといった具合に、そのツーリングの完成度を高めていく要素としていくのだ。
 そうやって熟成されたツーリングに、ビギナーがわけもわからずついてゆくと、そのメリハリの強さに圧倒され、最後は帰路で体力負けしてしまうのである。
 確かに、何があるのかわからないところも「旅」の楽しみのひとつだ。しかし、シッカリとプランニングして、ペース配分の良い疲れ知らずの楽しい走りで稼ぐ距離との意味は大きく異なってくる。(「ライダースクラブ」1989年7月21日号 №140 37頁)

確かに、ヨーロッパは、山岳地帯をのぞくと、割と平原の多い土地柄。ワインディングを求めるとなると、限られた時間では近場の「いつものところ」へ行くプランに限られてくる。
そうした「定番」コースのツーリングでも、毎回なんとなく同じコースを走るのではなくて、計画的に、少しずつ改良を加え、「ルート」の完成度を高めていくというのだ。

実例としてイメージしやすいのが、片山敬済氏と根本健氏がdb1でイタリアのワインディングを走ってツーリングしている動画。(14分50秒あります。)





当時南フランスに住んでいた片山氏にとって、南フランス、北イタリアの丘やアルプス南麓のワインディングは「地元」。その地元コースに根本氏を招待して、一緒に走ったというわけだ。ワインディングを走りまくって、夕方近くに高台の上の古城へ。そこで休憩しつつバイク談義。そこから下って、当日の宿へ、という流れのイメージだろうか。



同37頁の写真キャプションの小さい時の欄には以下のような文章もある。
―前略― 何れにしてもルートの中にメリハリをいかにつけるかがポイントであることに変わりはない。給油を余裕のある距離で組み込むことや、休憩や食事を楽しめるポイントを探すこと、それにワインディングでイキイキ走れる区間をうまく設定する。長時間の連続走行を避けたり渋滞路を避けたりすることがまず重要で、休憩も疲れをとるために休むとなどという面白くないものでなく、楽しめて遊べるようなものに考えたい。もちろん食事はそのセレモニーとして位置付けてよく吟味しよう。そして何より大切なのは、そのプランをしっかりと守ること。多少つまづいても、次回のための経験として考え、途中で放棄しないことだ。そして帰ったらどこがうまくいってどこがうまくいかなかったかを再度チェック。このノウハウを積み上げていけばスペシャリストになれる。(「ライダースクラブ」1989年7月21日号 №140 37頁)
「ルートを磨く」という言葉は、まずは定番コースを持っていることが前提となり、その定番コースをよりよいものにバージョンアップし続けることをさしている。

もう一方で、ツーリングにおける楽しみの真髄ともいえるものは「剥き身でどこか知らない遠くへ行く」というものがあると思う。あるいは、「今、オートバイにまたがり、日常の世界を引きちぎって知らない世界へ行きつつある…という感覚」。

僕が、究極的にバイクに乗る理由をあげるならば、それは後者、「さすらう」ためというのが大きい。
「ここでないどこか」なんて、1980年代に言い古された表現だが、そのために走り続けているのだろうと、自分でも思う。

だから、定番コースを磨くという行為は、僕自身あまりメインに据えたことがない。それよりは遠くへ、知らないところへ行きたかったからだ。


しかし、常に日帰り、仕事が忙しく、走れる時間も3時間とか、6時間とかになると、行ける範囲も狭くなる。そうすると、渋滞を避けていくと行けるエリアも限られてくる。

「また、いつもの道か…。」

自分でどこかやりきれないものを抱えながら、遥か遠くへの旅を夢見ながらも、これが今のライディングであるならば、そこを豊かにしていく工夫をしなければ、バイクがつまらないものになってしまう。

例えば、バイクブログを書く。(昔はブログなんてなかった。必要性など感じたこともなかった。)
例えば、時々、5分限定で枝道探訪を1本だけする。
例えば、同じ位置で季節を変えて写真を撮ってみる。
などなど。

そうした中で走るのがいつもの定番コースになっていくのなら、そのコースの中で何かの発見があるような、そんな楽しさを味わえるような工夫をしていくことが、バイクライフの中で割と大切なこととして浮上してきているように思われてきていた。

そこに緒崎さんの記事がUPされ、はっとしたのだった。
年に何度も同じルートを走る。
そして何年もかけて、少しずつ、ルートをより楽しめるものに改善していく。
意識しなくても、自然にやっても、だんだんそうなるかもしれない。でもそれを意識して、自覚的に行うことで、バイクライフの張りというか、楽しさが違ってくる。
緒崎さんのその姿勢は、大きなヒントを、僕に与えてくれたように思えた。

4 件のコメント:

  1. 初めまして^^
    selenと申します!
    実は「ズームさん」繋がりで以前からずっと読ませて頂いてます。

    私へんな名前ですが…まだ下の子が幼稚園の時に、
    某コンビニを中々うまく言えず「せれんいれぶんにアイス買いに行こう」と、
    いつもねだれていたもので(^^;

    樹生さんとはきっと同じ世代ですね^^
    あの頃は峠派とツーリング派の真っ二つだったような。
    私は旅の憧れから完全にツーリングでした。

    RIDERS CLUBは高校生の時から読み始めて、
    特に中沖満氏の「鉄と心とふれあいと」の連載にハマってました。

    さてさて、ルートを磨く…
    私にとっては北海道がすべてと言ったら大袈裟ですが、ひとつひとつが愛おしいお気に入りかもです。
    それはストイックに走るだけではなく風景と合わせての話しです。
    風景と言っても、ただそこにある何気ないものに惹かれるのですが(^^;

    限られたシーズンの週末・・・また行きたいと思う道や場所は数年単位ののんびり訪問だったりします(^^;

    我々の世代では年齢と共に仕事の責任は重くなり忙しくなりますものね。
    そんな中でもモーターサイクルの楽しみは、日帰りでも充分とても満足したりしてます。

    私たちが30年以上も毎年この北海道でこんなに長い年月モーターサイクルを楽しめているのはなぜでしょう…
    ふと思って書いてみました。

    言葉足らずのコメントで失礼(^^;




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    1. selenさん、初めまして。コメントありがとうございます。
      同じ年ですね、ブログ、拝見しました。
      モトグッツィ、1100SPORT、ズームさんで時々見かけていました。selenさんのだったのですね。
      selenさんのブログ、名機CanonF-1のフィルム写真、風景と、1100SPORTが美しくて、とても「旅」を感じさせますね。
      おっしゃっている「北海道がすべてと言ったら大袈裟ですが、ひとつひとつが愛おしいお気に入りかもです。」というのが、よく伝わってきます。
      どうして私たちが長い間、バイクライフを楽しみ続けていられるのか…。その答えは私たちの走りの中にありますが、そのほんの一部でも、例えばブログの中で、表現していけたら、それは素敵なことだなあと、思います。
      selenさん、これからもどうぞよろしくお願いします。

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  2. 樹生さんこんにちは。
    子供が生まれてからなかなか一人でツーリングに行く機会がなく、たまに乗る時は誘ってくれる友人とマスツーリングというのが多くなってきました。
    基本的に行きたいところのリクエストをもらって僕がルートを組むんですが、どうも毎回しっくり来ないなぁと思っていたところでこの記事。なるほど、と得心しました。
    新しい視点を持つことが出来たので、次回から参考にさせていただきます^^

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    1. Shin Kanetaさん、こんにちは。
      子どもが生まれると、生き方が親として子どもをちゃんと育てるという方に優先順位がシフトしますから、自由気まま度は相当に下がりますよね。
      でも、それもまた自由の一つの姿だと思います。
      それでも走りたいときは、家族の理解を得て走らせてもらうことにして。
      私も年間1000km走れない(年にツーリング2回だけみたいな)
      年が5年くらい続いた時期がありました。

      さて、マスツーリングのプランニングは、人数、メンバーの年齢、嗜好などによって大きく変わりますが、4台以上の場合は、もうバイクとしての機動力はほぼ発揮できないという前提で組んだ方がうまくいくと思います。自動車のツアーと同じと考えるわけです。
      かつ、4輪よりも休憩のスパンを短くとらなくてはならないので、いかに効率的な短いコースの中に休憩を入れるか、大休憩、小休憩のリズムをどうとるかなどが、ポイントとなってくると思います。
      これもまた、プランニングは難しいですけれどとても楽しいものでもあるので、ぜひいろいろやってみてください。
      で、仲間が気心知れているなら、失敗プランも愛嬌として受け入れてもらうような気持の方が、いいプラン、いいツーリングになっていくと思います。
      結局、プランよりも人、関係性の方が、大事になってくるのが、グループツーリングだと思うのです。

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