2016年8月21日

遊動型。


月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
松尾芭蕉『奥の細道』(1702年)、冒頭の言葉です。

今、世界のマジョリティは定住型。
しかし、定住、農耕が進む前は、遊動、狩猟採取型だったと言われています。

*注:移動する農耕=焼畑農法もあり、遊動型が狩猟採取と決まったわけではありません。また、狩猟採取が主たる食糧確保の方法だったと思われる遺跡に、数百年にわたって定住したと思われる村の痕跡や、大規模木造建築の痕跡も残っていたりして、この類型は近年ではだいぶ疑わしいと言われています。)

江戸、元禄時代の俳人、芭蕉は、船頭や、馬子など、旅を生業とするものにシンパシーを覚え、旅に生き、旅に死んだ古の文化人たちを偲んでもいます。

芭蕉は、忍者の里、今の三重県、伊賀上野の出身で、諸国への旅も江戸幕府のスパイとしてだったのではないか…とも言われていますが、そうだとしても、そうでないとしても、旅を愛する…というか、旅に駆られる人だったようです。
よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。
空を行くちぎれ雲を運ぶ風に誘われ、漂白への思いは止むことなく、海辺にさすらう旅をして、去年の秋にやっと川沿いのボロボロな我が家に帰ってきたが、年も暮れると、今度は北の方へ行きたくなり、春霞の白河の関を越えたいと、気持ちをそわそわさせる神が憑いたのか、落ちつかなくなり、旅路の神(道祖神)の誘惑にあってしまって、もう旅のことばかり考えて取るものも手につかなくなります。

これは、奥の細道という物語の序文ですから、脚色はあるとみなさねばなりませんが、それにしても相当に旅に出たくてそわそわしてしまっています。
江戸で俳諧の先生として、安定した暮らしもしようと思えばできたはずなのですが、彼にはそれよりも旅の方が心にかかっていたようです。
ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱にかけ置く。
旅用のスパッツの破れを繕い、帽子の紐を付け替えたり、身体のメンテナンスをしたりして、旅の支度をはじめてしまうにつけても、まだ見ぬ北国の絶景、「松島の月」が気になっていました。
とうとう家も引き払って他人に譲ってしまい、俳諧の弟子の杉風の別荘に引っ越すときに、

ぼろぼろな我が家も、私から主が変わって、小さな女の子のいて、ひな人形の飾られる家になるのだなあ…

という句をはじめとして、8つの句を作って、ぼろ屋の柱に立てかけておきました。
独り身の芭蕉の次にこの家に住む人は、兵右衛門という妻子持ちのひとだったようです。




「旅は帰るためにする」という言葉があったような気がします。
でも、芭蕉にとっては、旅に出ることで江戸や伊賀の故郷のよさを再発見し、帰ることでまた愛着を深める…というものではなく、「旅」そのものが芭蕉の故郷だったような感じがします。

たぶん、芭蕉は、旅をしているそのさなかの自分が、一番好きだったのではないでしょうか。
さすらうこと、そのものに、心地よさを感じる、そういうタイプだったように思えます。

そして、そういう精神性は、もしかしたら自分では選べないものではないか…と最近思うのです。

性愛的に、同性を愛するか、異性を愛するかは、遺伝子的に決まっているといいます。
同じように、定住を志向するか、漂白、遊動を志向するかも、本人が任意で選ぶのではなく、あらかじめ決まっているように思うのです。

僕が小さいときから、散歩でも自転車でも、はじめての道、遠くの町や村に行きたかったのも、バイクの乗ってからも、いつも初めての道へ行きたがるのも、そして目的地や、温泉や、うまいもんや、仲間との楽しい語らい(=それも本当に魅力的で、そのために出かけることもあるのですが)よりも、移動中、道の上にいて、走っている時に、バイクで走ることの至福を感じるのも、転勤を受け入れて何度も知らない町へ引っ越してきたのも、生まれついての遊動性のせいかとも思うのです。

そんな僕も、子どもの転校をなくすようにと考え、転勤を控えるようにし、また、自宅をローンを組んで建てたりもしました。

子どもに、「故郷」、「帰るところ」を作ってやりたかった…そういう気持ちもあったかもしれません。

しかし、心のどこかでは、これで定住、終の住処という感じがしていません。
またどこかへ、行ってしまいたくなる…そんな時が来るのかもしれません。



夫婦で戯れにどこで死にたいかという話をだいぶ前にしたことがあって、
僕が「空の下で、外で死にたい」と言ったら妻が驚いていました。
「もし真冬で吹雪の時に死にそうだから外に出してやってと言ったら、私、死にそうな夫を吹雪の中に放り出した、なんて嫁だって責められる」

…なるほど。

でも一方で僕はキャンプとか、バーベキューとか、海とか、スキーとか、登山とか、いわゆるアウトドアなことは殆どしない、変な嗜好だなあ…と自分でも思います。

衰えていく体力のなかで、それでも遠くへ、知らないところへ、バイクでどこまでも走っていきたい…。
そんな思いはまだ、くすぶっているのでした。

2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。お元気でしょうか。
    私も知らない土地へ行くのはとてもワクワクするものです。
    V7で色々な知らない土地へ行ってみたいと思いますが、実際は仕事や時間の関係上、ほとんど近場の知った土地しか行くことができませんね・・北海道・・夢のまた夢かも知れませんが、いつかは走りたいものです。
    とりあえず、去年の秋に行って以来の阿蘇へ行きたいのですが、なにせ西日本は猛暑、9月になってからと考えています。

    昨日、V7クラシックのリアをナイトロンへ換装しました。
    まだ、帰り道しか走っていませんが、まったく走りが変わりました。
    今までは綱渡りのように走っていたのが、広い道を走っているかの様な絶大なる安心感とでも言いましょうか・・
    リアの接地感が増大したせいか、トルクまで太くなったようです。
    リアの突き上げも無くなり、体の力も抜けているように思います。
    首にも優しくなると思いますよ。お薦めです。

    ただしこのショック、クラシック用のラインナップは無く、メーカー側でクラシック用に変えて作ってくれたようです。
    「取り付け確認の取れていない特注物になります」との但し書きが有りました。
    レイラさんのページに記事が載っていますが、レイラさんも少し加工したと言ってました。
    現在ラインナップ中のV7Ⅱ用とは長さが違う(こちらの方が長い)そうです。
    スペシャル用も言えば作ってくれるんではないでしょうか。

    前後フェンダーも黒に換え、後はマフラーをカフェ用に換え、シングルシートにし、カフェクラシックっぽくして完成です。(もう、一度やってますが・・笑)

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    1. 小五郎さん、こんにちは。
      ナイトロンのリヤサス、いいですね。頸へのお心遣い、ありがとうございます。
      長く走りたいので、そういうところにも気を付けていきたいです。

      センタースタンドをつけて、ステップ、ハンドルとポジションを少し変えたので、
      次はエンジンガードか、サスペンションか…というところを考えています。
      特にエンジンガードは早くしないと…と思っているのですが、問題はいつもお金です…。

      REIRA-SPORTSさんのブログ(http://blog.reira-sports.com/?p=19506)の、V7クラシックは小五郎さんのマシンでしょうか。
      (色と、ステップ、エンジンガードに記憶有りなのですが)

      自分にぴったりの仕様に近づけていくたびに、愛着も増しますね。
      サスペンション、いつかやってみたいです。

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