2013年11月12日

小春日(5)


丘を下る。
ゆっくりと下る。
足元のダートは砂利敷きで、締まっていないゆるい路面。
轍も癖のある曲がり方、ちょっと気を使う。
GPZなら、踏み込むのに決断が必要だった。
ゆきかぜ(MOTOGUZZI V7Special2012)なら、ふらっと入っていける。
何より軽い車体。装備で190kgはかつての愛車GPz400F-Ⅱよりも軽い。
ハンドルの切れ角も、国産車並みにある。
フロント18インチは、17インチや16インチの小径ワイドタイヤよりもダートには強い。埋まりにくく、ハンドルを取られにくい。
また、最低地上高もカウル付きよりはある。腹擦りには気を付けなければならないが、危険なところはペースを落とせばよい。

速度を落とし、前輪荷重が過大にならないようにしながら、路面を選び、コースを変えつつ、下っていく。景色のパノラマが、ゆっくり動く。
こうした気持ちよさも、バイクライディングの愉しみのひとつだ。



さて、午後1時を回っている。
もう、帰ろう。
丘を下り、舗装路を西へ。道なりに北へ流れて、道道482号線に合流する。
すぐに追分町。その手前を北上して国道234号線を少しだけ走り、また左に折れ、千歳市東山地区へ、また別の丘を駆け上る。

南側の雲は雨を降らせている。
頭の上にはきれいな青空が広がっている。
少しずつ、雨雲が北上してきている。
これは、雨雲とのレースになるか。

北上しつつ、西へ、札幌方面を目指す。

丘の上の道は、事実上農道のようなものだ。
農作業車が走り、路面には不規則に土が落ちている。
しかし、道幅は比較的広く、舗装状態はよい。
見通しもよく、適度なアップダウンと、たおやかなカーブが続く。

ここでぶっ飛ばすのは無粋。近くの農家にも迷惑だろう。
心地よくダンスする程度が似つかわしい。
排気音も、接近を知らせる音量と神経を逆なでしない音質で、かつ小さい方がいい。
V7はどれもぴったりだ。

浅いバンク角にとどめ、すいっ、すいっと駆けていくと、V7は自然に舵角が入り、寝すぎることもなく、フロントに無理を掛けることもなく、まったくニュートラルに感じさせて、きれいに弧を描いていく。
2300rpm以上回っていれば、最高トルクを2800rpmで発揮するV7の心臓はストレスなく、リヤタイヤを軽やかに、力強く外側に蹴り出す鼓動を感じさせながら加速していく。
このハンドルのニュートラル感は、もし路面の土を拾って少し滑っても、問題なく立て直せるだろうと確信させてくれるような(実際にできるかどうかは、ペース、土の量など、さまざまな条件によるのだが)、安心感がある。
これは非常に優れたグリップ力を示すピレリのスポーツデーモンのおかげだけとは言えないだろう。
車体そのものが、タイヤに無理をかけない、そんな設計になっているように感じる。
V7で走るのは、本当に楽しい。

V7に乗るようになって、まだ一度も全力疾走したことがないが、それはもう、来シーズンのお楽しみということになるだろう。

今日は軽く、ダンスを楽しむ。


丘の上、S字になっている道の側に、ある農場があり、その建物の側に、2本の樹が並んで立っている。
周りは牧草地。
なだらかな丘になっている。

そのヘリの、アスファルトが敷かれた道の、ニッチのような場所を、今日最後の休憩場所に決めた。
13時30分。
ああ、朝が遅かったこともあるが、昼飯も食わないまま、飲み物もとらないまま、ここまで走ってしまった。

……それは、よくないなあ。休憩はふんだんにとってはいるが、水分や栄養の補給は、やはり50代のおやじとしてはこまめにしたいものだ。

あまり店のある道を走らなかったというのもあるけれども、せっかくタンクバッグを装着し、デイバッグを背負っているのだ。どこかで食べ物、飲み物をゲットして、持って来て食べるべきだった。


ツーリングで気持ちいい温泉をルートに入れ、湯につかってそれまでの体の疲れや凝りを取り、再び体を覚醒させてから帰路に着く。それは、蓄積する疲労を一度捨てて再び新鮮に走り出すという、とても優れたプランだと思う。
温泉が気持ちいい露天風呂だったりすると、さらによい。

どこかのレストランを予約して、それに向けて走って行くのもいいだろう。
もちろん、ただレストランに向かうのではなくて、途中のコースに走りの愉しみをふんだんに盛り込んでおくのだ。
別に予約しなくてもいい、遠くにある、お気に入りの飯屋さんを訪ねてバイクを走らせる。そしてゆったりと昼食を味わい、仲間との会話を味わい、再び気合を入れて、帰ってくる。
これもまた、すてきなツーリングだ。うまいもんツーリングと言うわけだ。

僕は、風呂にも、食事にも、あまり興味を持てないという、これは子供の頃からの習性で、ずいぶんと損をしていると思う。

別に特にうまいものや、話題のものを食べたいとも思わない。わざわざまずいものを選んで食おうとも思わないが、きちんと栄養が取れていれば、それでいい。
風呂も、体がきれいになって不快感がなければそれでいいので、入らずに済むなら別に入らずともなんともない…というかめんどうくさいのだ、風呂が。

生きることそのものをいかに多く愉しむか、そのための基本の衣食住に対する興味が、欠如しているのではないかと、我ながら思う。

バイクと、空と、風と、風景と、それを感じながら、どこまでも、いつまでも走り続けていたい。
もしも疲れと言うものがないなら、ずっと走っていたい。
そんな感情を20代の頃から持っていた。

バイクに乗ってもうすぐ30年になる。
そんな熱病のような情熱はなくなってきたけれど、ずっと乗り続けたい、体力と判断力の続く限り、バイクに乗り続けたい、そういう気持ちは、まだまだ僕を離してくれない。



樹は、そんな僕を立ち止まらせるものなのかもしれない。
ひとところにずっと立ち、幾星霜もの齢を重ね、少しずつ自らの姿を変えながらも、その地にとどまり続ける樹の姿。
自分のいる場所を自ら受け入れる、そして自ら木陰を作り、土壌を守り、さまざまな生きものを
はぐくんで立ち続ける樹の姿は、バイクとともに放浪し続けたがる僕の気持ちとはむしろ逆だ。
僕に欠けているもの、僕が持つべきものを、樹は持っているのかもしれない。

よりそう樹を見ていると、そう思うのだ。



ああ、でも。振り返った先に見えるV7ゆきかぜ。
走るために生まれてきた彼女は、本当に美しい。
時にやさしく、時に逞しく、僕を旅に誘う。

走りたい。
どこまでも、バイクで走って行きたい。

そんな思いは、抑えられそうもない。
もうしばらくは、バイクとともに生きていく。
僕には、バイクが、まだ必要だ。

そんなことを思った、小春日の短いツーリングだった。

風が急に吹き始め、気温が低下してきた。
雨雲が近づいている。

帰ろう。

我が家まで、もう一走り。

ヘルメットを被り、グローブを嵌め、ゆきかぜに跨って、深呼吸をひとつ。
セルスイッチを押しこむと、力強く、ゆきかぜが目覚めた。

(小春日 完)

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