2019年4月28日

レンタカーで乗った「日産ノート」インプレッション


今回の秋田行きでは、当地での移動手段としてレンタカーで「日産:ノート」を借りました。
コンパクトカーの中では人気もあり、評価も高いと聞いています。
3日間乗ってみてどうだったか、極私的インプレッションですが、書いてみたいと思います。

今回借りたのは、ガソリンエンジンで電動のeーpowerではない方。
車体はコンパクト。
見切りもしやすく、電脳アシストが豊富です。


バックミラーは角度を変えると、ミラーではなく、モニターに。
それが3分割されていて、右側からカメラ映像(ミラー映像に近似)、真上からみた映像(カメラ映像から擬似的に創作したもの、かなり正確)、バック魚眼モニター、進路予測図付き、となっていて、バック駐車するときなど、非常に便利です。
しかも、脱輪や後ろの何かに当たりそうになると、色と音で警告。街中での使用には相当に心強い装備と言えます。

アクセル、ブレーキのペダル、ステアリングホイールの操作など、操作系は軽く、比較的ダルな設定で、安心して踏み込んだり、まわしたりできるようになっているようです。

センターラインをまたいだり、左側の路肩の白線を踏んだりすると、警戒音で知らせてきます。うっかり・ぼんやりや、居眠り事故の防止には大きく貢献するのではないでしょうか。

ドリンクホルダーが前の低い位置にあり、運転しながら飲み物を取るには少し使いづらいです。まあ、停まって取りなさい、ということだと考えれば、むしろ安全と言えるかもしれません。


車体はコンパクト。タイヤは4隅にあり、車内は見た目よりも広く感じ、窮屈感はありません。
また、80歳を越えてパーキンソン病を患い、要介護2の私の母でも、自分でシートベルトを留められたというのも、意外ながらいい点として挙げておくべきでしょう。
他の車では、シートベルトのバックルが奥にあって見にくく、自分で留められないのですが、ノートは邪魔にならないものの、留めやすい位置にありました。

ドアは90度完全オープン。乗り降りもしやすく、「トヨタ並みに」使い勝手を工夫し、作り込んでいることがうかがえました。

また、ハッチバックの車ゆえ小さなトランクスペースですが、見た目よりも使い勝手はよく、今回の荷物も余裕で収まり、荷物の出し入れもしやすかったです。

売れるのもよくわかる、そんな感じでした。


では、気に入ったのか…というと、完全に私個人の好みとしていえば、
全然、ノーでした。もしこのクラスで買い替えるとしても、買う気は全くありませんし、次のレンタルではノートでないことを願う気持ちです。

予めはっきり言っておいた方がいいと思うのですが、これは完全に私の<好み>、<趣味>の問題で、<良し悪し>ではない。私に車の良し悪しを述べる力もないということを、前提として、ここからは話したいと思います。

どうして「私は」気に入らないのか、
感覚的ですが、感想を述べていくと、

1 操作性にリニアリティがない。(ように感じる)

例えばブレーキ。
いきなりガツンと利くことがないので、神経質にならずに済み、しかもがっちり踏み込めばかなり効くので、制動力に不満があるわけでもない。
でも、これくらい踏めばこれくらい利く…という「踏み込み力」や「踏みしろ」とブレーキの利き方に、一定の関係がない気がする。手応え(足ごたえ)と、ブレーキの利き方が比例してくれないので、運転が疲れる。

例えばアクセル。
過激で飛び出すとか、そういう心配はない。踏めば加速してくれる。
でも、ここでも足裏を押し返してくるペダルの感覚と、エンジンのトルク感とが比例していない。操作への応答がなにか途中でいじられている感じが常に付きまとう。(たぶん電子制御が優秀なのだと思うけど、おせっかいに過ぎるのではないかと思う。)
あれ?、加速しない…と思ってつい踏み込むと、タイムラグがあって予想以上に加速しだしたり、上り坂の登坂抵抗が足裏に一定に感じられなかったりして、運転が疲れる。

例えば間欠ワイパー。
何段階かで間隔を変えられるのはいいし、実際に換えられるのだが、どうも各ポジションで間欠の間隔が一定ではなく、最初に間隔狭く何回かやってから間隔を広くしたりと、どうも「賢く」やっているように感じられる。
しかし、雨の強さや視界の様子から「すぐに欲しい間隔」で操作しているのに、そこから車の方で判断したものでやり始められると、自分の欲しい間隔からずれてしまい、同じ位置で毎回必ず同じ間隔というふうにならないように思えて、疲れる。

これらは慣れてしまえば、むしろ快適で安全なのかもしれません。
でもそれはドライバーをだめにする方向での馴致のような気がします。(あくまで私見です。)
マツダデミオにしても、ホンダフィットにしても、ドライバーの意志と機械とがちゃんと対応、意志疎通をしている感じがあった。
このノートは、車の玄関先でやたら物腰の柔らかい執事が対応に出てきて、こちらの要求を聞くと、にこっとわらって奥の方へ話を通してくれるが、その対応は、車の方が、「じゃあ、こういうふうにしたらいいのでございます。」という対応であって、ドライバーの意志からは何か離れている…隔靴搔痒の感がどうしても出る……感じなのです。

やがて自動運転になる…。そんな方向に、車がシフトしていることを感じさせるような進歩なのです。


2 ハンドリングのニュートラル性が過ぎる(ように感じる)

ハンドリングは軽く、フルロック時の小回りも相当に小さく回れ、使い勝手はいいです。
しかし、この車、やたらハンドリングがニュートラル。
そして直進復元性が弱いのです。
例えば、ゆるいカーブに差し掛かり、ハンドルを15度くらい切って旋回に安定したとする。そこでもしも手を離すと、定速で走っているなら、タイヤのキャンバーとトゥインの関係で、ハンドルはまっすぐへと戻ってくるはずです。その戻り方の速度や強さでハンドリングに一定の個性がでるのですが。
ところが今回のこの車両は、戻ってこない。しかし、そこから切れ込むこともない。誤解のなきように路面のカントもそんなに強くないところです。そのまま、定常円で走り続けようとする。つまり、直進路に戻った時には若干(ほんのわずかですが)ハンドルをドライバーが戻さねばならない。
そしてステアリングホイールは非常に軽い。
この状態なので、ステアリングホイールを切って行っても、切るごとに重くなる、この力の必要さの増加が、一定でないのです。
アンダーでも、オーバーでもないハンドリングで高いニュートラル性ともいえるのですが、かえって手応えの希薄さに不安になり、追い込む気持ちになれない。つまり、ペースを上げても、手応えがあまり変わらず、運動エネルギーの増大を実感させてくれないので、まるでゲーム機のコントローラーを持っているような気分になります。
(全く変わらないわけではありません、きちんと荷重の増大に応じて重くはなっていきます。その過程が一定に感じられない、リニアリティに欠いて軽すぎるように感じられる…という話です。)
私にとっては「怖い」のです。とても飛ばす気になれない。車が信じられないのです。

バイクもそうですが、ハンドリングとしては「弱アンダー」、それが運動エネルギーの増大とともに比例的に強くなっていく方が、「現実」を実感しやすく、運転しやすいと私は思っています。レースで相手よりも少しでも速く!と言っているわけではないので、ノーストレスからいきなり限界が訪れるよりも、残りマージンをいつも少しずつ教えてくれる方が私は好きなのです。

ここでも誤解なきように、実際の運転で不審な動きをしたり、危険を感じたりしたことは一回もありませんでした。
常に軽いので、非力な人でもステアリングが重くて疲れる…ということはないと思います。

ただ、私は疲れました。運転が楽しくないのです。
常に探りながら運転しなくてはならない感じが、3日間消えませんでした。
たぶん、車にまかせて、ある程度ずぼらに運転したほうが、この車とは相性がいいのではないかと思います。


3 情報が少ないサスペンション

乗り心地は、まあコンパクトカーだよな…という感じで、良くも悪くもなく、普通です。いや、十分によい、というべきでしょう。猫足のようなしなやかさを感じない代わりに、バタバタするわけでもなく、カーブでロールがひどすぎて…ということもなく、乗り心地に問題はなく、普通に安全に走れます。

しかし、ここでも私の感じは、「路面との関係がわかりにくい。」でした。
タイヤが道路のどこを通っているかはイメージしやすくて、それは優れています。
でも、今、タイヤがどれくらいグリップしているか、とか、どれくらいねじれてストレスがかかっているか、とか、そういう情報があまり感じられない。
ギャップを越えたときや路面のうねりの通過時にも、速度や車の重量などから来る動きの予測と、実際の動きとがどうも一致しない。(これは私の予測の方が悪い(へたくそ)なのかもしれない)
ダンピングが一定でないか、プログレッシブだとしても、その変換がリニアでないというか、何か違う感じがする。
ただし、これはサスペンションのせいではないかもしれない。エンジンのレスポンスから来る、私の予測と実際の車の動きのずれの問題かもしれず、そうなら、走っているうちに慣れてくるものかもしれない。
いずれにしても、今の状態がわかりにくい。つかみにくい。それで現実的に困ることはないのだが、気持ちよくない。車との信頼関係が築けない…というものでした。


評価の高い日産ノート、もしも、今回の私の感覚が、大外れしていないと仮定すると、
世の中の車に求めるものがどういうものかが、逆に推し量れるようにも思います。

つまり、結果(成果)としての安全、便利の優先。コンパクトカーが街中のコミューターとしてしか使われないならば、その想定内で、いかに安全を確保するかを、車の方で進歩して保証していくという考え方。無謀なドライバーから車の安全を守る、と言ってもいいかもしれません。
根底にあるのは、ドライバーへの不信。行きつく先にあるのは、ミスをする人間よりも、ミスしない自動運転、です。

私は、現時点では安全は人間と車の信頼関係の上に成り立つもの、と考えています。
そして主はあくまで人間、ドライバーの側。
1970年代~1980年代中盤まで、『ライダースクラブ』の記事に時々載ったのは「よき教科書としての」というフレーズ。すぐれたバイクは、ライダーを育てる。正しい運転を教えてくれる。例えば、Z400GP、GPz400などは、そういう意味でも高く評価されたマシンでした。
当時、よくわからないまま「そうなのか…」、と読んでいた私。30数年経ったからといって、車やバイクについて、専門家並の知識や技能など、全然身についてはいないのですが、しかし、このフレーズの意味は、なんとなく「実感」できるような気がしています。

少なくとも、車やバイクに乗り、走らせる、その幸せと、安全は、車、バイクと人間との信頼関係の上に成り立つものである、ということは、現在の私にとっては真実に思えます。

私が乗ってきたマツダやスバルは、そういうところを大事にしていたメーカーなような気がします。
バイクにしても、そういうところを大前提にしたモデルかどうかを、表面化しないにせよ、必ずチェックして車種選びをしてきたようにも、思います。

そんな感覚を求めることが、贅沢だ、驕りだ、と言われる時代が、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。でも、もう少し、そこであがきたいなあと、思うのです。

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