2017年7月25日

夏空3 入江・高砂貝塚


今回訪ねてみたかったところ、それは、洞爺湖町の「入江・高砂貝塚」だ。
北海道の縄文時代の遺跡で、縄文時代は1万年続いたと言われている。
縄文時代の遺跡といえば、青森県の三内丸山遺跡が有名だ。場所は違うが、同じような北日本の縄文文化圏にある遺跡と考えてよい。

最初に訪ねたのは、「入江・高砂貝塚館」入場料は150円だ。


館内はこんな感じ。
縄文時代の土器や、石器、矢じり、装飾品など、出土したものがわかりやすく展示されている。


土器は想像よりも大きく、装飾品は思いの外小さく、細工は細かい。

一万年も続いた縄文時代。その貝塚も一万年分積もるので、高さも相当なものになっている。


館内に展示してあった貝塚の地層断面には、下から上へ、その1万年の間に食べたもの、使ったものなど、様々な物が現れたことは見てとれる。

入江・高砂貝塚館から少しのところに、入江貝塚の跡がある。発掘された現場を、そのまま公園化している。


竪穴式住居の跡や、貝塚の跡など、現地でスケールを体感してみることができる。




貝塚の反対側の入り口は低くなっていて、そこから階段で上がってくることになるのだが、この高さが貝塚の高さなのだ。
4~5mくらいはある。




この貝塚ではたくさんの埋葬された人骨も出たのだが、そこには特徴がいくつかあって、特に弥生時代以降と違うのは、頭蓋骨に穴が開いていたり、不自然に大怪我をしたりしている骨がないということ、また、村の様子が出土した道具などを見ても、戦争をしていなかったことがうかがわれる。このころ、縄文の人々は、日本海を船で渡る交易圏を持っており、日高でしかとれない石が、ロシアで発見されたり、かなり広域に貿易をしていたことが分かっている。そして狩猟技術も上がっていたのだが、彼らは戦争はしなかった。
一万年以上もだ。
さらに入江貝塚から発掘された遺骨には、出産時に亡くなったと思われる母親と胎児が手厚く葬られている例もあり、さらには、手足の骨が異様に細く小さく、しかし頭蓋骨からは18歳くらいの女性と見られる人骨がやはり手厚く葬られている例も見つかっている。
おそらくこの女性は重い病気にかかり、ほぼ寝たきりで一生を過ごしたと推測される。一人では動けない人が、18年間生き続け、手厚く葬られているということは、この村が、働ける人だけが生き残れるような村ではなく、みんなを大切に、助け合って生きている村だったことを示している。


僕らは、いろんなことを、この現代の、しかもせいぜい数十年のスパンでのことを前提に考えるようになっているが、人類は、もっともっと長い時間、様々な在り方で、命をつないできたのだった。

縄文人の知恵、そして心性。
僕らが学ぶべきことが、たくさんあると思った。
(つづく)

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