2019年11月3日

文化の日

文化の日。

僕は、
午前中は休日出勤して、明後日からの仕事の準備をし、
午後のひととき、30分だけ、愛車のメンテを。


メンテといっても、空気圧を点検し、さっと拭き掃除して、ワックスをかけるだけだ。


秋の木洩れ日がさしていた。
木漏れ日の輪郭が、丸いことに始めて気づいた。

ブログをやっていなかったら、そして、ブログで他の方の記事にある、美しい写真、印象的な写真、生き生きとした写真、その場の感情や、空気感まで写っているかのような写真を見なかったら、「見る」ということに、意識をそんなに向けなかったのだろうと思う。

木漏れ日の形がきれいで、それが風で動き、雲の動きで薄くなったり、陰になって消えたり、また現れたりといったことに心が動いても、木漏れ日の形が丸いことには、意識が行かなかったのではないだろうか。

たぶん、写真の「ボケ」がきれいな円形になるのが、いいらしい(?)という、どこかで仕入れた知識と目の前の光景が結びついていることもあるのだと思う。

そうした「見方」は、「純度」から言えば、「落ちている」とも言える。
意匠と関わることなく、素直に風景の中に立ち、風景を見、聞き、匂いを嗅ぎ、風の感触を肌で感じ、全身で、浸ることが、たぶん、今のところの僕の理想だ。

そういう時、不純物が邪魔になることは、ままある。
しかし、同時に、自由に見るためには、はじめに型を通してみるという「作法」にガイドされて、見ることを耕さねばならない。

自由にギターを弾き、ピアノを奏で、ヴァイオリンを弾くには、はじめは耐えがたいほどの不自然で不自由だと思われる身体の操作に体を無理やりなじませなければならない。

たぶん、なんでも、そうだ。
言葉を自由に使うには、「正しい」言葉の使い方に熟達しなければならないだろうし、
自由にダンスを踊るには、「不自然な」立位や、身体各所の動きとコーディネーションを、段階的に学び、身体に叩きこまねばならない。

バイクの運転も、きっとそうだ。

自由に走るには、きちっとした「正しい型」の理解と、訓練が必要だ。
その最小限で最初の教程をしてくれるのが、免許取得時の自動車学校だ。
のちに、アレンジしたほうがいいこともたくさんある。
でも、まずそこから。そして、いつもそこへ。
繰り返し戻りつつ、自分の自由を探していくことが、バイクを自由に扱うことへの
楽しくも、長い、道のりだ。

MOTOGUZZI V7 Special(2013) Looking. 秋の日を浴びるV7ゆきかぜ

今年の夏くらいから、動画を撮り始めた。
考えるところもあったのだが、やってみると、全然うまく行かない。

バイクの動画で挙げるブログを「ビデオログ」なので、「VLOG」といい、
バイクの動画ブログを「motovlog」というらしい。

心惹かれるものもあり、さまざまなスタイルがあったが、自分がするとなると、
何をしても違和感がある。

それは、初めてギターに触れたときのような、初めてDT50を買って、街を走ったときのような、そんな感覚だ。

洞爺湖、紅葉舞う道 MOTOGUZZI V7 (not running)

今回UPした動画2本は、走行シーンがほとんどない(一本はエンジンすらかけていない)。こういう動画をUPするとは、アクションカムを買ったときには、全く考えていなかった。

動画で、何を伝えたいのか?

それは、たぶん、考えても出てこない。

ずっと昔、「あいつとララバイ」(楠みちはる)というバイク漫画作品の中で、主人公の研二が言っていたセリフがある。

「答えは、走りの中にある」

なにも決まっていない青春期に、僕を支えてくれた言葉のひとつになった。

動画も、スタイルが決まっていけばいいのだろうが、しばらくは、試行錯誤をしていきたい。

22歳でバイクに乗り始めた時、周りの人は殆ど「え~絶対似合わない」と言った。
45歳でブログを始めた時、我ながらネットの中に自分のサイトを持つなど、そしてネットでのコミュニケーションをしていくなど、あり得ない感覚が強かった。

動画はどうなるか、これはちょっとわからない。
まず、金がかかるのに、今更ながら壁を感じる。
欲が生まれると、いい機材が欲しくなるかもしれない。
しかし、どこまで資金を投入できるかという問題も、出てくるわけだし。
すでに、北海道では一年で5か月は走れない、完全に趣味の乗り物、本体に100万以上を投入し、ヘルメットだの靴だの服だのと、多額の出費をし、走ればガソリンもかかり、オイル他のメンテ代もバカにならず。

贅沢な趣味をもってしまったものだと思うのだが、
これだけは、譲れないのだ。

僕は、バイクと生きる。

そういう文化的人種なのだ。

なんて、文化の日に、考えたりしたのだった。(こじつけですけど)

さて、夜は仕事しよう。
明日、走れればいいのだが。

0 件のコメント:

コメントを投稿