2014年9月24日

9月の空(14)帰り道

旅の終わり。
帰り道。
帰り道の間も、冒険の時もある。
帰り道の間も、旅が続いている時もある。
旅が終わって、それから帰り道を、たどる時もある。
一泊二日の旅を終え、明日からの仕事の待つ札幌へ急ぐ僕の帰り道は、
この日、旅が終わった後の帰り道だった。

安全に、早く、自宅へついて、少しでも疲れを取り、明日からの仕事に影響がないようにしよう。
そのことを最優先に考えながら帰る道。

同じように翌日から仕事があっても、20代、30代の頃は、行きだろうが帰りだろうが、路上にいて、バイクを走らせていること、それそのものが他のものに代えがたい歓びだった・

今日、僕は仕事のことに頭を悩ませながら、家路を急ぐ。

2014/9/7 13:30 清水町
それでも、ちょっとした好きに脇道に逸れてはほんのわずかでも田舎道を走ってしまう。
それはもう、考えてというよりは、「くせ」とか、「習性」に近いものなのかもしれない。
十勝で帯広から日勝峠、狩勝峠へ向かう裏道の定番、道道75号線から、さらにちょっとだけ外れて、田んぼや畑の中の道へ。
昔、十勝で田んぼはとても少なかったものだが、次第に田んぼも増えてきているような気がする。

日高山脈の山々が、雲にところどころ霞んで、午後から夕方の雨を予想させる。

晴れていても、雨に曇っても、日高の山々は神々しい。
雪の景色はまた格別なのだが、それは冬に訪れた人にしかわからない。


2014/9/7 14:31 占冠村
早く、疲れずに帰るため、清水から高速に乗った。
しかし、千歳IC付近で事故渋滞の情報が掲示板に流れ、僕は占冠のインターチェンジで高速を降りた。

もう、ここからは割り切るしかない。
ゆっくり帰ろう。
ここで急いでも、日曜の午後から夕方にかけ、ファミリーカーの行楽帰りの車が多い中、危険が増すばかりだ。

肩凝りや、腰の痛みが来ることを警戒しながら、頻繁に停まって休憩を入れるリズムを取ることと、追い越しを繰り返すよりも、車の後にずっと追随するよりも、自分が停まって車列を前に流してしまうという対策を行うことにして、下道を走ることにした。

秋の空は高く、空と雲とのコントラストが目に鮮やかだ。

写真には、やはり写せない、秋の空の爽快さを、地上を走り、流れていくバイクの上で、全身で味わいながら、ゆっくり進む。

2014/9/7 15:43 栗山町

国道274号に合流し、夕張ではよく寄るコンビニで休憩し、肉まんを一つ食べた。
肩を回して、肩凝りから頭痛が来ないように血行を促進する。
バイクは、「移動」にしてしまったとたんに、肩が凝ったり、腰が痛くなったり、背中がつらくなったりする。車列の後ろをただついて走ることはバイクにとってはあまり幸せなものではないようなのだ。
積極性をライダーが失うと、途端に体が悲鳴を上げ始める。
どこか弛緩した乗車姿勢が、凝りや疲労を生む。
全身が集中し、全身の筋肉や神経が覚醒している時には、疲れはするが、そんなに方や腰は痛くならないものだ。
ライディングは、速度の速い、遅いにかかわらず、積極的に運転し、操作に集中し、筋肉がこわばる前に休憩してほぐす…その自分にとって一番いいリズムを捕まえて、しっかり走らせることが、実は疲労軽減にもつながっているのだと、しみじみと思う。

由仁町では右斜め前の方角に、巨大が積乱雲が見えた。
まるで夏の雲のようだ。でも、夏の雲とは、表情が違う。
周囲の空の色も、周囲の雲高さも、形も。

2014/9/7 15:50 由仁町
長沼の農道を少し走った。
こんな立派な農道が、北海道にも、たくさんある。

国道やさっき見上げた高速道路は、車の列が長く続いていた。
事故渋滞は解消したらしいが、もともと休日の午後遅くには混む道なのだ。

この道はメインの広域農道からもさらに一本はずれた道なのだが、誰も通らなかった。

ゆきかぜと二人、近づく札幌を感じながら、走っては停まって、を繰り返し、徐々に我が家へ近づいて行った。


2014/9/7 16:03 千歳市
千歳市の中心部から北東方向、東千歳地区は、丘と畑と牧場が続く、農業地帯だ。
カラフルな丘が次々と展開し、道行くライダーやドライバーを楽しませてくれる。
連作障害が出る畑では、少なくとも3年サイクル以上で違う作物を育てなければならないので、畑のこのようなパッチ模様や縞模様ができる。

2014/9/7 16:03 千歳市
同じ地点から反対方向を望むと、こんな感じ。
右端に映っているホルスタインは、リーダーなのか、僕とゆきかぜをずっと見張っていた。


2014/9/7 16:21 長沼町
長沼町に入った。
札幌まで30km程度。
この地平線に行きつくころには北広島の市街が始まり、後は切れ目なく、街と6車線の大きな通りが続く。
やはり誰も通らない、しずかな農道で、今日最後の写真を撮ろう。

午後の日は傾き、空と雲の表情は、完全に秋だった。

二日間で、いろんな空の下を走った。
久しぶりのツーリングらしいツーリング。

心が洗われていく感覚を、久しぶりにじっくり味わうことができた。
明日から10月の中旬まで、つまり、あとひと月半は、ほとんどまた休日なしの勤務が始まる。

それでもまた、なんとか時間を作って、ゆきかぜと走りに出よう。
何を得たわけでもない。
何を失ったわけでもない。
でも、バイクツーリングには、バイクツーリングでないと出会えない、
独特の感慨がある。
それは、走る場所が違っても、マシンが変わっても、年齢が進んでも、
どこか変わらない不思議な感覚として、僕の中にいつもある。
走ることで、その感覚をまた、呼び覚まし、味わうことができる。
僕がバイクやバイクで走ることを愛しているのは、結局はその感覚が好きなのかもしれない。

陽が射し、曇り、また射す。
その繰り返しの中を、V7と我が家に向かって走りながら、ぼんやりと、そんなことを考えていた。
(9月の空、本編 完)

4 件のコメント:

  1. ツーリングの終わり、旅の終わりは、切なくて名残惜しく感じます。
    東京ICで環八に下りてひどい渋滞に立ち止まっている。
    ふと、「まだ渋滞が続いててほしいな」と呟きCBRのミドルカウルを撫でる。
    ワタシはそんなひと時も好きです。そんな渋滞路も嫌いではありません。

    返信削除
    返信
    1. tkjさん、こんにちは。
      私は帰りの渋滞路は既にくたくたで、もう走る気力もなくなっていることも多いです。
      「まだ渋滞が続いていてほしい」、というのは、とても素敵なことですね。
      旅の終わりを惜しむ、帰り道は、とても幸せなものだと思います。
      そのためには、そうした状態で旅の終わりを迎えられるように、プラン、ライテク、休憩のノウハウなど、
      トータルでのツーリング力が必要ですね。
      思いあればこそ。
      帰宅するとすぐにフクピカするtkjさんのツーリング力には、
      いつも感銘を受けます。

      削除
  2. 帰路につく。どのあたりから帰路になるのか?未だに
    解らない。ずーと定速でアクセルを開けていると、このまま
    目的地に着かなければよいなど、考えたりして、シールド越しの
    風景をぼんやり見ている瞬間がある。
    なかばトランス状態なのでしょう。いつもと違う風景の中を疾走
    していると、不思議な幸福感に浸っています。
    それはエンジンを切るまで続きます。そして目覚めると次の旅の
    始まりに、思いをはせます。

    返信削除
    返信
    1. いちさん、こんにちは。
      走り続ける幸せを、いちさんは感じているのですね。
      すばらしいですね。
      私は不思議なことに(?)、このまま着かなければいいと思ったことがないのです。
      私はどこか、いつも急いでいるのかもしれません。
      ゆっくりとバイクに身を任せ、流れるように走る…、そんな走りを、
      したことがあまりないことに気づきました。
      ライダーごとに、バイクへの違った思いがある。
      その人ごとの、走りがあるのだと、思います。

      削除