2013年6月9日

なまえ。

 MOTO GUZZI V7 Special が初めて我が家に来たとき、迎えてくれた妻が言った。
「今度の子は女の子だね。モトグッチだから、モト子ちゃん?」


 GPZ1100は、妻に言わせると水牛みたいだったそうだ。大きくて、長い。のろい。
 彼女は押し引きしているところと、とてもゆっくり走っているところしか見たことがないから、大きくてのろくて、でも力持ちのイメージだったんだろう。でも、水牛って、本当は速いんじゃなかったっけか。…まあ、そこんところはどっちでもいいか。

 さて、我が家にやってきたV7、その日から妻はずっと「モト子ちゃん」と呼んでいる。
 かわいい感じらしい。

 僕はバイクに一度も名前を付けたことがない。
 DT50は、「DT」と呼んでいた。
 GPz400F-Ⅱは「F-Ⅱ」(エフツー)と。
 ZZR400は「ズィーズィーアールよんひゃく」と。
 SRV250は「エスアールブイ」と呼んでいた。
 そしてGPZ1100は「GPZ」いつの間にか「GPZクン」(ジーピーゼットクン)になっていたが…。

 これらも、名前と言うのかもしれない。
 人それぞれにいろんな約し方をし、それぞれに固有の個体を呼んでいるのだから。

 今回、MOTO GUZZI V7 Special を買う時、僕の中に呼び名が既にあった。
 手元に来る前から、名前が浮かんでいたのだ。

 もう、30年近く前になると思うが、誰かのエッセーで「女の子ならともかく、男で自分のバイクに名前付ける奴って、気持ち悪くてジンマシンが出そうだ」って、読んだような記憶があるのだが、それももう定かではない。
 そのエッセーは乱暴で、全体的には取るに足りない内容がグタグダと並んでいただけのような気がするが、どうもそのフレーズだけがひっかかっていたのだった。
 なんとなく、「そうかもな…」と思えたのだ。

 何でも擬人化するのは、5歳児くらいがよくやることだ。それはそれでいいのだが、いい大人がオママゴトよろしく自分の持ち物に名前を付けるのは、確かに変な自己愛だけが肥大して周囲を見ようとしない性向があるように、感じたのだった。



 でも、今回、僕は買う前から、V7の名前が浮かんでいた。
 それは「モト子」ではない。

 だけど、彼女がそれを受け入れてくれるだろうか。
 おっと、もうV7を「彼女」なんて、擬人化している。
 それでも、なんとなくそう感じたのだ。GPZは男というか、オスだった。
 大きな救助犬とか、荷運びの馬とか、そういう感じだった。

 今度のV7は、実際に実車を初めて見たときも、乗ってみたときも、印象は「女性」だったのだ。

 ちょっとずつ、乗って、6月1日には300kmくらい走って、積算距離495kmで、最初のオイル交換をした。
 エンジン回転のリミット設定を4,000rpmにして、馴らし運転の第2段階に入った。




 今日、6月9日。
 昨夜の仕事のプレゼンと、その後の飲み(僕はアルコールは全く飲めない)で、帰宅は12時。
 今朝は少し寝坊して、朝7時にV7と家を出た。

 新緑と薫風の中を半日走ってみて、やっぱり名前は、考えていた通りにつけようと思った。


 


 ゆきかぜ。

 君の名前は、「MOTO GUZZI V7 Special ゆきかぜ」

 イタリアンの情熱の赤と、北海道の雪のような白。
 イタリア生まれの御転婆レディ。ようこそ、日本へ。ようこそ、雪国、北海道へ。

 僕の名前は「○○○○○」(本名は非公開です)
 またの名を「樹生和人(たっき かずひと)」

 ここ、北海道は、ちょっと前まで、どこの国の領土でもなかった。ネーションステートが世界中の地図を隙間なく埋め尽くす19世紀まで、ここはアイヌ民族の人たちが主に住み、北日本海交易圏を作って現在のロシアや、朝鮮半島、日本の本州などと、物々交換の交易をしつつ、また、厳しい寒さと豊かな森を持つこの土地に感謝しつつ、自然と調和して暮らしていた。
明治になって、北海道は「日本」になった。アイヌ民族の人たちに相談もなく、「日本という国家」の一部になった。僕らの先祖は、本州以南から「開拓」にやってきた。森を伐り、木材を本州へ運び、農地にした。はげ山は土砂を流し、海を汚した。伐る樹がなくなると、もっと山奥へ行って樹を伐り出した。輸送基地に街を作った。山を掘り、石炭を掘りだし、本州へ送った。巨大な炭鉱、にぎやかな街がたくさんでき、鉄道網は整備され、しかし、石油の輸入に政策が切り替わると、炭鉱は次々に閉鎖されていった。海では大量に魚が取れた、食料として食べきれないものは肥料として扱われた。本州へ、大量に送った。それが原因なのか、気候の変化か?海流の変化か?原因はわからないけれど、鰊は来なくなって、鰊漁業で栄えた街は錆びれていった。今、鰊は少しずつ、帰ってきつつあるよ。
 今、北海道は、農業と観光の土地。札幌は日本第5の大都市。美しい自然や風景は、海外にも人気だ。

 僕は、1999年に北海道にやってきた。妻と、幼い子供と、3人で。新しい暮らしをするために。
 僕も、地元の人間じゃない。
 何万年もこの地で生きてきた誇り高いアイヌ民族でもなく、苦しく厳しい開拓の生活を生き抜いた開拓民の子孫でもない。
 ただ、ミーハーな気持ちで、無責任な憧れで、北海道に移住して来たんだ。
 北海道の人はやさしく、自然は美しく、僕らは受け入れてもらえたおかげで、なんとか生きてこられた。

ここは、そういう土地だよ。

 ゆきかぜ。

 イタリア生まれの君に、日本語の名前を付けることに、少しためらいはあったんだ。

 でも君はきっと、真夏でも冬の雪の白さを忘れず、真冬の冬眠期でも真夏の情熱的な太陽を忘れない、そんな存在になってくれると思う。

 今日少し走っただけでも、カウルのない君は、僕に走ることの意味を全身に受ける風で教えてくれたよ。

 ゆきかぜ。

 イタリアンの情熱の赤と、北海道の雪のような白。

 イタリア生まれの御転婆レディ。

 ようこそ、日本へ。ようこそ、雪国、北海道へ。

 僕が君の相棒、樹生和人です。

2 件のコメント:

  1. MOTO GUZZI V7 Special ゆきかぜ
    いぃ響きです!!

    この名前、「名前をつけよう」と考えて付けられたのではなく、V7というバイクをご覧になった時に、インスピレーションとして、樹生さんの中にもうその名前があったのではないでしょうか。
    違ってたらスミマセン^^;
    そんなバイク、なかなかないですね。

    あ、僕のsportもやっぱり女性です。
    美人ですが、きちんと言う事を聞かせるにはコツが必要。たまに従順。
    あはは^^

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    1. Hiroshi Mutoさん、こんにちは。
      今となっては自分でもはっきりしないのですが、思いついたのが半年くらいも前で、手帳を見るといきなり書きつけていますから、「雪風」「ゆきかぜ」という響きがさっと浮かんだのだと思います。

      雪の白さと、風の吹く様子が好きで、和語(わご)のやさしい響きも好きで、写真のイメージにしっくりきたように思えて、それ以降別の名前は浮かびませんでした。ちなみに、もし赤白のカラーリングと22ℓタンクで発売されていなかったら、買っていなかった(CB1100へ行った)かもしれません。
      雪風という名前、調べてみると、いくつか乗っていて、
      大きいのは一つは旧日本軍の駆逐艦の名前でした。激戦区に何度も派遣され、ボロボロになりながらも沈まずに全て帰還し、奇跡の駆逐艦と呼ばれていました。自衛隊では護衛艦「ゆきかぜ」があります。
      アニメでも使われていました。札幌のラーメン家の名前にも一軒ありました。

      気取らず、気負わず、「モト子」でもいいよなあ…とも考えたのですが、自分の中で「ゆきかぜ」が消えませんでした。乗車するときに無意識に心の中で呼んでいる自分に気づいて、6月9日、「今日は名前を決めよう」と思って走りに行きました。
      走りながら、また、止まって風景の中のゆきかぜを眺めて、「ああ、やっぱりゆきかぜだ」と思いました。

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