11月15日、シーズンラストのツーリング。
新篠津村から北村で記念樹を見て、雪のない南方面を目指した。
栗山のコンビニであんまん、肉まんの昼飯にした後は、
さらに石狩平野を南下していく。
三川からJRに近い国道234や、その脇道を使って南下。
川端方面へ向かって、社台ファームにやってきた。
競走馬の牧場である社台ファーム。
馬たちが、思い思いに草を食んだり、緩く歩いたり、時々何頭かで一緒に走ったりしていた。
親子もいるのかもしれない。
向こうの方で近づいてきた。
好奇心旺盛だ。
人に嫌な思いをさせられたことがあまりないのだろう。
大切に、愛されて育っている証拠である。
さて、川端から追分へ。
ここ数年、年の終わりの定番となってきている感じだが、追分の丘へ行こう。
樹々は葉を落とし、冬の準備も整っている。
中央やや左に三角にぴょこんと頭を出しているのは、恵庭岳だろう。
石狩平野の東から、石狩平野の西端方面を見ていることになる。
東千歳の台地の中を、立派な農道が縦横に走っていて、もちろん一般車も通行可だ。
一本残したシンボルツリーが、大きく育っている。
富良野や美瑛にも多くみられるこうした風景。
ここ、石狩平野でも見ることができる。
人の暮らしがある。
この樹が育ち、枝を延べ、繰り返して百数十年。
その間、ここで耕し続けてきた。
人の、代々の暮らしのシンボルツリーだ。
西へ。
帰りを急いでいたら、田んぼの中に白いものが。
雪ではない。
白鳥だ。
ここでしばらく羽を休めるのだろう。
そしてさらに南へ飛んでいく。
今夜の寝床は、別の所に設けるのか。それとも、食事を別の場所でするのか。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをも染まずただよふ
こう歌ったのは、若山牧水だ。
青い空、青い海、その青の世界の中で、白いまま、世界に染まることなく、ただ、空と海の間を漂っている白鳥は、かなしくないのだろうか。
いや、かなしくはない。
さびしいけれど、染まってしまうよりは、このまま、白いまま、周囲に馴染めないままで漂っていたい。
それが、白鳥であることの宿命ならば、それを捨てて、染まったところで、幸せにはなれない。
いつまでも漂う。
そういう生き方もあるのだ。
COVIT-19の影響で走れなかったシーズンはじめ。
世界も変わり、仕事の様も変わり、
いや、それがなくても、自分も変わり、高度情報化が猛烈に加速していく中で、
自分であることがとても難しいシーズンだった。
今年、走れたことに感謝。
…というのだろうか…、むしろ、安堵を感じていた。
走れるということ。
それが、まだ、自分の手許にあるということ。
身体の中に走りがあるということ。
そのことで、今年はどれほど救われたことだろう。
ゆきかぜとの8年目のシーズンが終わる。
今年もありがとう、ゆきかぜ。
来年も、いっぱい走ろう。
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