2022年2月27日

ロシアのウクライナ侵攻反対デモに行ってきた。

今日の午後、札幌駅南口広場で「ロシアによるウクライナ侵攻に抗議します」という集会があり、参加してきました。

数百人集まったでしょうか。寒い中、顔ぶれを見ると老若男女。偶然通りかかって立ち止まって参加、と言う人もかなりいたみたい。

集まり、注意事項を確認し、話したい人が順にスピーチするだけの集会で、一斉のシュプレヒコールもない。淡々と、静かに進んだ集会でした。



スピーチをした人の中には、ウクライナの人、ベラルーシの人、出身地が聞き取れなかったけれど、英語でスピーチする人、日本の高校生、年配の日本の人など、いろんな人がいて、内容も各自ばらばら。
各自が思い思いに、自分の考えを話していて、よかったと思いました。
事前にTwitterで告知された注意事項は以下の2つ。

注意:
マスク着用ができる方はご協力お願いします/コールは行わずスタンディングとハンドマイクでのスピーチを行います/マイクは毎回消毒をします/プラカードはいくつか用意しますが数に限りがありますので持参をお願いします/主張の異なるプラカードはご遠慮ください/報道が来る可能性があります

注意の続き:
ヘイトスピーチは絶対におやめください。この行動の目的は、ロシアによるウクライナ侵攻への抗議です。いかなる場合であっても、誰に対してもヘイトスピーチはNGです。ヘイトスピーチがあったと主催が判断した場合、マイクを回収することがあります。

現場でも繰り返し、強調していました。
とてもしっかりした主催の運営でした。若い人たちが中心のようでした。




ここから先は、しょうもない個人的感想です。

若い人たちが頑張っている。

今日の集会は、若い人たちの頑張りがとても目につきました。
そして、スピーチの内容も、日本人のスピーチの中では、若い人たちのスピーチの方が、
真摯さが伝わり、真剣に、自分の頭と心で考えているんだな…というのが伝わってきました。
とても私にはできない。真っ直ぐな言葉。
イデオロギーとか、正義とか、どっちが賢いとか、論破とか、そんなの関係なく、
自分の思っていることを、自分の重さで話す、その力。
戦争は嫌だ。
ウクライナを爆撃したり、侵攻したりするのはやめてくれ。
知人が、家族が、心配なんだ。
真っ直ぐな思い。

今年還暦の私と似た世代の人達も多くスピーチしていましたが、私の心には響かなかった。
なんだろうか、話している内容は同意できるのに。
そう、まるで、政治家の演説を聞いているような、どこか手垢にまみれた言葉の響きのように聞いてしまう。たぶん、これは聞き手の問題なんだ。

年配の人のスピーチは相手を説得しようとしている。言葉巧みに。
でも若い人は、自分の気持ちを、まっすぐ訴えている。
相手をコントロールしようとする姿勢と、
相手の主体と自由を100%尊重して、自分の思いをぶつける姿勢。

そんなことを、感じてしまった。

たぶん、世の中を維持し、変えていくには、どちらも必要なんだろうけど、
僕には、若い人たちの姿勢が、胸に響いた。

自分の言葉を、考えさせられた。

会場では、希望者には、小さなプラカードが配られたり、貸し出されたりしていた。
今、世界中で、紙にメッセージを書いて、示す意思表示がスタンダードになってきている。

自分の前に、自分と一緒にプラカードを示す。
それは、自分の意志として示すことになる。

僕にとっては、それは重いことだ。
人の言葉を自分の言葉として表示はしたくない。

だから、今日僕は、普通の紙に、手書きで2つ、文字を書いて持って行った。
特別な言葉ではない。
最も多く使われている言葉たちだと思うのだが。

「STOP WAR」
「Putin is not Russia」

二つ書いて持って行った。



さらに非常に個人的なことを書くことを許してほしい。

僕にとって、今日の集会に行くことと、バイクで走ることとは、同じことだ。

「札幌で、僕一人が集会に追加参加して、何になる。何にもならない。」
「本当に事情も分かっていないくせに。ただのパフォーマンスじゃないのか」
「それで何かした気になって、いい気になっているんじゃないぜ」

選挙も、バイクも、僕一人投票しても、一人ツーリングに出ても、あるいは、一人自粛して走らないようにしても、大勢から見れば何の意味もないかもしれない。
だからどうした。
だからやらない理由にはならない。

すべてが分かってからしか物事をしてはいけないのなら、一生何もできない。そして、トライする人間をただ冷笑するだけの人生を送ることになる。そんな人生はごめんだ。

何になるか、わからない。中途半端なだけかもしれない。

でも、
「答えは、走りの中にある」

走ること、そのものの中に生きるのが、RIDERだ。

この戦争は、止めなくてはならない。
同時に、僕は、僕の生活を守らなくてはならない。

次にできること、自分がすべきことを、今回は探す。

僕にとっては、

僕がここで何もしないのは、バイクから下りることと同義だ。

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