2016年1月15日

「弾丸ツーリング」考2

自分自身が過去にやった「弾丸ツーリング」らしきもの…。
改めてそう思い返してみると、若い頃はだいたい走り出すとなるべく止まらずに走り回っていたというか、知らない場所へ、走ったことのない道へ、探して、求めてどんどん走っていたことが多かったので、何が弾丸だったのか、あまり鮮明に思い出せないのですが…。
はっきり思い出せる最初の弾丸ツーリング的なものは、たぶん、大学生の頃、原付のDT50で走った、あれだと思います。(写真はなく、文字だけの記事です。)

1 DT50 広島―大宰府往復、ゼロ泊2日。

僕はバイクに乗り始めたのは当時としては遅い方で、大学4年でした。それまではもっぱら自転車でした。
飛躍的に行動半径を広げた原付。DT50で僕は、いろいろ走り回っていました。
あてもなく、現れた道をとにかく遠くへ、ガソリンの続く限り、ガソリン代の続く限り走っていたかったあの頃。大きな円を書くような走りがいつもで、弾丸的に一直線に遠くまで走ったのは、たぶんこの時が最初だったように思います。

何月だったかも思い出せませんが、よく晴れて、とても寒い時期でした。
夜にDT50に乗って広島市を出発。
国道2号線をひたすら西へ、走り続けました。
とても寒かったこと、何度かコンビニで休憩したことは覚えています。
夜中の宇部興産のコンクリ工場の近くの国道の雰囲気なんかも覚えていますが、とにかく夜中の2号線を延々走り続けて、真っ暗なうちに下関に着いたのですが、原付は関門橋が渡れない。
それで、国道の関門トンネルへ向かったのですが、これも原付は通行禁止。
まさか、ここで九州に渡れなくなるとは、と、思っていたら、関門海峡の地下、というけ海底をトンネルで渡る歩行者専用のトンネルがあることが標識で分かり、そこへ行ってみたのでした。

すると、確かに「関門トンエル人道」なるものがあるのですが、その開通時間が朝6時から夜10時までで、その時は朝4時前くらいだったので、2時間以上、通れるようになるのを待たねばならないのでした。
ここまで来て引き返せるか!と思い、コンビニで朝ごはんを食べながら6時まで待ちました。
原付は確かに通れますが、狭いトンエル、もちろん走行は禁止。自転車も乗車禁止で、押して渡ることになります。それで、押して渡りました。軽い原付でよかった。
関門トンネル人道に入るには、エレベーターに乗って地下に下りて行かなくてはならないはずですが、そのあたりは覚えていません。

九州に上がってからは、国道199号線を北九州の市街地を感じながら、なぜかオフコースの歌を歌いながら走ったことを覚えています。
その先はどう走ったか、これもあんまり覚えていないのですが、大宰府天満宮に到着。
昼より前だったと思います。
RZV500がいて、「おおおおおおおおお!」となったのを覚えています。
信仰心のない僕は、大宰府へいっても、お守りも買えず、お土産も買わず。たぶん梅が枝餅を食べて、帰路に着きました。

帰りは走れるだけ3号線を走って(原付通行禁止のバイパス以外)、門司ではまた199号線を走って、あとは来た道を帰るだけのツーリングでした。

良く晴れて、日中は陽射しを受けた背中がポカポカ暖かかったのを覚えています。
帰りはもちろんまた途中で夜になり、真っ暗な中を延々2号線を走って帰った記憶があります。
帰りは寒いし、疲れてつらいしでしたが、それ以上に面白くてわくわくしながら走っていたようです。
たしか、夜中、12時とか、1時とか、2時とか、それくらいには広島市の下宿に帰りついたのだったような。

若かったなあ。

あら、一つ目の思い出を書いただけで、結構字数行ってしまいました。
続きは次回に。

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