バイク用ABS。最初に市販車に装着したのは、BMWだったと思います。(K100だったと思う)
伝統を重視しながらも、大胆な革新への志向をも併せ持つBMW。1月6~9日、アメリカラスベガスで開催されたCES(Consumer Electronics Show)で、ヘッドアップディスプレイが内臓されたヘルメットを出展してきました。今日はこのへルメットについて、ちょっと考えたいと思います。
(この記事は、『気になるバイクニュース』の「★BMW CESににてヘッドアップディスプレイ付きヘルメットを発表」、および、『迷走ライダーの眠れぬ日々』の「BMWヘッドアップディスプレイ内臓ヘルメット」へのトラックバック記事です。)
さて、ヘッドアップディスプレイ付きヘルメットとはどういうものか、ですが、『気になるバイクニュース』「★BMW CESににてヘッドアップディスプレイ付きヘルメットを発表」(引用元A)では、BMWモトラッドのプレスリリースを翻訳したものを掲載してくれています。
詳しくはそちらをご覧ください。少し引用しますと、
BMWのヘッドアップディスプレイは、交通情報、そして車両に関する必要な情報をドライバーの運転の邪魔にならないようにドライバーの視野に投影することで、ドライバーは運転に集中し続けることが可能です。(中略)
ディスプレイは自由にプログラムが可能で、ライダーに最大限の安全性を提供するためその時の状況に関連して助けとなる情報だけがライダーに表示されます(引用元A)と、あります。
表示の例として挙げられているものが上のものです。これは将来的な可能性として挙げられたものですが、技術的にはすぐに可能になるでしょう。
おそらく36は時速(マイル)、右の3はギヤポジション。GPS機能により、リアルタイムでこの先の道路工事の情報を左側に黄色のピクトグラムとして表示していると思われます。
ヘッドアップディスプレイに表示可能なものとして
表示可能なオプションは安全性に関する情報、車両の技術的な内容に関するデータ、例えばタイヤの空気圧、オイルレベル、残燃料、速度、ギヤポジション、速度制限、道路標識、また差し迫った危機に関する情報なども表示が可能です。(中略)ライダーのライディングの快適性を高める視覚情報の提供を可能とします。これは計画していたルートの表示、ツーリング時のナビゲーションなどです。(中略)例えばヘルメット内部に搭載されているカメラによる前方のビデオ撮影。セカンドカメラはリヤに搭載されているので、将来的な機能としてデジタルリヤビューミラーとして使うことが出来ます。(引用元A)『迷走ライダーの眠れぬ日々』の「BMWヘッドアップディスプレイ内臓ヘルメット」では、BMWモトラッドの上げたYouTubeの動画も掲載しています。
非常に便利になる可能性のあるヘッドアップディスプレイ付きヘルメットですが、『迷走ライダーの眠れぬ日々』の書き手、「迷走」さんは、この技術に関して、次のように述べています。
部分的に引用すると誤解を生むことも多いので、批評部分をまとめて引用します。
自分はバイクだけでなく、クルマも好きなので2輪、4輪共に楽しんでいます。ですがこの2者には明らかな違いがあります。4輪では会話や音楽を楽しんだり、Bluetoothでワイヤレス接続した携帯電話を使用したり、NAVIを操作したりする余裕があります。ですが2輪では、こうした環境が必要だと思ったことはありません。むしろ不必要であり、会話を交わすとしたら、あくまで自分のバイクとの対話を楽しむことで、それが面白くてバイクに乗っているようなものです。余計な情報はかえってライディング時の集力を妨げることになると考えています。(引用元B)(ここに先のBMW作の動画が入ります。)
ですから、この動画で紹介されているような情報が自分の視野に入ってくるのが便利であるとか、必要だとかどうしても思えません。例えば、ブラインドコーナーの先に事故車が停止しているとかを事前に警告音で知らせてくれる、とかなら有りだと思います。ですがオイルレベルのチェックやタイヤの空気圧チェック等も含めモーターサイクルに乗る醍醐味や面白さのひとつであり、それがデジタルディスプレイでOKと出たところで、嬉しいとか便利になるとかポジティブには捉えられないのです。ネット環境が身近にあることで、あまりにも多くの情報が身の回りにあふれています。ですが、自分にとって何が本当に必要なのかを問いかけながら、取捨選択していかないと一見良さげに見えて無意味な情報に、気づけば翻弄されてしまうと思うのです。みなさんにとってヘッドアップディスプレイ内臓ヘルメットは必要ですか。(引用元B)『迷走ライダーの眠れぬ日々』は、私がここのところ欠かさず読んでいるブログのひとつです。
バイクに関すること、MOTOGPに関することなどの情報が詳しく、しかも、「迷走」さんがあくまでも個人としてのスタンスを保ちながら、かつ、さまざまな情報に関しては客観的なデータをフェアに読者に提供するという、ストイックなバランスを保持しつつ綴られているブログです。
二つの記事にて紹介されていたこのヘッドアップディスプレイ付き(内臓)ヘルメット、私はどう考えるか、自分の考えを整理するためにこの記事を書きました。
『気になるバイクニュース』では、「JOCK A MO」さんが、『迷走ライダーの眠れぬ日々』では「迷走」さんが、あくまで個人としてニュースを提供し、自分の考えを述べてくれています。私も私個人の意見を述べるのであって、これが正しいとか、他の人もそう考えるべきだとかいうことは一切ありません。
さて、私見ですが、
私個人としては、ヘッドアップディスプレイはいらないし、付けたくない…という感覚を持ちました。
そもそも眼鏡ライダーなので、めがねとシールドという二重フィルターで景色を見ていることで、視野の中のゴミとか、なんとなく感じるアンダイレクト感とかを無視するようにしてライディングしていて、実際にライディング中に眼鏡を強く意識しないのですが、でも、日常生活でも、意識していないようでいて眼鏡をかけていることによる不自由さとか、レンズの存在感は、やっぱりうす~く意識し続けているわけです。それにまたもう一つ目の前にスクリーンが加わって、しかも仮想的に遠くに見える文字や絵で表示するのを見せられるのか…と思うと、なんだかうんざりしてしまう…というのが一番目の理由です。
しかし、一方でBMWの言っていることも分かるように思います。
安全性について、日常的な場合での話です。
バイクよりもさらに集中力が要求される(…と言ってもいいかと思いますが…)飛行機の場合でも、ヘッドアップディスプレイの普及は進みつつあります。必要な情報のみを、視線を移すことなく確認できるように前方を見る視野の中に投影してそれを視認する、というこの発想。
私は好きでないのですが、有効性があるからこそ、進んでいるのでしょう。
だとすると、この流れは、自動車のABS、トラクションコントロール、自動衝突予防ブレーキ、自動ハンドリングなどと同じように、最初は違和感を持たれたり、不必要だと言われても、技術が進歩し、違和感を感じさせないようになることや、その存在に人々が馴らされることによって、広まって行くことは止められないと思うのです。
(今回のBMWの動画では情報の表示位置がやや邪魔くさく、もう少し下にあってほしいと思いましたが…)
でも、情報は、確認したいときに確認できればいいのであって、いつも視界の中にあるのは、邪魔に感じます。眼鏡のレンズと一緒で。上の写真右半分にうっすら透明なスクリーンの白い影がありますが、それが先に述べた第1の理由の部分。そして白い文字の情報がいつも景色の中に鎮座しているのはいらいらする…というのが、第2の部分です。
時速の微細な変化まで常に見つめる必要はない。時速を数値で確認するのはあくまで補助的なものであって、ライディングでリアルタイムで変化する路面との関係性は、できるだけ余計なもののない状態で見たい…と思ってしまいます。
現在のメーターでも比較的安全なタイミングで、ちらっとみているくらいで用足りているので、このおせっかいは邪魔に感じます。
でも、運転するゲームでのディスプレイに慣れている人は、この違和感を感じないかもしれません。
ゲームの世界では、すべてが情報、データなのですから。
現実の世界でも脳が視覚をはじめとするすべての感覚からの神経細胞を通じた情報を処理しているのだから同じだと言えばそうかもしれませんが、ゲームの場合、情報は視覚、聴覚を基本としたものなのに対して、現実のライディングでは非常に多角的、複雑なものを全身で、意識的に計算する間もなく反応してライディングしているので、ゲームやコンピューターシミュレーションで有効なものが本当に現実で有効かは、これはまたもう一つ、研究が必要と思います。
おそらく、未来のライディングギアは、車体とウェアまですべてトータルで情報化され、連携したものとなるでしょう。
例えばウェアに内蔵したエアバッグは、これもダイネーゼを筆頭に急速に研究が進んでいますが、バイクとの無線による相互通信システムで現在の状態を総合的に判断し、必要な時に瞬時に膨らませることが可能になるでしょうし、ヘルメットにしても、今回のBMWの提案からさらにウェアラブルコンピュータ化したものとなっていくでしょう。
(すでにBMWのリリースにもあったように、後ろ向きのカメラを内蔵し、バイク本体にバックミラーを必要としないようにもなると思いますし、エンジン始動、モード切替なども、ライディングギアで可能になるかもしれません。たとえば音声でとか)
じゃあ、それで面白いのか、というと、それはまた別問題。
ミラーレスのバイクは、ヘルメットのバックミラー機能が故障したら走行不可。
不慮の停電でオール電化の家がまったく不便になり、昔ながらの単純な灯油ストーブに頼るはめになるように、電子制御が故障、または不能になったときのサバイバルをどうするか、という発想が、バイクやバイクツーリングには必要と思います。
それとても、「全国どこでも24時間すぐに駆けつけるロードサービスが万一の事故や故障からあなたを守ります。」というのかもしれない。
そうやって、何重にも情報やサービス、監視の網(ネット)にからめとられ、その網に依拠して生きて行かなくてはならなくなる…。
それは憂鬱な時代だな、と僕は思うのです。
そんなことに依拠しなくても、昔は道端で修理して走り出していたのに。
そして、バイクはそれくらいできる程度のメカニズムで、それくらいできる程度にバイクのしくみを理解し、修理の腕も徐々に磨いていくことも、バイク趣味のとっても魅力的な一面だったのに。
道端で工具を広げて停まっているバイクがいたら、行きずりのツーリストも停まって修理に参加、手伝ったりして、旅を続けて行けるような、そんか関係性をすぐに築けるのがライダーだということを、誇らしげに語っていた時代があるのに。
世界や、生きることを、ダイレクトに感じていたい。
風や、雨でさえも、この身に受けて、それに耐え、なんとか旅を続けたい。
そういう願いが、ライダーにはあると、僕は思います。
それは、山登りする人にも、共通の心性であると、僕は考えています。
誰でもできるようにする。裾野を広げる。
そうしたマーケティング戦略は、一時的なバイクや山のブームを生み出し、また継続したイメージ戦略によってある程度の消費者数は確保し続けるでしょうが、山もバイクも、危険なものであるということ、その本質から遠ざかるような文化はかえってそれらをダメにすると思います。
今回のBMWモトラッドのヘッドアップディスプレイの狙いは「安全性の向上」、つまり、バイクが危険なものであるとの前提に強く根ざしたものであり、先進の安全工学に基づいたものです。
しかし今後、その進化の方向性や、その進化の「内包するメッセージ」の方向性を誤ると、かえってバイク文化を死滅させる方向へと歩を進めることになる…そんな危ういバランスの上に、今日の技術はあるのだと思いました。
樹生さん、こんばんは。
返信削除拙ログでの問いかけに対して、
明確でわかりやすい回答をいただいて
とても嬉しく思います。
私の記事内でも、こちらのブログへの
リンクを貼らせていただきます。
ブログと言うツールが出回った時に、
ネットを介して様々な情報を得るだけではなく
トラックバック機能を使って、
私はこう思う……とか、
僕はこう思う……と言うそれぞれの意見を、
建設的にヤリトリすることが出来る点が
画期的であったように思うのです。
今回のヘッドアップディスプレイにしても、
いま自分のバイクのギアが何速に
入っているのかわからないような初心者にとっては
ある程度便利な機能なのかもしれません。
要は、ヘッドアップディスプレイが
必要であれ、不必要であれ、
明確な自分の意志を他者を貶めるのではなく、
あくまで建設的な対話やディスカッションができれば、
あ……なるほどなと必要派の意見に頷いたり、
そう考えるのであれば納得できるな、と
不必要派の意見に耳を傾けて、
また新たな結論に至るための情報として
SNSが活用されるのが理想だと思うのです。
そうした意味では、
リスペクトしている樹生さんが、
どんなカタチであれ私のブログをとりあげてもらい、
丁寧で理解しやすい文章で、
こうして詳細に樹生さん自身の見解を
きかせてもらえるのは望外の喜びです。
ここ最近のネットワーク上で
やりとりされている言葉による口撃や、
争いを見ていると辟易すると同時に、
いつの間にこんなにも自分の意見が述べにくい
環境になってしまったのか、
首を傾げることしきりでした。
今回、こうした有益なヤリトリが
樹生さんとのブログの間で出来て、
本当に嬉しく思っています。
今後もよろしくお願いします。
迷走さん、こんにちは。
削除ありがとうございます。私も、インターネット上の言説のあり方について、迷走さんと同じことを感じていました。
いつも抑制の効いた迷走さんのブログでの問いかけを見て、ぜひ自分の考えを書いてみたいと思い、そういう時の為にトラックバックという絶好のツールがあるじゃないか、と思い出したのです。
しかし、なんとこのBloggerでのトラックバックの送り方がわからない…というとほほな不手際。
すみません、今からでも分かったラトラックバック送信したいと思います。
人を貶め、傷つける言葉は簡単でパターン化されます。悪意さえ伝わればいいので、独善的で、コミュニケーションしているようで実は拒絶・排除の言説です。
丁寧に物事を考えたり、話したりすることは難しく、真剣にしようとするほど、自分の言葉といいたいこととのギャップに苦しむことになりますが、本来、それが言葉というものの本質であり、だからこそ、行間を読み(西洋では空白を読むと言いますが)、相手を理解しようとする地道で難しい作業を重ねることで、人類は諍いをなくし、理解しあえる世界をつくるように、ずっと努力してきたのだと思います。
インターネット上でも、言葉の本質は変わらない。そう思います。
迷走さんのブログでのバイクやレースについての豊富で、かつ厳選した情報、その伝えるときの抑制の効いた語り口。情報を発信しながら、その受け手、ネットの先にいる姿の見えない多くの仲間への敬意をしっかり持った姿勢に、いつも感銘を受けています。
時代が変わっても、豊かなバイク文化は創造できる。
迷走さんの記事にいつも元気づけられ、勇気づけられています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。