2016年1月14日

「弾丸ツーリング」考1

きれいな景色。美味しい料理。仲間との語らい。
それらをぶっちぎって、ひたすら遠くまで走っていくのが、弾丸ツーリング。
それも、本来の弾丸ツーリングは、一人で行くもの。
ひたすら危険と、疲労と闘い、ただ遠くまで何時間も走り続けるだけの弾丸ツーリング。
いったい何がいいと言うのでしょう。
小説、漫画、アニメ、映画などで弾丸ツーリングと言って思い出すものと言えば…。

☆東本昌平『キリン』、第1部のお話。

東京から浜松まで。
これはポルシェとの競争なので弾丸ツーリングには入らないが、「レース」と言える代物ではない。
ただひたすら高速道路で激走するだけに近い。
主人公のキリンがどんな人かは、説明がむずかしいというか、めんどくさいというか…。
キリンは箱根のワインディングでもバトルしているし、高速道路でも、市街地(早朝)でもしているが、ふつうのツーリングをするシーンは原作のマンガではない。
映画版ではラストに女の子と北海道ツーリングをしているシーンが出てくる。
とにかくスピード。早く駆け抜けることに異様な執念を燃やす人間の走りだ。

でも、これ、ツーリングじゃないので、ファンの人からはおこられちゃうかも。



☆大竹オサム、御厨さと美『ケンタウロスの伝説』の、600マイルブレンド。



横浜、神戸間のとんぼ返り高速道路使用の往復。
横浜市から神戸にある喫茶店で珈琲を飲むためだけに高速道をかっ飛んで行き、珈琲を飲んだらすぐに高速を使ってまた横浜までかっ飛んで帰ってくる、日帰りツーリング。
これ、実は実話なのは有名な話。
漫画では、団体で走って行って、団体で走って帰ってくる。
ちなみに600マイルはだいたい966kmくらいらしい。



☆新谷かおる『二人鷹』の、トワイライトユルにつれられた東京下関往復ツーリング。


大学の二輪部に入った主人公、沢渡鷹、東条鷹の二人は先輩につれられ、どこへ行くのかも知らされず、近いか遠いかも知らされずに高速道路のツーリングに。
東京から岡山まで一気に走ってちょっと食事。そこから下関まで走って、食事。そして東京へ帰るという、漫画ならではのむちゃくちゃツーリング。
でも、現実にもできそうに思ってしまう、微妙な設定。



どれもアホさ全開の話で、バイク乗り、特に弾丸ツーリングが好きな輩がいかにナルシストかが如実にわかってしまうような、そんな話です。


ちなみに
☆ えのあきら『ジャジャ』


の中で、主人公のミヤギ君がバイクの図面を持って東京―名古屋を一日2往復するという、これもかなりな弾丸ぶりを見せてくれています。これもある意味、立派な弾丸ツーリング。
(画像は18巻の表紙ですが、このエピソードは、かなり初期の頃のものです。)



恥ずかしながら私の書いたちょっとしたツーリングストーリー、「ラーメンナイト」も、弾丸ツーリングの話です。

☆「ラーメンナイト」         



さて、

これらの中ではジャジャのエピソードだけが急いで遠くまで走らねばならない必要性があった。
夜中で新幹線も止まっている時間帯に、バイクの図面を名古屋の職人たち(この人たちはメールとか、CADとか使えない)に図面を届けなければならなかったから。
他はみ~んな、別にバイクでそんなことする必然性もないものばかり。

つまり、無意味。無駄。

その傍から見れば無意味で無駄なことにどれだけいろんなものを賭けられるか、それが弾丸ツーリングを成り立たせているように思います。

いや、本当は本人たちにとってみれば、今、バイクで疾走すること、バイクでその遠いところまでいくことそのものが、非常に重い意味を持っているのですが、そんなのは他の人にはまったく通じない。
それが美学だろう?それがかっこいいだろう?という、なんか何重にもひねくれた自己陶酔と自己愛、自己顕示欲の結果が弾丸ツーリング。

なんかめちゃくちゃ言ってるって?
いやいや、実は私、結構好きなんです。
この弾丸ツーリング。

もともと長距離を速く移動する能力なら、四輪車に敵わないであろうバイク。
それで
遠くまでひたすら走る「実用的な理由や意味」が失われた時、それでも走っていてものすごく楽しいのは、実用性をはぎ取った後に残る走る歓びが、より純粋なカタチで実感できるからなのです。
合理性に包囲され、合理性の檻の中でがんじがらめになって窒息しかけているときこそ、弾丸ツーリングは、生きる息吹を体の底から呼び起こしてくれるものなのです。

…って言っても、あんまり説得力ないかもしれませんね。

次回、過去に私がやった弾丸ツーリングらしきものを思い出してみようと思います。

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